タグ

ブックマーク / nishiogikucho.hatenadiary.org (3)

  • 不自由であることに快楽をおぼえられるかどうか、それが問題だ - 西荻区長2009(虫博士日記)

    最近、職場で、「最近の若い衆は最低限の教養すらない」というぼやきがあって、彼らのために「これだけは知っておけよ」というリストを年長者が作るべきではないか、という提案があった。まあ、俺もその立場上、そのリストを作らなくちゃいけないんだけど……憂だ。 なぜ憂か? そもそも「教養」ってなんだ?と思うから。それだけなんだけど……いつものように、ダラダラと迂回しながらこのことについて書いてみよう。 先日、西荻のとあるお店で飲んでいて、そこのマスターと話す機会があった。お互いに、哲学に関心があって、共通の読書体験があったりしたんだよね。年齢が近いこともあって、「やっぱりニューアカの残り香とかありましたよね」とか、そういう雑談ね。 で、そのときに、「ところで最近の若い衆は、背伸びをしない印象がある」という話になった。自分がある・著者について知らないということを、まるっきり恥じないで、開き直っている

    不自由であることに快楽をおぼえられるかどうか、それが問題だ - 西荻区長2009(虫博士日記)
  • ■ - 西荻区長2009(虫博士日記)

    今月号の「新潮」(ECDの小説が載っていると知って買った)に、中原昌也のインタビューが掲載されていて、あまりに真摯な言葉に打たれてしまった。特に次の言葉には、思わず赤線を引いてしまった。 誰もがよかったよかったと思える話のために、文字は存在するわけではない。個人個人が、ひとつしか持てない自分の考えに接近するために、文字が必要なんです。共感のためではないんです……と、ちょっとエラソウに言ってみました(笑)。そういうのがあるから、人間は時代を超えて同じ存在であると了解できるのに、原始的なものに酔っていたらジャンキーや廃人と同じだもん。 特に「自分の考えに接近するために」という部分に強く魅かれる。決して、「自分を表現するため」ではない。文字を介したときに初めて出会うことのできる、自分発の他者に接近するってことなんじゃないかな。 そうそう。先週、テアトルタイムズスクエアで『ウォーク・ザ・ライン/君

    ■ - 西荻区長2009(虫博士日記)
  • 昨日あたりからふと思いついたこと - 西荻区長2009(虫博士日記)

    議論の場で、「正論」を言われて、なんとなく場が寒くなることがある。 コメント欄とか、トラバとか、飲み屋の愚痴とか。 そう、愚痴を言いたいだけの人に、「働けばいい」「転職すればいい」「過去の決断を変えることはできないのだから前向きになれ」「俺も似た失敗をした。お前はこうすればいい」……なんていう「正論」を言っても、仕方がない。 愚痴っていうのは、人の話にかこつけてする場合もあるよね。ブログなんかだと、人のエントリーへのトラバ記事で、「自分も似たような経験をしたことがあり」云々と。そういうトラバ記事を、「意見」として扱う(つまり、一種の「正論」として扱う)から、変なことになる。単純に、人の話に刺激されて、自分語りをすることってある。俺のこのエントリーもそう。 こっから題……になるかな? ふと思ったんだけど、「でも、正論ってなんなのさ?」。 愚痴を言ってる人に、「論理的に反証」するのが「正論」

    昨日あたりからふと思いついたこと - 西荻区長2009(虫博士日記)
    hyakdaivsgm
    hyakdaivsgm 2006/04/10
    「そうじゃねぇんだよ」(by 五味太郎)
  • 1