1985年8月12日に発生した日航機123便墜落事故から、今年は40年目を迎える。ボーイング社による修理ミスが原因だったが、同社が訴追されることはなかった。元産経新聞論説委員の木村良一さんは「捜査当局は修理ミスを見逃したとして日本航空社員を書類送検した。しかし40年がたち、新たな証言が出てきた」という。新著『日航・松尾ファイル 日本航空はジャンボ機墜落事故の加害者なのか』(徳間書店)より一部をお届けする――。 「日航が修理ミスを見逃した」新聞・テレビが批判 ボーイング社の修理ミスによって墜落事故が起きたことが明らかになると、新聞、テレビなどの報道は「日航がボーイング社の修理ミスを見逃し、見落とした」「修理ミスは日航の領収検査や定期点検で発見できたはず」と日本航空を批判し、責め立てた。 世論もその方向になびいた。群馬県警や検察庁も同様な観点から捜査に力を入れ、業務上過失致死傷罪という日航の刑