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ブックマーク / kihamu.hatenadiary.org (9)

  • 「セックスの社会化」は可能か? - on the ground

    前エントリに対する反応は、目に入る範囲では相対的に批判的なものが多いかな。ブックマークでのコメントにお答えすることは普段無いんですが、「批判を歓迎する」とわざわざ書いたことだし、たまにはやってみましょうか。 (1)まず、性欲が三大欲求の一つというのは、話の導入として俗説に乗っかってみただけですよ。よっぽど「根拠不明」とカッコ書きしようかと思ったけど、わざわざ必要無いと判断しました。だいたい、「三大〜」とかいう類の呼称である時点で、科学的根拠を論じるレベルの話じゃないでしょう。生活感覚の話です。 問題なのは、「我慢しても死なない」からといって「必要」から除外してもいいという論理をもし仮に採用してしまうと、社会政策の範囲は恐ろしく切り縮められてしまうということで、その点は注意すべきでしょう。 (2)関連して、例えば名誉欲のような他の様々な欲求も社会が手当てすべきなのか(そんなことしたらきりがな

    「セックスの社会化」は可能か? - on the ground
    heis101
    heis101 2009/12/15
    「「我慢しても死なない」からといって「必要」から除外してもいいという論理を採用してしまうと、社会政策の範囲は恐ろしく切り縮められてしまう」「社会政策で手当てできるのは外的に提供・実現し得るものだけ」
  • セックスは自己責任でよいのか――性のケイパビリティとセックスワークの原則自由化を考える - on the ground

    このブログでセクシュアリティの問題を扱ったことは、あまりない。採り上げるほどの興味を持っていないということもあるが、セクシュアリティについて語ると、多かれ少なかれ個人的経験と結び付けて考えざるを得ない部分が必然的に出てくるので、ややためらわれるということが大きい*1。ただ、以前から考えていることはあるので、一度まとめて書いておくのもいいだろう。多分に問題提起的な性格の記事で、ほとんど何も調べずに書くことになるので、ツッコミどころは多いかもしれない。批判は歓迎するが*2、十分にお返事できるかどうかはわからないので、悪しからずご了承あれ。 人間の三大欲求は欲・性欲・睡眠欲だとよく言われるが、欲や睡眠欲の充足は社会的な手当てが必要だと考えられているのに対して、性欲の充足は倫理学や社会政策が問題にする人間の基的「必要need」からも除外されていると言っていい。これは実に深刻な問題である。とに

    セックスは自己責任でよいのか――性のケイパビリティとセックスワークの原則自由化を考える - on the ground
    heis101
    heis101 2009/12/09
    「食欲や睡眠欲の充足は社会的な手当てが必要だと考えられているのに対して、性欲の充足は倫理学や社会政策が問題にする人間の基本的「必要need」からも除外されていると言っていい。これは実に深刻な問題である」
  • 羽入辰郎『支配と服従の倫理学』 - on the ground

    支配と服従の倫理学 作者: 羽入辰郎出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 2009/03/01メディア: 単行購入: 9人 クリック: 143回この商品を含むブログ (9件) を見る 久し振りに大きめの書店をうろつくことができて書棚を物色していると、このを見つけた。著者と折原浩の間に生じたヴェーバーを巡る「論争」に私は興味を持たずに来たし、同じくヴェーバーについて書かれた著者の新書も、店頭でパラパラとめくるぐらいして棚に戻した記憶がある。そんな訳で別に何の期待も持たず、どんなもんかと思い手に取ってみただけなのだが、これがメチャクチャ面白い内容に仕上がっている。 まず帯の文句から奮っている。羽入の講義を前に「学生たちは凍りついた」とある。そこから分かる通り、書は著者が成城大学および青森県立保健大学で行った講義の元原稿に手を加えた形で成り立っている。奮った帯がただの煽りでないことは

    羽入辰郎『支配と服従の倫理学』 - on the ground
    heis101
    heis101 2009/11/21
    講義録形式らしい
  • 哲学的想像力と政治学的想像力 - on the ground

    東浩紀の議論に絡めて色々書き散らしてきたので、この辺りで一旦整理。国家や民主主義などに直接かかわるものだけ、まとめておく。時系列にする意味はあんまり無いと思うので、改めて載せておきたいところを拾いながら(注は省略)、その結び付きで並べていく。とりあえず全体を概観できるものから。 「現代日社会研究のための覚え書き――ネーション/国家」、2008年10月27日 以上のような認識に立つと、ポストモダン社会では、「共通の行政、共通のデータベース、共通のネットワークのうえに、異なった価値観を抱えた無数のサブカルチャーが林立するという、一種の二層構造」が採用されざるを得ないとする東浩紀の議論は、説得力を増す。東によれば、象徴的統合が不可能になった現代では、複数の象徴的共同体(「小さな物語」)の層における利害衝突が、その下にある非理念的なシステムの層――「大きな非物語」――で工学的に解決されるという「

    哲学的想像力と政治学的想像力 - on the ground
  • ポストモダンが要請する新たな政治パラダイム――Stakeholder Democracyという解 - on the ground

    私はリアルタイムで見ていたのですが、昨日の『朝まで生テレビ』に出演した東浩紀さんが、「インターネットがある現代なら、5〜10万人の規模でも直接民主政が可能だ」と力強く語っていました。この発言は、これまで彼が展開してきた一連の議論の延長線上にあるものなので、彼の読者にとっては特段新鮮な印象を与えるものではありませんが、その内容が刺激的なものであることは確かです。 過去に何度か採り上げているように、デモクラシーの新たな形についての東さんの提起に対して、私には賛成できるところとできないところがあります。明確に賛成できるのは、私たちが置かれている「ポストモダン」という社会状況についての認識と、「政治的意思決定の仕組みというものを原理的なところから考え直してみる必要がある」との問題意識に対してです。「ポストモダン」なる社会認識については、昨年「現代日社会研究のための覚え書き」と題したシリーズ記事で

    ポストモダンが要請する新たな政治パラダイム――Stakeholder Democracyという解 - on the ground
  • 『ONE PIECE』における正義と信念の問題 - on the ground

    宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2008年)を読んで私が感じた最大の不満は、同著が90年代後半以降のサブカルチャー作品を多数採り上げ、漫画『DEATH NOTE』を新時代の「決断主義」を象徴的に描いた作品として詳しく取り扱いながら、同時期に漫画界のトップランナーであり続けた作品であり、『DEATH NOTE』と同じ『週刊少年ジャンプ』に連載されている『ONE PIECE』への言及を全くと言っていいほど含んでいないことであった。 当ブログではこれまで『DEATH NOTE』と『20世紀少年』を採り上げ、ともに正義にまつわる問題との関連で論じたことがある。両作品を比すと、前者よりも後者の方が思想的な重要性が大きく、内容もより複雑であったが、『ONE PIECE』は内容において両作品よりも遥かに明快でありながら、思想的には最も尖鋭な領域にまで踏み込んでおり、三作の中で最重要の作品と言って

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    heis101
    heis101 2009/10/05
    「ルフィは自らの「正しさ」を主張しないし、概ね感情的に行動する。だが、読者は彼の言動に共感し、魅了される。それは、彼の振る舞いに迷いが無く、決して揺るがない圧倒的な意志に基づいているからである」
  • on the ground

    このブログは引っ越しました。今後、更新は新ブログのみになります。 過去記事の一部を新ブログにコピーしましたが、このブログは今後も残します。 また、政治と理論研究会のブログを削除し、新ブログに統合しました。今後は研究会告知等も新ブログで行っていく予定です。 勝手ながら、引っ越し先で引き続きお読み頂ければ幸いです。 八代尚宏『新自由主義の復権――日経済はなぜ停滞しているのか』(中公新書、2011年)は、経済財政諮問会議などで活躍した著名な経済学者による政治的パンフレットである。その主たる眼目は、「官から民へ」「民間にできることは民間に」をスローガンとした小泉政権期の一連の改革を擁護し、同じ路線を継承した更なる改革を訴えることにある。 著者によれば、近年しばしば「市場原理主義」と同一視され、小泉改革を貫いたイデオロギーとされる「新自由主義(neo-liberalism)」は、必ずしも市場を万能

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  • 後藤さんの宮台批判について - on the ground

    これも書き付け程度に。断片的な言葉をめぐって誰かと応酬するのは嫌なので、この件については考えがまとまるまで一切書かないのが賢明だと思っていたのだが、考えをまとめるために時間を確保する見込みが当分無いし、誰だか知らないが何となしに催促されている気がするので、後日のための目印のつもりでエントリを立てることにした*1。 俗流若者論ケースファイル85・石原慎太郎&宮台真司 http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2007/08/85_1c26.html (宮台真司への)絶望から始めよう――「現代の理論」発刊に寄せて http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2008/01/post_fe9b.html 『現代の理論』掲載の論文は未読なので*2、ブログに限ってのことになるが、

    後藤さんの宮台批判について - on the ground
    heis101
    heis101 2009/04/13
    「実証的根拠の薄弱さを突くことは非常に有力な批判手法だけれども、ある意味ではとても安易な済ませ方」
  • 利害対立と民主主義モデル - on the ground

    吉原直毅「最近思う事:湯浅誠・堤未果『正社員が没落する--貧困スパイラルを止めろ!』(角川新書)を読んで」を読んで、「分断統治」という観点は確かに重要であるとしても、正規・非正規ないし中間層・低所得層という対立軸だけでなく、世代間の対立についての目配りを盛り込んだ議論構成にしなくては、いわゆるロストジェネレーション層への応答なり批判なりにはならないだろうと、若干の違和と物足りなさを覚えた*1。その方面について私には何の専門的知見も無いが、世代の軸を加えるなら、単なる情緒的認識の問題には尽くすことのできない程度の敵対性は存在するのではないか。 無用な対立を煽ることは避けるべきだが、分断統治を目論む上位のプレーヤーが無条件に存在すると前提した上で誰だって仲良くできると考えるのは妄想である。「少なくとも民主主義的政治システムの存在する現代においては」*2、そのような上位のプレーヤーは居ない。「支

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