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新・ベルリオーズ入門講座 第8講 キリストの幼時 (1854) “モーツァルトがいなかったら、何の躊躇もなく言おう。これこそこの世におけるたった一つの宝石であると。” ベルリオーズの諸作品中でも、際立って異彩を放つ作品である。データ欄を読む限りでは、ごく普通の(むしろやや大掛かりな)編成に見えるが、実は、金管と打楽器は、ほとんど沈黙を守っているのである。響きも古雅を極め、「なるほど、ベルリオーズといえども、他の(ほとんどあらゆる)作曲家たちと同様に『晩年形式』に傾斜するものであるのだなぁ」などと感心すると、莫迦を見る。 バロック風に響くのも当然。これは、悪意に満ちた偏見と先入観に基づく酷評に悩まされたベルリオーズが、ひとつ先入観の無い批評を聞いてやろうじゃないかと、自分の名を伏せ、「パリの宮廷礼拝堂の楽長であったピエール・デュクレが1679年に作曲した、古風なオラトリオの断章」として発表し
☆楽譜出版《ASKS.orchestra》交響曲,協奏曲,室内楽などのスコアを電子版(PDF)で販売中。海外向け→** 出版作品一覧→***NEW ◆《図解クラシック音楽大事典》(学研)イラストとまんがでオーケストラや楽典から音楽史までを紹介する掟破りの入門書。旧〈音楽大事典〉の超大幅改訂復刻版。 ◆《作曲は鳥のごとく》(春秋社)自らの作曲家生活を綴った独学の音楽史@2013年3月刊 ◆《調性で読み解くクラシック》(ヤマハ)調性および音楽の謎を楽理・楽器・科学・歴史から読み解く文庫版入門書。 ようやく出たNAXOSの日本作曲家選輯新譜で、師匠松村禎三の交響曲第1番と第2番を聞く。 第1番(当時はただ「交響曲」というタイトルだった)は、「日本にこんな凄い交響曲を書ける作曲家がいたのか!」という衝撃を受け、(次作「管弦楽のための前奏曲」と共に)私が弟子入りするきっかけになった曲。 冒頭「ダフニ
むかし無名で貧乏な作曲家の卵をやっていた頃、同じ境遇の若い作曲家仲間にこう問われたことがある。 「もし自分の書いた音楽が誰の耳にも届かないとしても、 それでも君は作曲をするか?」 二十代の始め、大学もやめて完全に無職無収入のまま、独学で作曲の勉強だけしていた「どん底」の頃だ。実際、その前後数年にわたって、まったく誰の耳にも届かない音楽を作曲し続けていた真っ只中であり、考える余地もなく「もちろん、作曲する」と答えた。 もっと怖い問いもあった。 「誰の耳にも届かなかった〈音〉は それでも存在したことになるのか?」 これは(特に音楽をやるものにとっては)かなり怖い想像だ。 音は発せられて空気を振動させる。でも、それが誰の耳にも届かなければ、それは〈音〉として観測されない。すなわち〈存在〉しないことと全く区別が出来ない。 作曲されても、演奏すらされない音楽は、そもそも空気を振動させることすらない。
20世紀の初め、伝統と新しい近代文明との狭間で大きな曲がり角を迎えるヨーロッパ音楽(西洋クラシック音楽)に対し、新大陸アメリカでは、全く異質の文化が出会うことによって生まれた新しい音楽が開花していた。 それは、奴隷として新大陸に連れてこられた黒人たちによるアフリカ音楽と、移民として入植した白人たちのヨーロッパ音楽が奇妙に融け合った音楽で、最初は遠いアフリカへの郷愁と奴隷の境遇を嘆きつつギターをかき鳴らす「ブルース」として広まった。 やがて、この音楽は西部の酒場に転がっていたピアノや南北戦争の軍楽隊の楽器(トランペットやベース、太鼓など)と合体して、いくぶん賑やかな酒場の音楽「ジャズ」となった。 そして、1920年代頃には、この「ジャズ」は、アメリカを代表する音楽として洗練の極に達する。ガーシュウィンやラヴェルが登場した時代だ。 さらに、第二次世界大戦前後、黒人音楽「ブルース」にリズムを加え
7/23(金)朝・昼の番組 7/23 (Fri) 12:05-14:00 (7/22 22:05-24:00/CDT) KUHF (mp3/wma) Elena Urioste(ヴァイオリン)マーク・エルダー指揮シカゴ交響楽団 ティペット:2群の弦楽のための協奏曲、ヴォーン・ウィリアムズ:揚げひばり、エルガー:交響曲第2番 7/23 (Fri) 12:05-15:05 (13:05-16:05/AEST) ABC Classic FM (wma) Eric Leidal、Tore Tom Denys(テノール)Vivante カペスベルガー、ストロッツィ、フレスコバルディ、モンテヴェルディらの声楽作品 7/23 (Fri) 16:05-17:05 (10:05-11:05/EEST) Estonia Klassikaraadio (wma) Bui Cong Duy(ヴァイオリン)ペーター
あの「のだめカンタービレ」の中に、ちょっとしゃれたセリフがあった。 むかしは、音楽理論を熟知し理性で音楽を把握できる人のみを「ムジクス(音楽家)」と言い、 歌ったり演奏したりするだけの人を「カントル(歌い手)」と呼んだ。 これは、カンタービレ(歌うように)ということばの語源を語るセリフで、ただピアノを弾いたり歌ったりして音楽を楽しむだけでなく、知的に音楽を探究する姿勢があってこそ「音楽家」なのですよ、という「ちょっといい話」。 確かに中世やルネッサンス期の「音楽家」というのは、音楽を歌ったり演奏したりする人のことではなく、音楽全般に通じた人のことだったようだ。 実際、古代ローマ時代には「文法、修辞学、弁証法」と共に「算術、幾何、天文、音楽」がインテリの必修七科目だったそうで、「音楽」は単なる「娯楽」などではなく立派に「学問」のレベルだったらしい。 かのレオナルド・ダヴィンチがそうだったよう
先日の「盗作」問題にも関連してひとこと。 音楽の勉強は「模倣」が基本。ベートーヴェンが気に入れば真似して作曲し、ビートルズが好きなら真似して歌う。 でも、あんまり「才能がある」と、そのまんまベートーヴェンそのまんまビートルズになってしまう。それではただの「盗作」であり「物まね」にしかならない。 むしろ「才能がない」方が、自分では真似しているつもりなのに、似ても似つかない「聞いたことのない音楽」になる。それこそが「創造」であり「個性」の原点。 芸事でも、最初から上手く出来てしまう器用な子より、なかなか出来ずに悩みながら鍛錬を重ねる子の方が、一家を成すという。 新しいものは「マネしそこなった」時にこそ生まれる。プロはそれが許されない可哀想な商売だが、若い人は真似や模倣を怖れちゃいけない。 才能のない人はさいわいである。 音楽はあなたのものだからだ。
ヨーゼフ・マルティン・クラウス(Joseph Martin Kraus, 1756年6月20日 ミルテンベルク - 1792年12月15日 ストックホルム)はドイツ生まれのスウェーデンの古典派の作曲家。「スウェーデンのモーツァルト」という異名を持つ。作品は一般的にVB ヴァン・ボーア番号で整理される。 近年になってナクソスによる交響曲全集などのCDがリリースされ、その名が知られるようになった。 生涯[編集] 1756年、マイン川沿いのミルテンベルクで生まれる。マンハイムのイエズス会ギムナジウムに学んだ後、マインツ、エアフルト、ゲッティンゲンの各大学で哲学と法学を学ぶ。彼は音楽家以外に劇作家、著述家、画家としても活動しており、一生の大半を音楽の旅に費やしたモーツァルトとは全く違う運命をたどった。 1781年にストックホルムのグスタフ3世の宮廷作曲家として任用され、翌1782年から約4年間、イ
ハラール・シグール・ヨハン・セーヴェルー(Harald Sigurd Johan Sæverud, 1897年4月17日 – 1992年3月27日)は、ノルウェーの作曲家。指揮者としてしばしばベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団に客演し、自作を上演した。9つの交響曲や大量のピアノ曲を残している。 ベルゲン出身。基礎教育をベルゲン・グリーグ音楽院で修め、ライプツィヒに学んだ作曲家ボルクヒルト・ホルムセンらに師事した。この間にいくつかの大規模な《交響的幻想曲》に着手するが、これらはその後《交響曲 第1番》へと発展した。そのうち《幻想曲 第1番》は1919年に完成し、翌1920年にクリスチャニア(現オスロ)で上演された。破格の才能が発揮されたこの作品によって奨学金を受け、ベルリン高等音楽学校で2年間フリードリヒ・コッホに師事することができた。ベルリン時代に交響曲第1番の終楽章となる部分を完成させ、
ニルス・ウィルヘルム・ゲーゼ(またはガーゼ、ガーデ、Niels Wilhelm Gade, 1817年2月22日 - 1890年12月21日)は、デンマークの作曲家・指揮者・音楽教師。北欧諸国の音楽界の近代化に貢献した。作曲家アクセル・ゲーゼは2番目の妻の間にできた息子である。 コペンハーゲンの楽器職人の家庭に生まれ育つ[1]。17歳でコペンハーゲンの王室オーケストラでヴァイオリン奏者として活動を開始し、1842年、自作の《交響曲第1番》を提出するが、コペンハーゲンでは演奏が拒否された。しかし、これをフェリックス・メンデルスゾーンに送付したところ、積極的に受け入れられ、1843年、メンデルスゾーンの指揮でライプツィヒで初演してもらうことができた。そこでゲーゼも同地に転出、ライプツィヒ音楽院で教鞭をとるかたわら、ゲヴァントハウス管弦楽団の副指揮者を務めた。メンデルスゾーンと親交を結んで、創作
吉松隆著 講談社刊(講談社+α新書) ISBN978-4-06-272625-2 「クラシック」+「ミステリー」というタイトルだと、なんだかNHKの「名曲探偵アマデウス」を連想させられますね。もっとも、あちらは「ミステリー」とは名ばかり、実体は「謎解き」に名を借りた単なる「アナリーゼ」ですがね。それに無理矢理こじつけた「ドラマ」が、とことんチープ。そんな強引さが意味もなく笑いを誘うから不思議です。 いやしくも作曲家である吉松隆さんが書いたこんな扇情的なタイトルの本は、「笑い」という点では「名曲探偵」にもひけをとらないものでした。なんたって、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を「ミステリー」に仕立てているのですからね。「ドン・ジョヴァンニは誰に殺されたか」という、この名作オペラをいわば「殺人事件」見立てた「読み替え」は、しかし、読者の知的好奇心を満足させるだけの周到な「本格推理」作品に仕上
【2010年1月16日(土) 16:30~ シネスイッチ銀座】 <2009年 仏(原題"COCO CHANEL&IGOR STRAVINSKY")> →アナ・ムグラリス(ココ・シャネル) マッツ・ミケルセン(イーゴリ・ストラヴィンスキー) グリゴリイ・マヌコフ(セルゲイ・ディアギレフ) マレク・コサコフスキ(ヴァーツラフ・ニジンスキー) ジェローム・ピルマン(ピエール・モントゥー)ほか ⇒ヤン・クーネン(監督) 舞台は1920年のパリ。一流デザイナーの地位を手にしながら、初めて心から愛した男を事故で亡くし、悲しみにくれるココ・シャネル。天才音楽家でありながら、「春の祭典」初演を酷評され、悲観にくれるイーゴリ・ストラヴィンスキー。そんな2人が出会い、たちまち恋に落ちていく―。 妻子あるストラヴィンスキーだが、2人はお互いを刺激し、高め合い、心を解放し、悲しみさえも活力にかえていった。そしてお
はびきの市民大学、お陰様で全12回を終えることができました。 http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20091114/p1 最終回は朝比奈隆論をやりました。以下、順を追ってご説明させていただきます。 ポイントは5つ。 (1) 関西楽壇には「外へ開かれた窓口」が必要だった。それが朝比奈隆。 (2) でも、朝比奈隆は、玄人筋の評価と愛好家の評価が極端に割れている。 (3) そこには、自主運営オーケストラの「代表制」問題がある。 (4) そして朝比奈隆の影には、いつもマネージャー野口幸助がいた。 (5) しかし最晩年の朝比奈隆の傍らに、野口幸助はいなかった。 (1年以上前に、中丸美繪さんの朝比奈隆評伝の関連ブックガイドとして書いた文章も、少しは物の見方がマシになっているでしょうか……。参考文献等は、その中丸ブックガイド記事でご確認ください。→http://d.hatena
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