弊社代表・坪井の海外協力隊後の経験や、SUNDAについて書かれた書籍、『共感で社会を変える GLOCAL INNOVATORs』が9月1日に出版されます。
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プロサッカー選手であり、経営者でもある本田圭佑は、サッカーを通した社会貢献にも力を入れる。そんな彼の下で、社会貢献活動の責任者として働くのが本田と同い年の二村(ふたむら)元基さん(31)だ。青年海外協力隊員としてウガンダに赴任し、帰国後は社会福祉法人の職員として働いた経歴を持つ。その素顔とは。(オルタナS編集長=池田 真隆) 本田圭佑のSOLTILO(ソルティーロ)社では国内外の約80カ所でサッカークラブを運営している。昨年末からはアフリカで無償のサッカークリニックを展開 ■ルーツは「母子家庭」 愛知県で生まれた二村さんは5歳のときに父親を亡くす。母子家庭として育てられたが、祖父母からの経済的な支援を受けながら私立の4年生大学を卒業した。 高校まではサッカー部で、大学生の時には、プロサッカークラブのカマタマーレ讃岐でインターン生として働いた。大学卒業後は、大手スポーツ用具メーカーに就職。3
-学生時代はエンジニアを目指されていたとお聞きしました。 学生の頃は将来はエンジニアになろうと思っていました。学生がフォーミュラカーを制作して、レースを行うF-SAEという活動に加わっていたんです。我々のチームが初の日本大会で優勝したこともありました。 -そんなすごい体験をされたのに、エンジニアにならなかったのは何故なのでしょうか?? むしろ、その活動の中で、自分はエンジニアには向いていないということに気付いたんです。それで大学院へ進むのもやめました。だからと言って、何をしたいということがあったわけではなかったのですが、就職活動を通して、コンサルティング業界に強い興味を持ちました。そして、外資系大手のコンサルティングファームであるアクセンチュア株式会社に入社しました。2005年8月のことです。 アクセンチュアでは、通信業・ハイテク製造業(家電や半導体)業界を担当する部署に所属し、ビジネスコ
日本をよくする提言から多様性を高める主張、ギャップイヤー文化構築提案まで、 多種才々なイノベーター達のエッセイ集 「なぜ今、コンサル辞めてウガンダで起業なのか?」 伊藤 淳 WBPF Training 代表(2014年6月にウガンダにて起業) 昨年12月に、9年近く勤めたコンサル会社を辞めて、今年1月に東アフリカへ拠点を移し、6月よりウガンダで起業しました。 学生自体には、アフリカにも起業にも社会起業にも国際開発などにも全く関心がなかった僕が、なぜ、アフリカでの起業に至ったのか、その経緯をお話したいと思います。 思い返せばそれは、偶然に偶然が重なり、人とのご縁が何重にも積み重なった結果生まれたものでした。元来、人付き合いが苦手な自分が(今も得意ではないですが)、たくさんの人に応援頂き、助けられて、今の事業をスタートすることが出来ました。 「人生やキャリアは計画出来るものではない」という一つ
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