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2014年3月27日のブックマーク (2件)

  • A Brief History of Hackerdom: Japanese

    わたくし、倉骨訳『オープンソース・ソフトウェア』(オライリー)の翻訳に深い憂慮を抱くものでございます。 山形浩生 はい、そうなのでございます。とってもとっても憂慮しているのでございます。というのもですね、そこに収録される予定の A Brief History of Hackerdom の翻訳が、Linux Japan 1999 年 8 月号に載ったのですが、それがどうも肯定しかねる代物だからでございます。(実物が出たけれど、やっぱ肯定しかねましたです。さらにはこういうことを書かれても反省した様子もなしに、そのまま Web にアップロードされている。ま、いっけどさ) 論点がわかるように、冒頭の部分についてちょっと比べてみよう。ちなみに、原文はhttp://www.tuxedo.org/~esr/faqs/hacker-hist.htmlにある。 コンピュータサイエンスは、1945 年以降、世

    hidehara
    hidehara 2014/03/27
    A Brief History of Hackerdom の翻訳について、考察されてる
  • *ミントの人物伝その59−5[第427歩] - ミントの山歩き日記2

    栄光の日々ばかりではありませんでした。 失意の日々もありました。しかし決してくじけませんでした。 ミントの人物伝(その59−5) 地図(かなり不正確で見づらいですがご了解下さい) 1866年、リヴィングストンはまたアフリカの地を踏んだ。3回目の探検である。 今回は王立地理協会からの、ナイル川の水源を探求する依頼もあったので リヴィングストンは、ザンジバル島から上陸し ルブマ川からモエロ湖周辺の探索をすすめていった。 ある日のことである。 探検をいやがる一部の人足たちが、薬品類を盗んで脱走するという事件が起こった。 おまけにこの脱走した人足たちが、自分たちの行為を正当化しようと あろうことか「リヴィングストンは死んだ」と語ったのである。 そのためイギリス政府は 調査隊を数度アフリカに送ったが、一向にその消息がつかめず やがて、リヴィングストンの死が噂になってしまった。 一方のリヴィングストン

    *ミントの人物伝その59−5[第427歩] - ミントの山歩き日記2
    hidehara
    hidehara 2014/03/27
    リヴィングストンさんの探検を、初めて知った。ちゃんと調査しておかないといけないぞ。