交響曲第8番は、ジャン・シベリウスが手がけた大規模な作品として最後のものであったが、完成したものが公開されることはなかった。この作品のスコアは1945年にシベリウス自身によって焼却され、存在しない。この作品は、20世紀における最大の音楽上の謎とされている。 作品の存在を示唆するもの シベリウスは1926年に最後の完成作である交響詩『タピオラ』を完成させたが、その完成後、さらに30年生きた。そして、その期間ずっと交響曲第8番の作曲に取り組んでいたとする説もある[1] 。 彼は、早ければ1930年ごろに交響曲第8番を仕上げると約束していた。1931年にベルリンで「交響曲は大きな歩幅で進んでいる」と報告し、同年12月の日記には「私は『第8番』を書いている。青春のまっただ中だ」と記している[2]。また、妻アイノへの手紙で、交響曲の構成を説明している。さらには、1930年代半ばに、五線紙を大量に発注