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ブックマーク / numabe.exblog.jp (16)

  • 西村勇晴さんの死を悼む | 私たちは20世紀に生まれた

    沼辺信一 [Shin-ichi Numabe] 1952年東京に生まれ、 1975年まで埼玉で暮ら す。大学を中退後は 上京して独り暮らしを 始め、多くの友人と出 逢う。生活のためバイト に精を出すうち、編集 プロダクション見習とし て書籍編集のイロハを 身につける。1988年、 取材で初めて訪れた外国 都市がレニングラード だった。 1989年から2003年 まで美術館の学芸員。 ジョゼフ・コーネル、 モネ、ルノワール、 若林奮など の展覧会を担当。 引退後は海辺で悠々自適の生活を旨とし、ブログ執筆のほか、折りにふれてバレエ・リュス、ロシア、プロコフィエフの日滞在などについて論考を綴っている。国境を越えた20世紀芸術の伝播に強い関心を抱くとともに、自らのルーツである70年代カルチャーにもやみがたい郷愁を 覚える。 ◆ 好きな作曲家/ パーシー・ グレインジャー、モーリス・ジョーベー

    西村勇晴さんの死を悼む | 私たちは20世紀に生まれた
    hyougen
    hyougen 2023/01/14
  • どこまでがドビュッシーなのか、それが問題だ | 私たちは20世紀に生まれた

    沼辺信一 [Shin-ichi Numabe] 1952年東京に生まれ、 1975年まで埼玉で暮ら す。大学を中退後は 上京して独り暮らしを 始め、多くの友人と出 逢う。生活のためバイト に精を出すうち、編集 プロダクション見習とし て書籍編集のイロハを 身につける。1988年、 取材で初めて訪れた外国 都市がレニングラード だった。 1989年から2003年 まで美術館の学芸員。 ジョゼフ・コーネル、 モネ、ルノワール、 若林奮など の展覧会を担当。 引退後は海辺で悠々自適の生活を旨とし、ブログ執筆のほか、折りにふれてバレエ・リュス、ロシア、プロコフィエフの日滞在などについて論考を綴っている。国境を越えた20世紀芸術の伝播に強い関心を抱くとともに、自らのルーツである70年代カルチャーにもやみがたい郷愁を 覚える。 ◆ 好きな作曲家/ パーシー・ グレインジャー、モーリス・ジョーベー

    どこまでがドビュッシーなのか、それが問題だ | 私たちは20世紀に生まれた
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    hyougen 2021/06/09
  • ピーター・バルトークを追悼する | 私たちは20世紀に生まれた

    沼辺信一 [Shin-ichi Numabe] 1952年東京に生まれ、 1975年まで埼玉で暮ら す。大学を中退後は 上京して独り暮らしを 始め、多くの友人と出 逢う。生活のためバイト に精を出すうち、編集 プロダクション見習とし て書籍編集のイロハを 身につける。1988年、 取材で初めて訪れた外国 都市がレニングラード だった。 1989年から2003年 まで美術館の学芸員。 ジョゼフ・コーネル、 モネ、ルノワール、 若林奮など の展覧会を担当。 引退後は海辺で悠々自適の生活を旨とし、ブログ執筆のほか、折りにふれてバレエ・リュス、ロシア、プロコフィエフの日滞在などについて論考を綴っている。国境を越えた20世紀芸術の伝播に強い関心を抱くとともに、自らのルーツである70年代カルチャーにもやみがたい郷愁を 覚える。 ◆ 好きな作曲家/ パーシー・ グレインジャー、モーリス・ジョーベー

    ピーター・バルトークを追悼する | 私たちは20世紀に生まれた
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    hyougen 2020/12/19
  • 2019年わが三冊 | 私たちは20世紀に生まれた

    12月にはどこの新聞でも読書欄に「今年のわが三冊」といった年末特集があり、各界の著名人士がめいめい推薦書目を挙げていた。それにあやかって、小生も思いつくまま三冊を選んでみた。2019年に出た新刊書から、たまたま小生の視界に入った諸書のうちで、20世紀芸術史に絞ってのセレクション。 高橋健一郎 ロシア・アヴァンギャルドの宇宙論的音楽論 言語・美術・音楽をつらぬく四次元思想 水声社 2019年1月刊 →書影と概要 平居高志 中国で最初の交響曲作曲家 冼星海とその時代 アルファベータブックス 2019年7月刊 →書影と概要 斎藤慶子 「バレエ大国」日の夜明け チャイコフスキー記念東京バレエ学校 1960–1964 文藝春秋企画出版部 2019年12月刊 →書影と概要 文句なしの三冊である。 最初の高橋健一郎は、20世紀初頭のロシア文化研究の若き泰斗であるとともに、自らピアノ演奏もよくする異能の

    2019年わが三冊 | 私たちは20世紀に生まれた
    hyougen
    hyougen 2020/01/02
  • 好きな作曲家10人あげると人柄がわかる | 私たちは20世紀に生まれた

    沼辺信一 [Shin-ichi Numabe] 1952年東京に生まれ、 1975年まで埼玉で暮ら す。大学を中退後は 上京して独り暮らしを 始め、多くの友人と出 逢う。生活のためバイト に精を出すうち、編集 プロダクション見習とし て書籍編集のイロハを 身につける。1988年、 取材で初めて訪れた外国 都市がレニングラード だった。 1989年から2003年 まで美術館の学芸員。 ジョゼフ・コーネル、 モネ、ルノワール、 若林奮など の展覧会を担当。 引退後は海辺で悠々自適の生活を旨とし、ブログ執筆のほか、折りにふれてバレエ・リュス、ロシア、プロコフィエフの日滞在などについて論考を綴っている。国境を越えた20世紀芸術の伝播に強い関心を抱くとともに、自らのルーツである70年代カルチャーにもやみがたい郷愁を 覚える。 ◆ 好きな作曲家/ パーシー・ グレインジャー、モーリス・ジョーベー

    好きな作曲家10人あげると人柄がわかる | 私たちは20世紀に生まれた
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    hyougen 2019/12/09
    “シャルル・ケックラン”
  • 偉大なるミシェル死す | 私たちは20世紀に生まれた

    沼辺信一 [Shin-ichi Numabe] 1952年東京に生まれ、 1975年まで埼玉で暮ら す。大学を中退後は 上京して独り暮らしを 始め、多くの友人と出 逢う。生活のためバイト に精を出すうち、編集 プロダクション見習とし て書籍編集のイロハを 身につける。1988年、 取材で初めて訪れた外国 都市がレニングラード だった。 1989年から2003年 まで美術館の学芸員。 ジョゼフ・コーネル、 モネ、ルノワール、 若林奮など の展覧会を担当。 引退後は海辺で悠々自適の生活を旨とし、ブログ執筆のほか、折りにふれてバレエ・リュス、ロシア、プロコフィエフの日滞在などについて論考を綴っている。国境を越えた20世紀芸術の伝播に強い関心を抱くとともに、自らのルーツである70年代カルチャーにもやみがたい郷愁を 覚える。 ◆ 好きな作曲家/ パーシー・ グレインジャー、モーリス・ジョーベー

    偉大なるミシェル死す | 私たちは20世紀に生まれた
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    hyougen 2019/01/28
  • ベルナルド・ベルトルッチの死を悼む : 私たちは20世紀に生まれた

    沼辺信一 [Shin-ichi Numabe] 1952年東京に生まれ、 1975年まで埼玉で暮ら す。大学を中退後は 上京して独り暮らしを 始め、多くの友人と出 逢う。生活のためバイト に精を出すうち、編集 プロダクション見習とし て書籍編集のイロハを 身につける。1988年、 取材で初めて訪れた外国 都市がレニングラード だった。 1989年から2003年 まで美術館の学芸員。 ジョゼフ・コーネル、 モネ、ルノワール、 若林奮など の展覧会を担当。 引退後は海辺で悠々自適の生活を旨とし、ブログ執筆のほか、折りにふれてバレエ・リュス、ロシア、プロコフィエフの日滞在などについて論考を綴っている。国境を越えた20世紀芸術の伝播に強い関心を抱くとともに、自らのルーツである70年代カルチャーにもやみがたい郷愁を 覚える。 ◆ 好きな作曲家/ パーシー・ グレインジャー、モーリス・ジョーベー

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    hyougen 2018/11/27
  • 薄井憲二さんも亡くなった | 私たちは20世紀に生まれた

    訃報が続く。日バレエ協会の前会長でバレエ史研究の第一人者だった薄井憲二さんが亡くなられた。享年九十三というから、文字どおり大往生である。 十代でバレエに目覚め、蘆原英了と東勇作に師事して、バレエ史と舞台での実践をふたつながら志すが、第二次大戦で応召、満洲へ送られた。敗戦後、四年間の苦しいシベリア抑留を経験されたが、これを奇貨としてロシア語を習得して帰国。東京大学を卒業後、舞踊家・振付家として数多くの舞台を踏んだ。 並行してディアギレフのバレエ・リュスについて資料の蒐集を続け、そのコレクションは質量ともに世界最大級と評価されている。 1998年に東京・池袋のセゾン美術館で「ディアギレフのバレエ・リュス」展が開催されたとき、カタログ寄稿者のひとりだった小生は、同館学芸員の一條彰子さんのご厚意で、出品資料をお借りするため薄井さんのご自宅まで同行させてもらった(研究者の芳賀直子さんも一緒だった)

    薄井憲二さんも亡くなった | 私たちは20世紀に生まれた
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    hyougen 2017/12/27
  • マニュエル・ロザンタール、エリック・サティを語る : 私たちは20世紀に生まれた

    hyougen
    hyougen 2016/05/17
  • また見つかった「永遠」──ストラヴィンスキーの「葬送の歌」 | 私たちは20世紀に生まれた

    いやはや長生きはしてみるもんだ。このところ思いも寄らぬ発見──より正しくは再発見が相次いでいる(例えば →奇蹟の出現「トゥー・マッチ・ジョンソン」)。その都度、歴史的瞬間に立ち会う歓びをしみじみ噛みしめている。え? 今度は何が見つかったって? もちろん「永遠」に決まっている。 まずは、これだ。朝日新聞デジタル版(9月7日配信)から引く。 「目玉の松ちゃん」の愛称で親しまれた日初の映画スター、尾上松之助(おのえまつのすけ、1875~1926)が主演した「忠臣蔵」の映画フィルムが、京都市内で見つかった。生涯に一千以上の作品に出演したとされるが、映画フィルムはこれまで十程度しか確認されておらず、極めて貴重だ。松之助の生誕140年を記念し、10月の京都国際映画祭で上映される。 見つかったのは、1926年に日活が製作した「実録忠臣蔵」(池田富保監督)を家庭向けに再編集した9・5ミリのパテベビー

    また見つかった「永遠」──ストラヴィンスキーの「葬送の歌」 | 私たちは20世紀に生まれた
    hyougen
    hyougen 2015/09/10
  • グレインジャーを忘れずにいよう | 私たちは20世紀に生まれた

    かつてあれほど盛り上がったのが嘘のようにパーシー・グレインジャー熱が冷めてしまった。小生の個人的な心変わりの話ではない。どうやら世界的な趨勢らしいのである。歿後五十周年の2011年を潮に、CD新譜もパタリと途絶えてしまい、彼の名前を目にする機会すら絶えてなくなったのは一体全体どうしたことか。グレインジャーは一時の流行りものだったのだろうか。だとすれば悲しすぎる。 "Ever Yours: Selected Music and Letters of Percy Grainger" パーシー・グレインジャー: モリスもどき 12月6日木曜日の午後、短い講演をすることになっている 私のロビンは緑の森に 親愛なる "København" コロニアル・ソング 私は転換点に立っているところだ ドリーマリー 作曲は私の生命保険のようなものだと思って取り組んでいる 収穫の讃歌 私のような賢明で洗練過多で好

    グレインジャーを忘れずにいよう | 私たちは20世紀に生まれた
  • かけがえのない吉田秀和 | 私たちは20世紀に生まれた

    沼辺信一 [Shin-ichi Numabe] 1952年東京に生まれ、 1975年まで埼玉で暮ら す。大学を中退後は 上京して独り暮らしを 始め、多くの友人と出 逢う。生活のためバイト に精を出すうち、編集 プロダクション見習とし て書籍編集のイロハを 身につける。1988年、 取材で初めて訪れた外国 都市がレニングラード だった。 1989年から2003年 まで美術館の学芸員。 ジョゼフ・コーネル、 モネ、ルノワール、 若林奮など の展覧会を担当。 引退後は海辺で悠々自適の生活を旨とし、ブログ執筆のほか、折りにふれてバレエ・リュス、ロシア、プロコフィエフの日滞在などについて論考を綴っている。国境を越えた20世紀芸術の伝播に強い関心を抱くとともに、自らのルーツである70年代カルチャーにもやみがたい郷愁を 覚える。 ◆ 好きな作曲家/ パーシー・ グレインジャー、モーリス・ジョーベー

    かけがえのない吉田秀和 | 私たちは20世紀に生まれた
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    hyougen 2012/05/27
  • ブルックリンのセンダック青年 | 私たちは20世紀に生まれた

    つい先ほど友人から教えられたのだが、モーリス・センダックが亡くなったのだそうだ。享年八十三(→NYタイムズの訃報)。まあ致し方ない年齢だろう。それにしても絶句するほかない。 なんだか待ち構えていたみたいだが早速一枚のCDを取り出す。こういうときは悲しむのぢゃなく、陽気な音楽を聴いて不世出の天才(まさにそうだった!)を偲ぼう。 "Carole King *Really Rosie*" 01. Really Rosie 02. One Was Johnny 03. Alligators All Around 04. Pierre 05. Screaming and Yelling 06. The Ballad of Chicken Soup 07. Chicken Soup with Rice 08. Ave. P 09. My Simple Humble Neighborhood 10. T

    ブルックリンのセンダック青年 | 私たちは20世紀に生まれた
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    hyougen 2012/05/09
  • ケン・ラッセル追悼音楽会 第二部 | 私たちは20世紀に生まれた

    続く第二部は時代を遡って1960年代。BBCの敏腕プロデューサー、ヒュー・ウェルドンの下で芸術家を題材にドキュメンタリー映画を量産した若獅子時代。 このBBC在籍期こそは映像作家ケン・ラッセルの才能に磨きをかけ、その後を方向づけた決定的に重要な修業時代といえよう。作品名をいくつか挙げようか。 ジョン・ベッチェマン: 詩人のロンドン 1959 マリー・ランベール回想 1959 ならず者の肖像(スパイク・ミリガン) 1959 失われた世界への旅(ジョン・ベッチェマン) 1960 クランクス・アト・ワーク(ジョン・クランコ) 1960 シーラ・ディレーニーのサルフォード 1960 プロコフィエフ: あるソ連の作曲家の肖像 1961 アントニオ・ガウディ 1961 ロッテ・レーニャ、クルト・ワイルを歌う 1962 エルガー 1962 バルトーク 1964 ドビュッシー・フィルム 1965 いつも日

    ケン・ラッセル追悼音楽会 第二部 | 私たちは20世紀に生まれた
  • 私たちは20世紀に生まれた

    沼辺信一 [Shin-ichi Numabe] 1952年東京に生まれ、 1975年まで埼玉で暮ら す。大学を中退後は 上京して独り暮らしを 始め、多くの友人と出 逢う。生活のためバイト に精を出すうち、編集 プロダクション見習とし て書籍編集のイロハを 身につける。1988年、 取材で初めて訪れた外国 都市がレニングラード だった。 1989年から2003年 まで美術館の学芸員。 ジョゼフ・コーネル、 モネ、ルノワール、 若林奮など の展覧会を担当。 引退後は海辺で悠々自適の生活を旨とし、ブログ執筆のほか、折りにふれてバレエ・リュス、ロシア、プロコフィエフの日滞在などについて論考を綴っている。国境を越えた20世紀芸術の伝播に強い関心を抱くとともに、自らのルーツである70年代カルチャーにもやみがたい郷愁を 覚える。 ◆ 好きな作曲家/ パーシー・ グレインジャー、モーリス・ジョーベー

    私たちは20世紀に生まれた
  • 学芸員は美術館の命綱である | 私たちは20世紀に生まれた

    ここ数日間というもの、屈した気分で塞ぎ込んでいる。怒りと悲しみが沸々とこみ上げ、どうにも憤懣のやり場がない。 2月19日付の『神戸新聞』から記事の全文を引く。 阪神間で戦後、活躍した前衛美術集団「具体」のコレクションなどで知られる芦屋市立美術博物館(同市伊勢町)の学芸員4人全員が、大幅な人件費削減などに反発し、3月末で退職することが18日、明らかになった。学芸員の一斉退職は異例で、同館への寄託品の引き揚げを検討する所有者もあり、地域の文化を伝えるコレクションが散逸する恐れも出ている。 学芸員は、同博物館を運営するNPO法人「芦屋ミュージアム・マネジメント(AMM)」に所属。18日夜、芦屋市役所で事務職員を含む計5人が会見を開き、2010年度末での退職の意向を表明した。 同館は1991年に開館。財政難などから2006年以降、AMMに業務を委託した。学芸員は市職員からAMM職員になって仕事

    学芸員は美術館の命綱である | 私たちは20世紀に生まれた
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