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短歌に関するinmymemoryのブックマーク (142)

  • 字余りの歌について: 前川淳 折り紙&かたち散歩

  • 雪舟えま - Wikipedia

    雪舟 えま(ゆきふね えま、1974年10月7日 - )は、日小説家、歌人。北海道札幌市生まれ。 経歴[編集] 藤女子大学文学部国文学科卒。大学在学中に小林恭二『短歌パラダイス』を読んで作歌を始め、北海道新聞の松川洋子選歌欄に投稿する[1]。 1997年10月号から2013年9月号まで歌誌「かばん」に所属[2]。 2001年刊行の穂村弘の歌集 『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』の「まみ」のモデルとなる[1]。 2011年歌集『たんぽるぽる』刊行。同年よりバンド、スリリングサーティー(声:雪舟えま ギター:フジワラサトシ キーボード:ホソマリ)で活動。 2012年小説『タラチネ・ドリーム・マイン』刊行。 作品[編集] 歌集[編集] 『たんぽるぽる』(2011年・短歌研究社)(2022年・短歌研究文庫) 『はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで』(2018年・書肆侃侃房) 『緑と楯

  • 二条良基 - Wikipedia

    二条良基邸・二条殿址・京都市中京区両替町通御池上る東側 二条良基邸・二条殿御池址・京都市中京区室町通押小路下る東側 二条 良基(にじょう よしもと)は、南北朝時代の公卿、歌人であり連歌の大成者である。従一位。摂政、関白、太政大臣。二条家5代当主。最初の関白は在任13年間の長期にわたり、死の間際まで通算5度(数え方によっては4度[注釈 1])にわたって北朝4代の天皇の摂政・関白を務めた。 生涯[編集] 関白就任まで[編集] 嘉暦2年(1327年)、8歳で元服して正五位下侍従となり、わずか2年で従三位権中納言に昇進する。ところが13歳の時、元弘の乱が発生して後醍醐天皇は隠岐島に配流され、内覧であった父・道平は倒幕への関与が疑われて幽閉され、良基も権中納言兼左近衛中将の地位を追われた。このため、二条家は鎌倉幕府より断絶を命じられる[1]状況に追い込まれたが、翌年に鎌倉幕府が滅亡、京都に復帰して

    二条良基 - Wikipedia
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    inmymemory 2023/05/11
    連歌・歌論は、夢窓疎石の禅庭・枯山水、世阿弥の猿楽と共に、日本における美の基準(わび・さび・幽玄)を形成
  • 河野裕子 - Wikipedia

    角川短歌賞(1969) 現代歌人協会賞(1976) 現代短歌女流賞(1980) コスモス賞(1987) 短歌研究賞(1997) 河野愛子賞(1998) 京都府文化賞・功労賞(2001) 若山牧水賞(2002) 紫式部文学賞(2002) 斎藤茂吉短歌文学賞(2009) 迢空賞(2009) 小野市詩歌文学賞(2010) 日一行詩大賞(2012) 河野 裕子(かわの ゆうこ、1946年7月24日 - 2010年8月12日[1])は、日の歌人。「塔」選者。夫は歌人の永田和宏。長男永田淳、長女永田紅も歌人。 宮柊二に師事。瑞々しい言葉で心情をのびやかに表現した。晩年は乳がんに苦しみ、生と死に対峙する歌を詠んだ。歌集に『ひるがほ』(1976年)、『桜森』(1981年)、『母系』(2008年)などがある。 人物[編集] 熊県上益城郡御船町に生まれ、滋賀県石部町(現湖南市)に育つ。京都女子高等学校を

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    inmymemory 2022/10/30
    夫永田和宏が、死後、押し入れから日記を発見。二人の男性の間で揺れ動く切ない恋心が短歌と共に瑞々しい筆致で綴られていた。夫は日記を頼りに青春の日々を追想する旅に出る
  • 葛原妙子 - Wikipedia

    葛原 妙子(くずはら たえこ、1907年(明治40年)2月5日 - 1985年(昭和60年)9月2日)は、日の歌人。潮音社友、日歌人クラブ会員、女人短歌会会員。現代歌人協会発起人。南日新聞歌壇選者。現代短歌女流賞選考委員。 こういう人物[編集] 東京市出身。東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鷗高等学校)卒業。父は外科医の山村正雄、母は俳人のつね。夫の葛原輝は外科医。長女は児童文学者の猪熊葉子。 超現実主義短歌を推進し、戦後の歌壇に大きな影響を与えた代表的歌人の一人である。日常のうちに「見てはならぬものを視、聞いてはならぬものを聴きだし」(菱川善夫)、その景色を自ら「表現の我儘についてゆるし得る限界」とする破調の歌に詠むその歌風から、「現代の魔女」「球体の幻視者」(中井英夫)、「幻視の女王」(塚邦雄)と称される。 略歴[編集] 1907年(明治40年) - 東京市郷区(現文京区

  • 藤原龍一郎 - Wikipedia

    藤原 龍一郎(ふじわら りゅういちろう、1952年1月18日 - )は、歌人、俳人。福岡県出身。歌誌「短歌人」元編集人。「駄句駄句会」同人、俳号は「媚庵(びあん)」。日歌人クラブ名誉会長[1]。石岡市図書館文化アドバイザー[2]。 来歴・人物[編集] 福岡県生まれで、3歳のとき東京に移住大阪府立池田高等学校を卒業。浪人中の1970年に中井英夫の『黒衣の短歌史』を読み、塚邦雄、春日井建、寺山修司などの前衛短歌に衝撃を受ける[3]。慶應義塾大学に入学するが、寺山と早稲田大学短歌会に憧れて再受験し、早稲田大学第一文学部文芸科を卒業[4]。学生時代は早稲田大学短歌会およびワセダミステリクラブに所属し、仙波龍英や康珍化、北村薫、高千穂遙らと交友を持った。 大学在学中の1972年に「短歌人」に入会。高瀬一誌の薫陶を受け、西王燦とライバル関係にあった。大学卒業後はニッポン放送に入社し、ラジオディレ

  • 加藤治郎 (歌人) - Wikipedia

    加藤 治郎(かとう じろう、1959年11月15日 - )は、日の歌人。歌誌「未来」選者。 岡井隆に師事。口語短歌の革新に意欲を見せ、「ニューウェーブ(現代短歌の改革運動)」の旗手と目された。歌集に『サニー・サイド・アップ』(1987年)、『環状線のモンスター』(2006年)、『しんきろう』(2012年)など。 人物[編集] 1983年に未来短歌会に入会。 岡井隆に師事し、アララギから前衛短歌への流れを消化したうえで、「口語は前衛短歌の最後のプログラム」と宣言。口語短歌の改革者として意欲的な試みに取り組み、「ニューウェーブ」の旗手と称せられるようになる。若手歌人のプロデューサー的役割を担うことも多く、現代短歌における最重要人物の一人といえる。 母、加藤ミユキも岡井に師事していた。 「未来」の選歌欄「彗星集」には比較的若手が多い。門下に笹井宏之、柳澤美晴、野口あや子、佐藤羽美、天道なお、中

  • 荻原裕幸 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "荻原裕幸" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年7月) 荻原 裕幸(おぎはら ひろゆき、1962年8月24日 - )は、日の歌人。 人物[編集] 塚邦雄に師事。塚邦雄の影響を受けた前衛的作風から出発し、やがて都会的な口語短歌へと着地。シュールな比喩表現や、言葉で発音できない「記号短歌」の導入など、日語の解体による新しい詩的表現を志向する。そのような新傾向の短歌を自ら「ニューウェーブ」と命名し、加藤治郎、穂村弘とともに短歌革新運動の原動力となる。 電脳歌人と称してインターネットでの活動を始め、イベントの企画・運営

  • 杉原一司 - Wikipedia

    杉原 一司(すぎはら かずし、1926年(大正15年)8月27日 - 1950年(昭和25年)5月21日)は、日の歌人。塚邦雄の盟友としてその作風に影響を与えた。 経歴[編集] 鳥取県八頭郡丹比村大字南(現:八頭町)出身。鳥取県立商業学校(現:鳥取県立鳥取商業高等学校)在籍時、岸光治、中林則男らと短歌を作り始める。一学年上には新野幸次郎(元神戸大学学長、『花軸』同人)がいた。 1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)に安部国民学校(現:八頭町立安部小学校)に勤務。この頃、石塚敏夫(安部国民学校の同僚)の紹介で前川佐美雄を知り、手紙のやり取りが始まる。 1945年(昭和20年)2月12日に安藤令子と結婚。同年3月27日に徴用され戦地へ。同じ部隊にいた佐々木一雄(今井書店勤務)と知り合い、歌集の作成を計画したが、実現することはなかった。4月3日から翌年の1946年(昭和21年

  • 前川佐美雄 - Wikipedia

    前川 佐美雄(まえかわ さみお、1903年2月5日 - 1990年7月15日)は、昭和期の歌人。の前川緑、長男の前川佐重郎も歌人。五味康祐夫人千鶴子はの妹。 来歴[編集] 奈良県南葛城郡忍海村(現葛城市忍海)の素封家の長男として生まれる。父は佐兵衛、母は久菊。祖父佐重良は一族の長老として分家にも采配を振るっていた。 小学校六年で初めて短歌を作り、14歳で奈良の儒者越智黄華の漢学塾に学ぶ。1921年、下淵農林学校卒業。同年竹柏会「心の花」入会、佐佐木信綱に師事する。1922年に上京して東洋大学専門部倫理学東洋文学科に入学。木下利玄、石槫茂(後の五島茂)ら「心の花」の精鋭が集まる「曙会」にも参加し、「心の花」の新鋭として注目を浴び始める。二科展で古賀春江の「埋葬」を見たことをきっかけに新興芸術に関心を持ち始める。 1925年、東洋大学を卒業して帰郷。大阪八尾の小学校の代用教員となるが、堀口

    inmymemory
    inmymemory 2022/06/05
    第一歌集『植物祭』刊行。ダダイスム的・超現実主義的な歌が歌壇に衝撃を与え、モダニズム短歌の旗手と評価
  • 塚本邦雄 - Wikipedia

    邦雄(つかもと くにお、1920年8月7日 - 2005年6月9日)は、日の歌人・詩人・評論家・小説家。 朝日歌壇の選者の前川佐美雄に師事。第一歌集『水葬物語』(1951年)は、斬新なあまり歌壇から黙殺されたが、三島由紀夫に注目された。 寺山修司、岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と称され、独自の絢爛な語彙とイメージを駆使した旺盛な創作を成した。若い頃の別名に碧川瞬、火原翔(この二つは、日現代詩歌文学館にて確認 )、菱川紳士( 士 は省かれる場合もある )等があり、晩年の教授時代の学生たちとの歌会では鴻池黙示を好んで使った。それでも、著書目録にある単行や文庫には、これらの著者名で出版されたものはない。 長男は作家の塚靑史、現在「玲瓏(短歌結社)」の発行人。 生涯[編集] 滋賀県神崎郡南五個荘村川並(現東近江市五個荘川並町)に生まれる。父方の塚家、母方の外村家はともに近江商人

  • 須永朝彦 - Wikipedia

    須永 朝彦(すなが あさひこ、1946年(昭和21年)2月5日[1] -2021年(令和3年)5月15日 )は、歌人、小説家、評論家。幻想的な作風が特徴。栃木県足利市出身。 生涯と作品[編集] 少年時代から和歌・短歌・俳句・詩などに親しみ、在原業平、和泉式部、式子内親王、藤原良経、藤原定家、與謝蕪村、与謝野鉄幹、與謝野晶子、北原白秋、木下杢太郎、日夏耿之介、安西冬衛などを愛誦。日古典は『源氏物語』などの王朝物語や戦記から中世の短篇物語、江戸文芸全般に至るまで広く親しむ一方、能・浄瑠璃や歌舞伎など。近代文学は森鷗外・幸田露伴・泉鏡花・谷崎潤一郎・佐藤春夫・稲垣足穂・三島由紀夫など。外国文学はE.T.A.ホフマン、スタンダール、メリメ、トーマス・マンなどを愛読。17歳の頃、三島の評論・エッセイから澁澤龍彦、森茉莉、ジャン・ジュネ、テネシー・ウィリアムズ、サドなどの文芸を教えられ、眼を灼かれる

  • ひとでなしの猫 塚本邦雄 『現代百歌園 ― 明日にひらく詞華』

    「作者は時あって異次元に歩み出す。無可有郷であるか、無間地獄であるかは分明ではないが、そこが彼女の魂のふるさとであろう。」 (塚邦雄 『現代百歌園』 「葛原妙子」 より) 塚邦雄 『現代百歌園 ― 明日にひらく 詞華』 花曜社 平成2年7月10日 初版第1刷印刷 平成2年7月20日 初版第1刷発行 214p 四六判 丸背紙装上製 カバー プラカバー 定価2,500円(体2,427円) 装訂: 政田岑生 書「跋」より: 「昭和60年1月4日金曜日から、翌年12月19日金曜日までの二年間週一回、計百回、徳島新聞に連載したのがこの一巻である(中略)。」 「このたびの一冊は、現代歌人の秀作を網羅しようと努めた点、他の詞華集とはやや趣を異にするだらう。ただ、新年から始まつた連載ゆゑ、必然的に季節に順ふ配列を考へねばならず、作者の最高作と四季の一致はまことに難事で、次善を採る結果になつた例も

  • 安立スハル - Wikipedia

    安立 スハル(あんりゅう すはる、1923年1月28日 - 2006年2月26日)は、昭和・平成期の歌人。京都府京都市東山区出身。 1939年、肺結核の療養中に作歌を始める。1940年、京都府立桃山高等女学校卒業。1941年、北原白秋主宰の歌誌「多磨」入会。1949年、宮柊二に初めて会い、指導を受けるようになる。1953年、宮柊二主宰の歌誌「コスモス」創刊に参加。1956年、第三回コスモス賞受賞。1964年、第一歌集『この梅生ずべし』を刊行。生前に歌集はこの一冊のみである。母親の介護を終えて間もなく、83歳で死去。生涯独身だったという。 少女時代から肺結核による長い療養生活を送り、多くの歌人にその作品を慕われながらも素顔さえあまり見せないという地味な生涯だった。死後に仲間の尽力で出版された『安立スハル全歌集』をもって初めてその全貌が歌壇に知られた[1]。歌の素材は個人の狭い生活範囲に限られ

  • 五・七・五、日本と韓国 金 貞禮(KIM Jeong Rye) 国立全南大学校 副教授

  • Amazon.co.jp : 心の本棚 心にしみいる俳句200選

  • Amazon.co.jp : 暗誦したい万葉の歌

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    inmymemory 2016/09/16
    女優の藤村志保による朗読
  • Amazon.co.jp : 心の本棚 そらんじたい和歌170選

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    inmymemory 2016/09/16
    声に出して詠んでみたい和歌200を収録。朗読は寺田路恵、坂部文昭ら
  • Amazon.co.jp : 歌人の心情を詠んで偲ぶ。 覚えておきたい短歌150選

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    inmymemory 2016/09/16
    短歌を150首収録。大滝寛、名越志保、八十川真由野の朗読
  • 日本現代詩歌文学館 - Wikipedia

    現代詩歌文学館(にほんげんだいしいかぶんがくかん)は、岩手県北上市にある日で唯一の詩歌専門の文学館。事業主体は北上市。管理・運営は日現代詩歌文学館運営協会。 明治以降の日の詩・短歌・俳句・川柳の書籍(作品集、評論集、研究書など)や雑誌など、詩歌に関連するものを、作者の有名・無名を問わずに収集、保存し、閲覧に供しているほか、テーマを設けた年間展示や井上靖の記念室、俳人山口青邨の移築した居宅を見ることが出来る。また、1986年より詩歌文学館賞を設立。以降毎年、詩・短歌・俳句3分野それぞれに表彰を行なっている。 初代名誉館長は井上靖(小説家)。初代館長は太田俊穂(郷土史家)、二代目扇畑忠雄(歌人)、三代目は篠弘(歌人)、現館長は高野ムツオ(俳人)。 分館[編集] 次の分館が設置されている。 日現代詩歌研究センター 北上市石町二丁目5-60 山口青邨宅・雑草園 北上市石町二丁目5-

    日本現代詩歌文学館 - Wikipedia
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    inmymemory 2016/05/03
    詩歌文学館賞 前年1年間の詩・短歌・俳句の作品集から最も優れたものを表彰