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2019年3月26日のブックマーク (2件)

  • 未経験から7日間でコーダーとして現場投入させるまでのカリキュラムを忘れないようにメモっとく - Qiita

    エンジニア不足と言われて久しいですが、できる経験者を採用するのはますます難しくなっていますね。 そんななか、弊社ではひょんな縁からエンジニア未経験の新人をエンジニアとして採用することになりました。未経験とはいえ、弱小企業の弊社には悠長に育てている余裕がないため、7日間で現場投入を目指してカリキュラムを組みました。 だいたいうまくいったので、メモがわりに晒しておきます。 前提条件 誰でも7日間でエンジニアになれると言っているわけではありません。あくまで一例として捉えていただければ幸いです。 担当してもらう予定の領域 HTML/CSS コーディング JavaScript はそこそこで(動きのエフェクトやカルーセルを仕込める程度) concrete5 テーマの開発(PHPファイルに foreach を入れていくイメージ、WordPress と変わらない) 流石にアプリケーション開発で7日間は無理

    未経験から7日間でコーダーとして現場投入させるまでのカリキュラムを忘れないようにメモっとく - Qiita
  • イチロー引退会見で読み取れた、番記者たちの“地獄”と信頼関係。(プチ鹿島)

    記事を書いたデイリーの小林記者はイチローがメジャー1年目の2001年に初めて野球を担当したという。そんなルーキーに当時27歳のイチローは容赦なかったと振り返る。 《「次どうぞ」、「それ、答えなきゃいけないかな」。記者の質問をことごとくはねつける。無言でスルーされる。そこまで厳しくされる理由が分からなかった。》(デイリー・3月22日) それから3年後に初めて単独インタビュー。イチローが求めていたのは「プロフェッショナル」だったことを知る小林記者。 後年、「(あの頃は)地獄でした」とイチローに語ったという。引退を伝える記事の最後は「イチローには感謝の言葉しかない」。 「僕に鍛えられたんだから……」 同じ紙面には「'94年~'97年までオリックス担当」の記者が、 《記者泣かせの選手だった。》 《想定通りにやりとりが進んだことなんてなかった。》 《「学級新聞じゃないんだから」。時に叱られ、呆れられ

    イチロー引退会見で読み取れた、番記者たちの“地獄”と信頼関係。(プチ鹿島)