「三年予測」は、さまざまな分野で活躍する「トップリーダー」へのインタビューを紹介します。「トップリーダー」の考える未来や、エンジニアへのメッセージを発信します。
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中堅SIerを経て2009年にドワンゴに中途入社。複数のシステムの開発に携わった後、エンジニアの生産性を高めることをミッションとする部署の立ちあげに参加する。趣味はプログラミングとネトゲ。 ドワンゴ清水俊博氏にドワンゴのエンジニア文化について聞いた。2012年4月の第1回「ニコニコ超会議」の後、ドワンゴのエンジニアが大量退職するという危機的な時期があった。エンジニア文化を立て直す社内組織に参加した経緯を聞く。 ──転職のきっかけはコミュニティ活動とのことですが、当時参加していたコミュニティjava-jaの雰囲気をお聞かせください。 java-jaでは、スキルがある人たち、技術力がある人たちに囲まれていました。ヨシオリ(java-jaを立ち上げた庄司嘉織氏、清水氏の元同僚)も当時はSI業界にいて、互いに話をして共感しあい、友人になりました。 java-jaは、ヨシオリが「勉強会」という呼び名
ヤフー勤務、政府CIO補佐官、大学講師 楠正憲 1977年生まれ、36歳。中学で留年し、高校を中退後、大検を取得。浪人中から秋葉原に入り浸り人脈を築く。神奈川大学経済学部在学中よりさまざまなIT系の仕事を経験。1998年2月、学生のままインターネット総合研究所に入社。2002年10月、マイクロソフト(現、日本マイクロソフト)に入社。2012年7月よりヤフー。現在は同社ID本部長。政府CIO補佐官、東京大学、九州大学の大学院非常勤講師などを兼任。 1995年、秋葉原。そこに楠正憲は入り浸っていた。中学で留年し、高校は1年で中退。大学入学資格検定(大検)を取得して大学受験に挑んだが失敗し、浪人中だった。常識的な大人の目からは“落ちこぼれ”の若者に見えていたかもしれない。だが、当時の秋葉原は、まだ何者でもない若者が自分の力でチャンスを掴める場所だったのだ。 それから20年近く経った。現在の楠の職
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