ブックマーク / blog.goo.ne.jp/hituzinosanpo (82)

  • 自由では ありえないからこそ - hituziのブログ 無料体験コース

    自由って なんだろう。かんがえてると なかなか おもしろい。抽象的に、なおかつ意図することをぼかして はなしをすすめてみる。 だれにも なにも無理じいされなければ自由だろうか。命令もされず、おびやかされることもない。たしかに自由だ。しかし、社会通念や常識から自由になることは、なかなか むずかしいものだ。すでに自分が そまっているのだから。とっくのむかしに しばられているわけだから。ウンコやゲロをみて、きたないと感じるのなら、すでに自由ではない。あおぞらをみて、うつくしいと感じるのなら、すでに自由ではない。社会の わくぐみの なかから一歩も でてはいない。あいもかわらずオリのなかにいる。それをオリと かんがえるのなら。 だれも自由では ありえない。だから不自由さと うまく つきあっていくことしか できない。なにかを「きたない」と感じ、なにかを「うつくしい」と感じてしまう自分のまなざしをはっき

    自由では ありえないからこそ - hituziのブログ 無料体験コース
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/07/09
    坂口安吾(さかぐち・あんご)の引用。 "青春は絶望する。なぜなら大きな希望がある。少年の希望は自在で、王者にも天才にもみずから化して夢と現実の区別がないが、青春の希望の裏には、限定された自我がある。"
  • 「hituziのブログじゃがー」 - hituziのブログ 無料体験コース

    それでは みなさま、hituziのブログ 無料体験コースを よんでくださり、ありがとうございました。ほんのすこしでも、なにか つたわったことがあれば、ひびくものが あったとすれば、すくわれる おもいが します。 「無料体験コース」というのには、いまのところ、ふたつの意味があります。 ひとつは もちろん、わたしがブログを やってみる、というものです。 もうひとつは、わたしなりの日語のかきかたを かいてみる、よんでもらってみるということでした。あんまり漢字を つかわずに かいていることは、わかっていただけたかと おもいます。 まだデザインの こまかい修正を していくと おもいますが、このブログは「hituziのブログじゃがー」に移転しました。 いままで、ありがとう。そして、これからも よろしく。

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/06/07
    ブログを 移動しましたー。
  • 新刊紹介『調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本』 - hituziのブログ 無料体験コース

    おもわず拍手しました。 宮常一(みやもと・つねいち)/安渓遊地(あんけい・ゆうじ)『調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく』みずのわ出版 宮さんの文章は、「調査地被害――される側のさまざまな迷惑」だけで、あとは、あんけいさんの文章。序章が「宮常一先生にいただいた言葉」ですから、その敬意が うかがえます。 もくじを はりつけておきますね。 はじめに(安渓) 序章  宮常一先生にいただいた言葉(安渓) 第一章 調査地被害――される側のさまざまな迷惑(宮) 第二章 される側の声――聞き書き・調査地被害(安渓) 第三章 「バカセなら毎年何十人もくるぞ」(安渓) 第四章 フィールドでの「濃いかかわり」とその落とし穴(安渓) 第五章 種子島にて・屋久島からの手紙(安渓) 第六章 まぼろしの物々交換を知夫里島に求めて(安渓) 第七章 「研究成果の還元」はどこまで可能か(安渓)

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/05/27
    みなさん、この本を よんでくださいね。
  • 「かわいそう」のバランス - hituziのブログ 無料体験コース

    とある掲示板で議論したことをちょっと修正して転載しますとですね。 「わたしたち」は教育やメディアによって動物をころすのは「かわいそう」といった意識ができあがってしまっています。ですが、おさないころからトサツが身近であれば、そのようには感じないでしょう。世界に目をやれば、現実はそうです。ですが都市化がすすんだ日では どうしてもトサツは「とおいところ」にある(屠場[とじょう]の立地も!)。そして「肉産業従事者=被差別出身、だから両者を差別する」という図式が固定されたままになる。要するに、屠場を公開することは「トサツをみせるだけ」では おわらない。差別をする側にとっては、差別の対象がチンレツされている状態でもある。 「わたしは差別者ではない」ということを根拠に、全面公開してほしいというのは、ちょっと無責任だということです。 屠場をタブーにしてしまえば、差別が強化されてしまうのも たしかです。

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/05/24
    なつかしいなあ。 "バランスをとるために、「かわいそう」を否定するのだ。ひとの感情を支配したり、固定するためではない。わたしたちの感情を支配している社会の現実を改善するためなのである。"
  • 畜産物と農産物は、質的に ちがうものだ - hituziのブログ 無料体験コース

    「わたしたちは、わたしも あなたもベジタリアンだ」という記事で、一見さんに「「人間は誰もが選択的に事をしている。ベジタリアンもその一に過ぎない。」という主張は正しいと思いますが」というコメントをもらいました。 タカマサさんは、トラックバックの記事で(「「人間とは、肉をたべるベジタリアンのことだ」というのは正論だとはおもうが…」)で、「「ベジタリアニズムは人間集団に普遍的で、むしろ これから完全に自由な存在はほとんどかんがえられない」というべきだとおもうんだね。」とコメントされています。 あと、コメント欄では、■ただ、「ベジタリアンである程度が、それぞれ ちがう」という論理は、文化の連続性をのべただけで、性差などとならんで、思想的に一見ラディカリズムにみえても、現実の政治性には全然影響力をもちえないかもしれないような予感がする。■はっきり境界線があるって信じている層にとっては衝撃的でも、

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/05/22
    人類を守るためで、いいと おもってます。要は、エゴイズムから にげないで、エゴイズムをどういう方向に もっていくかの問題だと。/大豆の生産「でも」環境は破壊されます。
  • そだてる、とってくる、さばく、火にかける、たべる - hituziのブログ 無料体験コース

    どーも いけない。たべるってことを、あまりに あたりまえの よーに かんがえて、ありがたみや、くるしみをみすごしてしまう。すくいそこなってしまう。 料理屋で はたらいてると、すべての料理が整備されたシステムのなかで調理されてるのを感じる。パスタのソースも つくりおきしてあって、家で料理するのと 店で料理するのは 全然ちがう(わたしはパスタの担当じゃないけども)。完璧に ととのえられた環境、システムのなかに いるからこそ、なにかが おかしいと感じてしまう。効率の よさだけが追究されて、土や血が感じられない素材。ニワトリの手羽をきって、やいていても、ちょこちょこ はしりまわるニワトリの すがたが 目に うかんでこない。 テレビでレンコンをほっていた。どろの田んぼに あるのよね、レンコンって。でも あらってあったら、そんなの わかりゃしない。わかるはずが ない。 「たべるだけの人」になるのは い

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    hituzinosanpo 2008/05/22
    4年ちかくまえに かいた文章。
  • シチメンチョウ(七面鳥)は すごかった - hituziのブログ 無料体験コース

    2002年の ふゆだったでしょうか。 わたしは「ニワトリをしめる あつまりが あるんだけど、こないか?」と さそわれ、えーーー いきます!!!!と よろこんで参加したのでした。 わたしが はじめて脱肉(ビーガン)をやっていたのが高校1年のときからで、高校3年のころからビーガンから「サカナをたべるベジタリアン」になりました。 大学に はいってからも、しばらくはサカナをたべるベジタリアンだったのですが、チューカ料理店でアルバイトをはじめてからは、肉をたべることに制限をおかない生活になりました。 あのとき、わたしが おおきく誤解していたのは、ベジタリアニズムを二者択一で とらえていたということです。べつに、毎日 肉をたべてもベジタリアニズムに矛盾しないのに。「肉に制限をおくのは、もう やめた」。そんなふうに かんがえてしまったのです。いま ふりかえると、残念なことをしました。 なぜなら、わた

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/05/22
    kmizusawaさん、そりゃ おもしろいですよー。台湾人の友人が(たべるために)シマヘビをつかまえたってときは、粘着して つきまとい、わたしのアパートで皮をはいで、いっしょに たべました。おいしかったです。
  • わたしたちは、わたしも あなたもベジタリアンだ - hituziのブログ 無料体験コース

    きのうも肉をたべたように記憶しています。けれども、わたしはベジタリアンです。 読者のみなさんも、きのうも きょうも肉をたべたかもしれませんが、ベジタリアンです。 まえに、「人間とは、肉をたべるベジタリアンのことだ」という文章をかきました。 これにたいし、タカマサのきまぐれ時評2さんからトラックバックをもらいました。いまさらながら、補足をかねて、おへんじをかきます。 「人間とは、肉をたべるベジタリアンのことだ」というのは正論だとはおもうが…の後半部分をとりあげます。タカマサさんは、わたしの記事に、つぎのようにコメントしています。■たとえば、「ひとは すべて、倫理的、宗教的、健康的、体質的、味覚的な理由から たべるものをえらんでいる。すべての材をたべるひとは どこにも いない」「人間すべての質でもある」という記述は、人類学的には ただしい。■しかし、だったら、「ヒト=ベジタリアン」というこ

    わたしたちは、わたしも あなたもベジタリアンだ - hituziのブログ 無料体験コース
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/05/20
    「この神様やろう」は自分でも おきにいり。kmizusawaさんも、もちろんベジタリアンです。わたしも、にたようなもんですからね。てゆーか、わたしゃ「認定者」になろうとしてるのではなーーーい(笑)。
  • 漢字の知識 - hituziのブログ 無料体験コース

    漢字をかけるかどうかで ひとを評価するのは、くだらないことだ。さらには、漢字の知識を基準にして待遇が かわってしまったりするならば、不当なことだ。 毎日 漢字をつかっているひともいれば、漢字の知識が要求されない日常をおくっているひともいる。漢字の知識は普遍的な なにかではない。日語をよみかきできるかどうかを認定するのに漢字がよめるかどうかを判断基準にどうしても ふくめなくてはならない必然性はない。 だが、漢字をよくしっているひとは、漢字の知識をだれもが共有しているべき社会生活の大前提であるかのように みなしてしまうことがある。 そんなひとでも、たとえばウェブ上の諸事情に くわしく通じていないことも当然ある。メールのあてさきを全角のローマ字で記入したがためにメールがおくれなかったり、ウェブページの「ソースを表示する」ということが理解できなかったりするわけである。ウェブを利用しているひとのう

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/05/19
    野村雅昭(のむら・まさあき)『漢字の未来 新版』三元社の出版を記念して。
  • もっと妄想しよーぜ - hituziのブログ 無料体験コース

    わたしは、空想家です。 ゆめを みるひとです。おもいえがく ひとです。想像力が ゆたかです。 わーい。 妄想するのは、たのしいことです。たのしいことを妄想するのが たのしいというより、妄想すること自体が たのしいことです。ええ、わたしにとっては。 なにをいうときにも、「わたしにとっては」という注釈をつける。それが わたしのモットーです。 「性差別と性別主義」にトラックバックをいただきました。うれしいことです。反応をかくまえに、これまで かいた記事をご紹介しましょう。 「自閉症が わからない。人間像をぶちこわせ。」 「人間は、「なるもの」とか「であるもの」なんかじゃないんだ。するものなんだ。」 「ジェンダーは行為だ、するものなんだ。」 くりかえします。 「オトコとかオンナとかってのが実体として つよくイメージされていて、それが うたがわれることがない、という状態」を、わたしは批判します。 「

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/05/13
    おもしろいことをかいたつもり。
  • 「こんなブログが いやだ!」をかんがえる - hituziのブログ 無料体験コース

    横スクロールをおしつける。 画像に代替テキストが ついていない。 文字が かぶさって表示される。 絵文字をつかっている。 漢字表記の なまえや地名に、よみがなをつけない。 英語が あたりまえのように つかってある。日語訳が ついていない。 「ここ」って どこだよ、そのさきに なにが あるんだよ!って おもわせるリンクの はりかたをしている。 こういうのって、いろんなパソコンと、いろんなウェブ ブラウザで みてみないと わからないよね。わたしのパソコンは、iMac(アイマック)で、ブラウザはOpera(オペラ)です。検索マニアさんには、オペラが おすすめですよー(Opera ブラウザ)。 さて、「hituziのブログ 無料体験コース」の こんなところが いやだ!ということについて、コメントを おまちしています。

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/05/10
    そうですか。はてなが いいです? えっけんさんは、fc2なんですね。http://ekken.blog1.fc2.com/ なんか、いいなあ。
  • 性差別と性別主義 - hituziのブログ 無料体験コース

    いまジェンダー論で ひとつの争点となっているのは、ひとことで いえば、「性別主義という問題について、あなたは どのように かんがえるのか」ってことだと おもう。一般的には「性別二元論」と よばれている。だが、三元論なら いいのか。六元論なら いいのか。そういう問題ではないと おもう。ずばり、性別主義が問題なのである。 性差別に反対するのは、まあ、そりゃ そうだよね。性別のちがいによって差別したり されたりしたら いけないよね。これは、はなしとしては納得のいくことのように おもう。じっさいのところは、「そうは いってもねー」と、差別が合理化=正当化されているのが現状なのだけど。 でね、性別主義ってのは、けっこう意識さえ されていないわけ。トランスジェンダーとか、性同一性障害ってのが話題になっても、なお。 オトコとかオンナとかってのが実体として つよくイメージされていて、それが うたがわれるこ

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  • むしろ矛盾しろ - hituziのブログ 無料体験コース

    ひきこもりは存在しない! どこに いるんだよ、ひきこもってる ひとなんて。絶対に自分の部屋から外に でないひとなんて いないんじゃないの? しらないけど。夜は外にでるとかさ、その部屋はインターネットにつながっていて、いろんなひととコミュニケーションをとってたりさ。 全然ひきこもってないんだよ。メールとかチャットとか掲示板の かきこみとかしているのに「外にでない」ってだけで、なんで「ひきこもり」ってことになっちゃうの? 基準が おかしいよ、基準が。夜に「外にでる」んなら、ひきこもりじゃないってば。 なかにはさ、パソコンも電話も もってなくて、部屋の外にも全然でないひとってのも いるのかもしれませんよ。そういうひとは、ええ、たしかに ひきこもりかもしれませんね。もし、そういうひとも いるんでしたら、わたしの発言は不適切でした。さっそく謝罪しておきたいと おもいます。 ええと、ここで いいたいの

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/05/02
    名言だなあ。わたし。"矛盾するのが あたりまえで、一貫性をどこかで うしなってしまうのが当然で、だれかに定義されながらも その定義を破壊するのが人間なのです。「人間は自由である」とは そういうことです。"
  • わたしと あなた - hituziのブログ 無料体験コース

    を10冊くらい かって、喫茶店でケーキセットをたべる。これ、けっこう しあわせ。抹茶のケーキをたべながら、森達也(もり・たつや)さんの『世界が完全に思考停止する前に』をよむ。まえがきから ちょっと引用。人は皆が思っているほどに賢くはない。でも皆が思っているほどに残虐でもない。だからこそ過ちを繰り返す。心が弱くて、優しくて、善意溢れる生きものだからこそ、人は互いに殺し合う。 これを気で認めることは辛い。主語を一人称にしなくてはならないからだ。(8ページから)このから これだけの文言を引用したところで、森さんの思想や姿勢が つたわるわけじゃない。この文言は ただ わたしが気にいって ひっぱってきただけだ。どんな主張や行動にも文脈があり、背景がある。メディアで えられる情報は、すべて きりとられて味つけされた断片にすぎない。そして、わたしが かいている この文章も。 最近、気になっているこ

    わたしと あなた - hituziのブログ 無料体験コース
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    hituzinosanpo 2008/03/31
    "「わたし」は「あなた」に たずねてるわけで、「一般論」なんぞ もちださないでほしい。「あなた個人」が どう かんがえるのか、それをききたいのだ。社会をかえていく力は、それぞれの個人の意志と選択にこそ ある"
  • 批判の対象は、「人間のありかた」であり、そこには自己批判もふくまれる。 - hituziのブログ 無料体験コース

    「言語帝国主義とは なにか。たなか『ことばと国家』を批判する。」という文章を当直あけのテンションで かいたわけだが、いろいろと反響をいただいた。 Pravda の日記「言語帝国主義と近代国家」では、最初、わたしが ましこ・ひでのりさんではないかと かかれていた。もちろん、わたしは ましこ・ひでのりさんではない。 このブログでは、社会言語学研究者としての わたしの問題関心は、ほとんど かかずに やってきた。たまに ふれるようなことはあっても、全面的に とりあげるようなことは なかった。最近では、障害学であるとか社会言語学の問題意識を披露しているので、読者の かたに すぐわかるように、わたしの なまえをかいておこうと おもう。 わたしは、あべ・やすしと いいます。社会言語学、識字研究、障害学などをやっています。 さて、タカマサのきまぐれ時評からトラックバックをいただいた。言語学者の「さが」=「

    批判の対象は、「人間のありかた」であり、そこには自己批判もふくまれる。 - hituziのブログ 無料体験コース
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    hituzinosanpo 2008/03/30
    言語帝国主義批判へのコメントにこたえて。"コミュニケーションには正解もなければ、障害もない。"
  • 言語帝国主義とは なにか。たなか『ことばと国家』を批判する。 - hituziのブログ 無料体験コース

    外部から批判するのは、たいていの場合、かんたんなことだ。 国語学の そとから、国語学の わくぐみを批判する。かんたんですよ。単一言語主義による「体制の言語」(その社会における支配言語、権威化された言語のこと)をもって国語とよびならわし、それを研究する。その研究は、だれのための、だれによる研究なのか。それは、「国語」から かけはなれた言語を第一言語とするひとのための研究などではない。いかに、現体制における国語のありかたが すばらしいか、あるいは、現体制以前、つまりは歴史的なありかたが すばらしかったかという視点にたち、自分にとっては価値があると おもわれる国語をよりいっそう権威化するための研究。だから だめだと。そういう批判ができる。 国語学を外部から批判する。外部からみていると その保守的性格や排他性が よくみえる。なるほど、そうだろう。 日の文脈で「国語」というものは、ひとつの規範化さ

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/03/24
    ブクマコメントをかきかえますね。→ "そんなことは ないのなら。そんなことは ないというのなら、どうするのか。"
  • 「ひとつの論文」の文脈(「漢字という障害」と「漢字という権威」) - hituziのブログ 無料体験コース

    自分が かいた論文をよんでもらう。そして、感想をもらう。ありがたいことだ。発表したものであるから、おねがいしなくても よんでもらえることがある。感想まで もらえることがある。めったにないことだが、いつでも うれしいことだと おもいます。 ひとつ、おもうのです。なにか論文をひとつ かきます。その文章は、どれほどにオリジナルで あたらしい内容であろうとも、これまでの議論の蓄積のうえに なされるものです。これまでの土台があってこその、一文なのだと おもっています。だから、ひとつの論文は、それで完結するものではなくて、そこから「ひろがっていくもの」、「つながっていくもの」だと おもいます。けれども、その論文の内容に ものすごく興味がそそられるというのでなければ、読者は そこで満足をします。ひとつの論文をよんで、そこからさきへは すすみません。それが残念なことのように おもうのです。 もちろん、それ

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/03/11
    わたしの たちばです。
  • 自閉症が わからない。人間像をぶちこわせ。 - hituziのブログ 無料体験コース

    自閉症について あれこれ かんがえているんですけど、よく わかりません。自分で みていること、感じていること。そして、に かいてあるようなこと。 わたしは だれを自閉症というワクで とらえていて、だれは とらえていないのか。そして、それは なぜか。 自閉症という用語は へんなもので、あまりにも誤解をまねきやすい表現だと感じる。自閉症は孤立する性格のもちぬしってことじゃないのにね。コミュニケーションが すきなひとが ほとんどだし、ただそのコミュニケーションが奇妙にみえるというだけ。その奇妙にみえるというのも100人の自閉者と1年でも2年でも1週間でも いっしょにいれば、たんなる「ふつー」に かわってしまう性質のものですよ。 自閉症といっても100人いれば100人 みんな ちがう。あたりまえだけどさ。 わからないことを、わからないままに、わかろうとしながら、それでも わからないという状態を、

    自閉症が わからない。人間像をぶちこわせ。 - hituziのブログ 無料体験コース
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/02/12
    ラブレターをかきました。よんでください。
  • 人権教育は、ありえない - hituziのブログ 無料体験コース

    人権教育にかんする原稿をよんだ。すばらしい内容。 ここでは、原理的な はなしをかく。とても重要なはなしなので、かんがえてみていただきたい。 なにが教育をなりたたせるのか。たとえば、学生みんなが席にすわって授業をきく。授業に参加する。これをあたりまえのことだと想定すること自体が、おそろしい発想である。 ある高校がある。進学校だ。みんな授業に参加している。一部が いねむりする程度だ。すばらしい。 もうひとつ高校がある。授業中、さわぎっぱなしだ。教師は、しずかにしなさい! すわりなさい!をさけびつづけないと いけない。あるいは、だれにも きこえないことをわかっていながらも、こえをはりあげようとも かきけされてしまうがために、たんたんと授業をつづけているかもしれない。 なぜ、このようなことになるのか。わたしにとって、授業にならない教室というものは、とても自然なことだと おもえる。50分も席に すわ

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    hituzinosanpo 2008/02/05
    みなさまに感謝。ちょっとした おへんじをコメント欄に かきました。 / 関連:http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20081104/1225776487
  • しばし - hituziのブログ 無料体験コース

    しばらくのあいだ、このブログを放置します。 最近かいていた内容は一部で好評をえていたような気もしますが、わたしの勝手な おもいちがいだということにして、ちょっと おやすみします。わたしが まだ ちゃんと うごいているらしいことは、はてなブックマークをみていただければ、ご確認できるかと おもいます。 え、そんな必要はない? そうですよね。えへ。 まあちょっと いそがしいんですよ。 でわ。

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    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/01/10
    え…(笑)。閉鎖じゃないです。きゅーけーです。