2011年度の最高益を目指して構造改革を推進していた富士通の野副州旦社長だが、病気療養のため改革の道半ばで社長および取締役の職を退くことになった。今後は相談役にとどまるものの、病気療養に専念する(関連記事)。 渉外畑を歩み、赤字プロジェクトの撲滅などで手腕を発揮した野副氏は2008年6月に社長就任。「日本に軸足を持つ唯一のグローバルIT企業を目指す」として、国内外の組織改革を進めている最中だった。 野副氏は大きく4つの切り口から改革を進めてきた。 構造改革を実行する上で必要不可欠な事業の選択と集中では、不採算事業からの撤退を断行。最も大きいのは、東芝と昭和電工に譲渡したハードディスク事業である。ハードディスク事業は数百億円の赤字を抱える事業だった。そのほかにも半導体開発の富士通オートメーション、ユーディナデバイスの株式譲渡などを行った。 事業の見直しの一方で、商品力の強化を目指した施策も打