タグ

ブックマーク / elm200.hatenadiary.org (31)

  • ブログ再開予告 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    みなさま、当にお久しぶりです。 この半年間、私はどうしてもブログが書けなかった。 なんども書こうと思いつつ、どうしても書けなかった。 いろんな事情が複雑に絡み合って、どうにも書けない膠着状態に陥ってしまったのだ。 ただこの数週間で状況が大きく動き、再びなんとかブログが書けるかな、という心理状態になってきた。 これから少しずつ、この半年間で考えたこと、いま考えていること、これからやりたいと思っていることを書いていきたい。 みなさんよろしくお願いします。 (追記) 私はいま、自分ではどうにもできない問題を抱えていて、それを開示して、みなさんに応援をお願いすることになると思う。 自分にとって、当に情けない姿をさらすことになるだろう。それによって私を非難したり嘲笑したりする人たちも出てくるだろう。それも仕方ないことだと思う。正直、当に恥ずかしい。 私はいままでずっと一人で自分の問題を解決して

    ブログ再開予告 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • 日本批判者の不都合な真実 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    昨日は横浜のコワーキングスペース・タネマキで、いまをときめくウェブサービスのDesignClueを運営する柴田社長を囲んで、開発の苦労話や今後の展望を聞くイベントがあった。 柴田さんは27歳と若いが、DeNA でのインターンやソフトバンクアカデミアでの経験を経て、起業に関する心構えはとてもしっかりしていた。礼儀正しく気さくな好青年であった。 DesignClue では、日人の発注者が、海外に住むデザイナーにロゴを発注できる。面白いのは、選択肢と自動翻訳を活用して、日人は日語で発注ができ、外国のデザイナーは注文の内容を英語で確認できるようになっている点。日人が外国人と取引するうえで一番抵抗を覚えるのは言語の違いであろうが、それを自然に乗り越えられる仕組みになっているのだ。また、外国の発注するからといってロゴの価格を大幅に下げるのではなく、一定の価格を維持することで高品質なロゴが供給さ

    日本批判者の不都合な真実 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • 「やりたい」ではない「やる」のだ - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    私はかつて受託開発のソフトウェア技術者だった。プロになったのは26歳のときだが、私は13歳のころからプログラムを書いていたので、最新の開発環境について独学するのはさほど苦にならず、瞬く間に平均以上の技能を持つ技術者になった。だが、正直に告白すると、ずっと技術者としての自分が好きではなかった。私にとって、ITをやるのは、ある種、人生からの逃避を意味していた。社会的な関係を結ばずに済むための方便だった。私はプログラムを書くのが嫌いだった。オープンソースプロジェクトに参加する人たちは、カネをもらわなくてもプログラムを書きたい人たちだが、私はまったくそんなタイプではなかった。 皮肉なことに、私のプログラム嫌いは、プログラム技能を向上するのに大いに役に立った。プログラミング言語 Perl の作者のラリー・ウォールによる「プログラマの三大美徳」に「怠慢(Laziness)・短気(Impatience)

    「やりたい」ではない「やる」のだ - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • モノを所有する時代の終わり - 所有価値から使用価値へ - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    近代経済学の枠組みでは、効用(人々の喜びの増加または苦しみの減少)をもたらすものを財と呼ぶ。財はモノとサービスに分けられる。近代経済学が誕生したときには、モノが絶対的に不足していたので、財はほぼモノを意味していた。その後、サービスに対する考察を追加したのであろう。 だが、今日、生産力の増強につれ、社会にモノがあふれて、財の重心がますますサービスに移りつつある。よくよく考えてみるとモノとサービスは信じられているほど対立的なものではないのだ。その部分を今日はじっくり解説したい。 人々は財から効用を引き出すことができる。財のこういう機能を価値と呼ぶ。財の価値は人によって違う。たとえば、イチゴが嫌いなひとにとってイチゴの価値は低い。だがイチゴが好きなひとにとって同じイチゴは高い価値をもつだろう。 モノ・サービスという二分法とは別に、財を次のような2種類に分けることもできる。 人々の消費に供される消

    モノを所有する時代の終わり - 所有価値から使用価値へ - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • 先進国からモノ作りが消える日 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    新興国が「世界の工場」となりつつある現在、日を含む先進国からモノ作りが事実上消滅しつつある。私たちは、モノ作りに頼らない経済を打ち立てなければならない。そのためにはどうしたらいいのだろうか? 結論を先に言ってしまうと、サービスを売るしかない。サービスを高く売るためには、評判の蓄積が必要だ。「人々が評判を蓄積し、サービスをカネと交換する」過程を支援するビジネスが大きく伸びて行くだろう。 以下、細かく検討していくので、興味があれば読み進めてほしい。 伸びるモノの供給力 私は、書評「働かざるもの、飢えるべからず」でこう書いた。 働かざるもの、飢えるべからず。 だれのものでもない社会で、だれもが自由に生きる――社会システム2.0 (サンガ新書) 作者: 小飼弾出版社/メーカー: サンガ発売日: 2011/12/22メディア: 新書購入: 2人 クリック: 93回この商品を含むブログ (12件)

    先進国からモノ作りが消える日 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • 私はおカネ儲けが苦手です - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    私たちは、資主義経済に生きている。私たちは、大人になった後、四六時中、いかにカネを多く得て少なく使うか、いかに蓄えるか考えつづけている。カネは空気のように、社会全体にあまりに当然かつ普遍的に存在していて、それがわずか4000年ほど前、人類の長い歴史のごく最近になって登場したものであることを忘れてしまっている。 私は、茨城県の片田舎の中流の家庭に生まれ育った。父は大企業の管理職、母は地方公務員。地方では経済的に恵まれた方だったろう。古河市は、関東平野の北部に位置する農村地帯だったが、私が生まれた40年前には、急ピッチの工業化が進んでいて、新しく造成された工業団地に最新の工場が建設されはじめていた。私の父はそういう新設工場の一つで、生産管理の職に就くため、東京から赴任してきたのだ。 子供だった私は、まだ豊富に残る雑木林に入って、虫をつかまえたりするのが好きだった。だが、当時は次々に宅地造成が

    私はおカネ儲けが苦手です - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • 私の典型的な一日 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    パブリック・マン宣言で私は、「情報公開を基とする人間になりたい」と述べた。今日は、その約束を果たすべく、私の典型的な一日をお伝えしたい。 私は、毎日同じ時刻に起きて、同じ時刻に寝るタイプの人間ではない。だいたいこんな感じ、という典型的な一日を日誌風に記すことにする。もちろん、毎日これと全く同じことをしているわけではない。 6:30 起床。 7:00 入浴。 7:30 朝。時事問題について語り合う。 9:00 ブログ執筆。 11:00 フィリピン・オンライン英会話 12:00 昼。 13:00 書評人関係の作業。プログラミングやレビュー更新など。昼寝することも。 16:00 15分歩いて近所のマクドナルドへ。コーヒーを注文。iPod touch で米国の無料オンライン大学に行き、英作文を学ぶ。 19:00 夕。再び母と人生論や社会論について語り合う。 20:00 ネットサーフィン。ベ

    私の典型的な一日 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • ソーシャル拡大家族による新時代の社会保障 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    昨日、パブリック・マン宣言というエントリーで赤裸々に自分の財務状況を告白したところ、古い友人から、こんなメッセージが飛んで来た。 当に150万しかないの?親倒れたらどーすんのよ。持ち家も固定費かかるのよー 友人は、歯に衣を着せない人で、気で私のことを心配してくれたのだろう。感謝しつつも、この件についてはいろいろ考えさせられた。 父はずっと前に亡くなり、私には母しかない。母は60代後半だが、法律系の自由業をしている。仕事は順調で稼ぎは悪くない。いま住んでいる家は母の持ち家だが、確かに固定資産税の他に、定期的に修繕費がかかる。当面は、母の稼ぎと貯蓄で十分やっていけるだろう。この点は、私は1年ほど前にこの家にやってきた居候にすぎない。 母は、歳のわりには実に健康な人で、医者に滅多に行かないことを自慢の種にしている。そうは言っても人間であるから、歳を取れば病に倒れることもあるだろう。実際、人の

    ソーシャル拡大家族による新時代の社会保障 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • 分断された日本のインターネット - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    先日「ソーシャルゲームはなぜハマるのか」の書評を書いたが、実は言及できなかったポイントがある。 ソーシャルゲームはなぜハマるのか ゲーミフィケーションが変える顧客満足 作者: 深田浩嗣出版社/メーカー: SBクリエイティブ発売日: 2011/09/10メディア: 単行購入: 20人 クリック: 565回この商品を含むブログ (43件) を見る携帯電話のソフトウェア開発に長年携わった著者は、インターネットユーザーを大雑把に「情報強者」と「大衆」の2種類に分ける。 他国では、インターネットはごく最近まで「情報強者」だけのものだった(スマートフォンの浸透により今まさに大衆層が使いはじめているところだ)。 一方で、日では1999年ころからフィーチャーフォン(ガラケー)が独自にインターネット接続を始める。これはやや奇形的ではあったが、大衆のニーズに合致していた。一方で情報強者層は、ガラケーの制限

    分断された日本のインターネット - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • Twitter 社採用面接受験記 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    1ヶ月ほどまえに、私はシリコンバレーを訪れたのだが、そのときサンフランシスコの社で Twitter の採用面接を受けてきた。結果は残念、ということだったのだが、その経緯について書いてみようと思う。 なぜ Twitter 社の面接を受けたのか。7月の終わりころ、私はシリコンバレーで働くにはどうすべきなのか、ということについて頭を悩ませていた。考えながらぼうっと Twitter のタイムラインを眺めていたのだが、Twitter が日エンジニアを求人しているという情報が飛び込んできた。おお〜、と思って軽い気持ちで職務経歴書を Twitter に送ってみたのだ。 相当数の人たちが職務経歴書を送ったはずだし、私は書類選考で落とされると高をくくっていた。ところが、数日してTwitter の人事担当者からメールがあり、電話面接をやるからいつがいいか?という。まさかの展開に私はやや慌てた。電話面接を

    Twitter 社採用面接受験記 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • ブログタイトル変更のおしらせ - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    ブログタイトルを「elm200 のノマド日記」に変更することにした。 「Rails で行こう!」という旧タイトルは、Ruby on Rails というウェブフレームワークから来ていた。フレームワークとは、一種のソフトウェア部品のことである。このブログを始めた当初は、私は主に Ruby on Rails のことについて書くつもりだった。実際に、開始して2年間くらいは、Ruby on Rails のことを調べては熱心に記事にしていた。しかし、次第に社会批評的な内容が増えていった。 それらがどういうわけか人気を博してしまった。私自身も、IT 技術について書くより、社会批評的な記事のほうが簡単に書けたし、書いていて楽しかった。 Ruby on Rails というウェブフレームワークもそれを支える Ruby というプログラミング言語も素晴らしい技術である。ただ、私が Ruby on Rails と関

    ブログタイトル変更のおしらせ - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • ホリエモンをお見送りしてきました - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    ホリエモンは、東京高等検察庁に出頭し、収監された。私はその瞬間を見届けようと今日の昼、東京・霞ヶ関に出かけた。 ホリエモンは、12時30分に霞ヶ関の弁護士会館前に現れることをあらかじめ告知していた。12時20分頃、私が現場に到着すると、200人くらいの人だかりが出来ていた。ざっと見たところ、1/3 が報道陣、2/3 が一般人のファンあるいは野次馬だった。 ホリエモンは予定より20分ほど遅れて、会場に現れた。その直前、マスコミのカメラが忙しなく動き、人々が叫び始めた。ホリエモンらしき人物の周りにはあっという間に人だかりができて「そこどいて!通れないよ!」というような怒号が渦巻いた。わずかにホリエモンひろゆきの姿が垣間見えた。ホリエモンは低い声でボソボソ喋っていて、よく聞き取れなかった。 やがてホリエモンが東京高検に向けて歩道を歩き始めた。報道陣と野次馬も取り巻くように移動開始。歩道には警備

    ホリエモンをお見送りしてきました - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • 原発は非倫理的な技術である - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    菅首相が脱原発寄りの立場を強め、村上春樹のような著名人が全面的な原発批判を展開するに至って、原発推進の立場に立つ人々からの反撃も強まっている。私は原発という発電手段の馬鹿馬鹿しさを散々書いて来て、書き尽くした感があるのだが、原発推進派に対抗する意味で、改めて述べることにする。 なぜ原発はダメなのか? それは非倫理的な技術だからだ。 原発は膨大な核燃料廃棄物を作り出し、将来世代に大きな負担を残す。 原発事故は環境に大量の放射性物質を放出し、きわめて多くの人々の生命と財産を危機にさらし、社会を破壊する。 原発事故の被災者の大多数は、無過失である。過失のない人々を罰するのは社会正義にもとる行為である。 単純に特定の発電方式に由来する死者の数だけ比較して「原発が一番安全」と主張する者たちが絶えないが、これは詭弁である。人がある行動に伴うリスクを知っており、それでもなお自分の利益のためにその行動をと

    原発は非倫理的な技術である - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • 被曝に対する3つの立場 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    放射線にさらされることを被曝という。被曝にかんしては、ウィキペディアの説明がよい。これだけ読めば十分なのだが、ここでも簡単に整理したい。 被曝の影響には次の2つがある。 いますぐ症状があらわれるもの(確定的影響) あとから病気になるかもしれないもの(確率的影響) 1. については大量の放射線にさらされなければ問題ない。今回の福島第一原発事故でいえば、この危険があるのは、現場の作業員くらいだ。 問題は 2. である。 政府が「ただちに健康に被害がおよぶものではない」というとき、上の 1. はないよ、と言っているにすぎない。2.の「あとから病気になるかもしれない」という点に関しては、肯定も否定もしていないのだ。 さらされる放射線の量が少なければ、病気にまったくならない人もいるし、運悪く病気になったとしてもあとあと(数年〜数十年)のことである。 これが上の「2. あとから病気になるもの」のケース

    被曝に対する3つの立場 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • 原子力発電という欠陥技術 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    福島第一原発事故の事態収拾の見通しがいまだはっきりしない情勢の下、4月10日に東京では少なくとも2カ所で反原発デモが行われた。一つは芝公園、もう一つは高円寺で。私はこれら2つの集会に駆け足で参加してきた。 芝公園の集会の主旨は、静岡の浜岡原発を停止しようという呼びかけだった。浜岡原発は東海地震の想定震源域にあり、津波への備えも万全とは言えない。もし福島第一のような事故が起きれば、大量の放射能が西風に乗って神奈川・東京方面にやってくることになる。日の GDP の多くの部分を生産する東京・神奈川が壊滅的被害を受ければ、文字通り日という国が存亡の危機に立たされるだろう。 芝公園では、古株の市民団体や労働組合の旗が目立った。より伝統的な左翼的集会という印象だった。チェルノブイリの被災者に対して、20年以上支援を続けている市民団体もあって、こういう地に足のついた活動は偉いなと素直に思う。ただ、私

    原子力発電という欠陥技術 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • 私がソフトウェア技術者をやめた理由 - Rails で行こう!

    昨日、 人生の転機 - Rails で行こう! の中で「ソフトウェア作りが嫌いだ」と言い切ってしまったことが引っかかっている。 私の職業生活でもっとも多くの時間を注いだのがソフトウェア作りだ。その作業に対して、実際のところ、好きとか嫌いとか一言で割り切れるはずがない。複雑な感情を持っているというのが正直なところだ。 私の職業プログラマのとしての最大の欠点は、ソースコードに対して強い美意識を持たずにいられなかったところだろう。生来の生真面目な性格が災いし、私の基準で美しいとはいえないソースコードを敵視しすぎた。 簡単な例を挙げよう。 うるう年を計算するアルゴリズムを考えてみる。うるう年とは、「4で割り切れて、かつ100で割り切れない年。ただし、400で割り切れたら、やはりうるう年」である。 def leap_year?(y) (y % 4 == 0) && ((y % 100 != 0) |

    私がソフトウェア技術者をやめた理由 - Rails で行こう!
  • 人生の転機 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    この秋は、はてな村の有名人たちが人生の転機を迎えているようだ。id:naoya や id:amachang が古巣を去り、id:Chikirin が高給を捨ててニートになった(はてな村では id: は Mr/Ms 相当の敬称である)。 私もまた先月、米国公認会計士(USCPA)試験に全科目合格し、会計畑の仕事に方向転換しようとしている。もっとも会計というのは私にとっては手段にすぎず、最終的には企業経営に関わる仕事に就きたいと考えている。 私は、26歳のときからずっと IT 畑の仕事をしてきた。途中、語学留学等で職歴が中断したり、職場が変わることはあっても、ずっと プログラマだった。だから、いま全く畑違いの分野に乗り出していこうとするのは、かなり勇気がいる。大学を卒業したばかりの若者が、希望と不安を持って未来の職業生活を見つめているような気分だ。 実を言うと、私は、いままでの人生仕事が心底

    人生の転機 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • 学校のような企業を作る - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    気分転換のため、今日は、1年ほど前に私がベトナム語で書いたブログ記事を和訳してみた。新しい時代の企業経営について考えている。 Việc thành lập công ty giống như nhà trường - Tôi đi với Rails - Eiji Sakai - Yahoo! 360plus 学校のような企業を作る 経営者にとっては、従業員を職場に引き止める方法は、大きな問題の一つです。経営者の希望もむなしく、多くの優秀な従業員たちが会社を辞めていきました。彼らはどうして仕事を辞めようと思ったのでしょうか。私の意見では、次のような2つの主要な原因があります。 報酬が十分でない (物質面) 会社に大切にされていないと感じる (精神面) 原因 2 (精神面)は次のような要素を含んでいます。 人間関係が上手くいかない 仕事を通じて自分の能力を伸ばしていく機会がない 要素 1 は

    学校のような企業を作る - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • 「日本というシステム」は持続可能なのか? - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    自分の人生を振り返ると、実に馬鹿だったな、と苦笑せざるを得ない。私は1994年に東大経済学部を卒業して、ある都市銀行に入行し、都心の支店に配属された。私が理論肌の人間だということは銀行も知っていただろうから、おそらく、数年現場仕事をさせた後、店に呼び戻して調査研究畑を歩ませるつもりだったのだろう。たぶん、当時の学生たちがうらやむようなエリートコースに乗っていたはずだ。 東大を卒業することの最大の利点は、日で最良の大企業に入る権利を手に入れられることだ。その「東大カード」を切って、私は日を代表する大企業の一つに入った。そこまでは、東大卒の利点を生かす「賢い生き方」をしていた、といえる。 だが、当時の私は不満タラタラだった。就職活動の初めから、何かに強烈な違和感を覚えていた。バブルの余韻が残る当時、東大生にとって就職活動はごく簡単だった。私はあっという間に内定を決めた。その後の秋の「内定

    「日本というシステム」は持続可能なのか? - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
  • そろそろ2ちゃんねる的言説は卒業しよう - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    2ちゃんねるの力が落ちているらしい。 天皇制と2ちゃんねる - 池田信夫 blog 2ちゃんねるは、ときどき非常に興味深いスレッドがあって、昔はちょくちょく覗いていたものだが、最近はぜんぜん行かなくなってしまった(2ちゃんねるのまとめサイトはいまでも面白いものもあるけどね)。 2ちゃんねるの言説には独特の雰囲気がある。一種の殺伐とした感じというか。頭ごなしに喧嘩を吹っかけたり、罵詈雑言を述べ立てたり。日語は、挨拶に関してまわりくどいところがあるので、それを省いている部分もあるのかもしれない。それでも、あまりに失礼としか言いようのない喋り方が多い。 私は最近は外国生活が多いけれども、それでも合計 30 年以上は日に住んでいる。日にいるとき、2ちゃんねるのような喋り方をするリアルな人々に会ったことがない。私の知らない山奥に、こういう「2ちゃんねる族」が住んでいるのか?いや、そんなことはな

    そろそろ2ちゃんねる的言説は卒業しよう - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)