タグ

短歌に関するinmymemoryのブックマーク (142)

  • 本棚の10冊で自分を表現する<究極の選択編> - 心揺々として戸惑ひ易く

    twitterにて@Artssoyさんが発案したhashtag「#棚の10冊で自分を表現する」。 10冊のみという理由。棚のを50冊挙げると為人が相当見えてくるような気がしますが、あえて見せない部分を作るからこそ面白い。#棚の10冊で自分を表現する @Artssoy— Artssoy (@Artssoy) 2015, 9月 5 twitter.com 「あなたはどんな人なのか」の問いに答える代わりとなり得るは何か。 純粋にそれだけを条件に選り抜いた結果、次のような十冊になった(順不同)。 1.『寺山修司幻想劇集』 寺山修司幻想劇集 (平凡社ライブラリー) 作者: 寺山修司出版社/メーカー: 平凡社発売日: 2005/09メディア: 単行購入: 2人 クリック: 2回この商品を含むブログ (7件) を見るテラヤマだけで10冊選べるくらいに自分を如実に表現してくれるので困った。僕の

    本棚の10冊で自分を表現する<究極の選択編> - 心揺々として戸惑ひ易く
  • 北原白秋 - Wikipedia

    北原 白秋(きたはら はくしゅう、名:北原 隆吉(きたはら りゅうきち)、1885年(明治18年)1月25日 - 1942年(昭和17年)11月2日)は、日の詩人、童謡作家、歌人。帝国芸術院会員。 詩、童謡、短歌以外に、新民謡でも『ちゃっきり節』など傑作を残している。生涯に数多くの詩歌を残し、今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、三木露風と並び評される近代日を代表する詩人である。 弟はそれぞれ出版人となり、北原鉄雄は写真・文学系出版社アルスを、北原義雄は美術系のアトリエ社を創業した。娘は三菱財閥創業家・岩崎家の末裔に嫁いだ。従弟の北原正雄は写真系の玄光社を創業した。 経歴[編集] 文壇登場まで[編集] 北原白秋生家(福岡県柳川市) 1885年(明治18年)1月25日、熊県玉名郡関外目村(現:南関町)に長男として生まれ、まもなく福岡県山門郡沖端村(現

    北原白秋 - Wikipedia
  • 室生犀星 - Wikipedia

    室生犀星生誕地跡石碑(室生犀星記念館・金沢市) 室生 犀星(むろう さいせい、1889年〈明治22年〉8月1日 - 1962年〈昭和37年〉3月26日)は、日の詩人・小説家。石川県金沢市出身。名は室生 照道(むろう てるみち)。別号に「魚眠洞」、「魚生」、「殘花」、「照文」。別筆名は「秋 健之」。日芸術院会員。 姓の平仮名表記は、「むろう」が一般的であるが、犀星自身が「むろう」「むろお」の両方の署名を用いていたため、現在も表記が統一されていない。室生犀星記念館は「「むろお」を正式とするが、「むろお」への変更を強制するものではない」としている。[1][注釈 1] 生後すぐ養子に出され、室生姓を名乗った。養母は養育料で享楽しようとするような女で、犀星は生母の消息をついに知ることなく、貰い子たちと共同生活を送る。 養母により高等小学校を中途で退学させられ、金沢地方裁判所に給仕として勤めさ

    室生犀星 - Wikipedia
  • Amazon.co.jp: 寺山修司全歌集 (講談社学術文庫): 寺山修司: 本

  • 柳原白蓮 - Wikipedia

    東京に生まれた。父・前光が華やかな鹿鳴館で誕生の知らせを聞いたことから「燁子」と名付けられる。母のりょうは没落した新見正興の娘で[注釈 1]、前光の妾のひとりで柳橋の芸妓であった。燁子は生後7日目に柳原家に引き取られ、前光の正・初子の次女として入籍される。前光の邸には側室の「梅」(元は柳原愛子の侍女)がおり、子のない梅は燁子の引き取りを願っていたが、正の初子がそれを阻止すべく燁子を自分の手元に引き取ったという。生母・りょうは1888年(明治21年)、燁子3歳の時に病死している。 初子を母と定められて間もなく、当時の華族の慣習として品川の種物問屋を営む家に里子に出され、乳母の増山くにと里親家族の愛情の元、下町の自然豊かな環境で育てられる。学齢となった6歳の時に柳原家に戻り、初子に華族の娘としてしつけられる。1892年(明治25年)、麻布南山小学校に入学する。 1894年(明治27年)、

    柳原白蓮 - Wikipedia
  • 高橋睦郎 - Wikipedia

    福岡県八幡市(現北九州市)生まれ。貧しい母子家庭に育ち、新聞配達と奨学金で福岡県立門司東高等学校に学ぶ[1]。高卒後は就職を希望していたが母子家庭ゆえに就職試験で落とされ、家庭教師のアルバイトをしつつ福岡教育大学教育学部国語科に学ぶ[2]。大学卒業半年前に肺結核と診断され、生活保護を受けて結核療養所に入り、2年間の療養生活を送る[2]。1961年に快癒して療養所を出たが、結核歴のために教員への道を閉ざされる[3]。大学卒業後、1962年上京し、日デザインセンターにアルバイトで雇われ、1966年にはサン・アドに移る。以後、40歳代半ばまでコピーライターとして広告会社に勤務。 中学時代から「毎日中学生新聞」に作文・詩・短歌・俳句を投稿[4]。在学中、処女詩集『ミノ・あたしの雄牛』を自費出版。また、『現代詩手帖』に作品を投稿し、採用される。1974年、学生時代の俳句をまとめた句集『舊句帖』の出

    高橋睦郎 - Wikipedia
  • 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト

    現在の日には、短歌、俳句、自由詩という三つの詩型があり、共存しているといって良いでしょう。三つの詩型はお互いに影響しあっていますが、住み分けがされているのが現状です。そのことが日の詩にとって幸せなのかは、はなはだ疑問です。 「詩歌梁山泊~三詩型交流企画」は活動の一環として、サイト「詩客 SHIKAKU」を立ち上げました。三詩型の作品や評論を掲載し、それぞれの詩型の特徴や相違点を考え、時には融合するなどし、これからの表現の可能性を探ります。それは戦後の詩歌の時間を問いなおす試みでもあります。 詩歌梁山泊代表 森川雅美 第9回 詩歌トライアスロン決定 ●三詩型融合部門受賞 「水棲の石」早月 くら 〇候補作 「FUYU NO MINATO GIRL」雨月 茄子春 「さいと恩寵」村元 葉 「冬至祭」さとうはな 〇選外佳作 林、あるいはそこにゆく影  柳坪 幸佳 ・dig 斎藤君・回想録 湯島

  • 季語一覧 - Wikipedia

    季語一覧(きご いちらん)では、季語を分類する。 項における季節の分類は、二十四節気に基づく節切りとする。「新年」は1月1日から1月15日ごろまでの期間を指す。 項における季語の分類は、以下に示す9項目とする。 時候 :季節・月の名称など。 天文 :天文と気象に関すること。 地理 :山・川・海・陸地など色々な地理に関すること。 人事 :人の暮らしに関すること。 行事 :年中行事を始めとする行事全般。 忌日 :著名人の忌日(命日)[要出典]。 動物 :動物一般。ただし、その語のままでべ物にもなるもの(べ物としての印象が強いもの)は物にも分類する。 植物 :植物一般、および、旧来の日草学で植物に分類されていた生物全般(主に真菌類)。ただし、その語のままでべ物にもなるもの(べ物としての印象が強いもの)は物にも分類する。 物 :物全般[要出典]。 - 春 - - 初春 -

  • 季語 - Wikipedia

    代表的な春の季語である「花」はもっぱら桜を指す。 季語(きご)とは、連歌、俳諧、俳句において用いられる特定の季節を表す言葉を言う。「雪」(冬)、「月」(秋)、「花」(春)などのもの。流派、結社によっては、題詠の題としたり、一句の主題となっている言葉を「季題」(きだい)と言い、単に季節を表すだけの「季語」と区別することもあるが、両者の境は曖昧であり互いを同義に用いることも多い[1](詳細は後述)。「季語」「季題」いずれも近代以降に成立した言い方であり、古くは「季の詞(きのことば)」「季の題」「四季の詞」あるいは単に「季(き)」「季節」などと呼ばれていた[2]。以下では特に説明のない限り「季語」で統一して解説する。 「紅葉」「月」はどちらも秋の季語。「花」「ほととぎす」「雪」とともに「五箇の景物」とされた 日の詩歌において季節は古くから意識されており、『万葉集』の巻八と巻十、『古今和歌集』の

    季語 - Wikipedia
  •  『日本詞華集』 西郷信綱・廣末保・安藤次男編(発行未来社) - 武蔵野日和下駄

    古代から近代までのこの国の詩作品を選び、1冊にまとめたアンソロジーとして、身近なところに置いておきたいとして、このを凌ぐはまだ出ていないと思うので、お勧めしたい。私が持っているのは1958年発行のものだが、当時としては大変に立派な装丁ので、値段は1000円とかなり高いだった。最近、復刊されて最寄の図書館に並んでいたので、さっそく借りてきた。復刊には、西郷信綱のあとがきが追加されたほかは、内容は全く同じ、定価が6800円に変っていた。若干高い気もするが、盛りだくさんの厳選された内容からすると決して高くはないと思う。 (画像は復刊の新しい装丁、初版は紫色の布の装丁だった) 内容は、古代の詩歌のはじめから、1930年ごろまでの近代までを、歌謡、和歌、連歌、俳諧、近代詩、短歌、俳句に分類、古代、中世、近世、近代、の四つの時代に区分、時代の詩的表現として評価できる作品を選出して整理したも

     『日本詞華集』 西郷信綱・廣末保・安藤次男編(発行未来社) - 武蔵野日和下駄
  • 日本詞華集 - 西郷信綱 廣末保 安東次男 編|未來社

    定価:体6,800円+税 ISBN:978-4-624-60103-4 ISBN[10桁]:4-624-60103-3 発行日:2005年6月1日 元版年:1958 判型:A5判並製 ページ:498 Cコード:C0092

    日本詞華集 - 西郷信綱 廣末保 安東次男 編|未來社
  • 桜の文学 : 雑学研究

    お客様各位 平素よりhi-hoをご利用いただき、誠にありがとうございます。 この度、2015年4月1日にhi-hoのサイトをリニューアルいたしました。 新URL リニューアルにあたりアドレスを変更致しました。 http://hi-ho.jp/ ブックマークなどに登録されている場合は、お手数をお掛け致しますが新しいURLへの変更をお願い致します。 ご不明な点につきましてはhi-hoインフォメーションデスクまでお問い合わせください。 これからもハイホーをよろしくお願い申し上げます。 ページは、10秒後に新しいページへ移動します。 移動しない

  • 書痴あるいは蒐集家の情熱 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    先日、さる方より塚邦雄の『良夜爛漫』を頂戴した。わたしが塚邦雄の大のファンであると御存知で、永年架蔵されていた同書を惜しげもなく下さったのである。『良夜爛漫』は『定家百首 良夜爛漫』より巻頭の「藤原定家論」と跋文を省いた三百十部・限定版で、いずれも河出書房新社刊。『定家百首』は単行も文庫版も持っているけれど、限定版の味わいはまた格別である。麻布のクロス貼函、表紙はインド産羊皮、見返は英国製コッカレル、背に題名の金箔押、文は三色刷、天金。政田岑生装訂。別丁の和紙に毛筆で短歌一首と落款がある。 水無月の沖こそ曇れことわりも過ぎしことばの花實をつくし 編輯は日賀志康彦氏、すなわち歌人の高野公彦である。 塚邦雄には夥しい数の限定版がある。通常市販されている歌集や評論集・小説集にも凝った装訂のが多いが、さらにそれぞれに少部数の限定版がある。また、数十首を纏めた間奏歌集の殆どが限定版である

    書痴あるいは蒐集家の情熱 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
    inmymemory
    inmymemory 2009/04/06
    ぼくもきっと焼き捨てる
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 三沢市 寺山修司記念館

    寺山修司記念館、テラヤマ演劇・映画・文学を紹介。三沢へ寺山修司の足跡を探しにおいでください。

  • 心朽窩 新館:鬼火

    心朽窩 新館                     「二十心已朽」李賀 心朽窩旧館★やぶちゃんの電子テクスト:俳句篇 心朽窩旧館★やぶちゃんの電子テクスト:小説・評論・随筆篇 ★俳句及び小説・随筆の電子テクストは、HPから「心朽窩 旧館」へ来駕されんことを。 ☆新館は、詩集及び偏愛を超えた惑溺的「こだわり」の書棚である。  やぶちゃんのこだわり電子テクスト及び引用集 Записки охотника  Иван Сергеевич Тургенев イワン・ツルゲーネフ作 中山省三郎訳 「獵人日記」より (但し、配列は発表順とした) Хорь и Калиныч (1847) ホーリとカリーヌィチ Петр Петрович Каратаев (1847) ピョートル・ペトローヰッチ・カラターエフ Уездный лекарь (1848) 郡の醫者 Бирюк

    inmymemory
    inmymemory 2008/06/12
    詩歌のアンソロジーなど、貴重な詞華集。素晴らしい
  • 日経春秋 春秋(4/27) - finalventの日記

    確かに、例えば古代日の文学作品である「万葉集」はみんなで楽しむために編まれた。▼万葉の歌は民謡でもあった。「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛(かな)しき」は「多摩川にさらす手作りさらさらに」「さらさらに何そこの児のここだ愛しき」と「さらさらに」を繰り返す労働歌だった(佐佐木幸綱「男うた女うた」)。琵琶法師が語る「平家物語」も耳から入る娯楽作品だった。 平家物語は案外難しい。万葉集については、これはまあ違うと言ってもいいかな。最近の学説はどうか。万葉集というまとめにも問題がある。基的に現存するのは奇跡に近く、仙覚は偉かった。 ⇒仙覚 - Wikipedia で、万葉集なのだが、巻1、2あたりは国選というか国家との関わりが強い。天智系と天武系の微妙な軋轢を残している(額田王の伝説あたりはけっこうどうでもよいが)。 春秋子が引かれている民謡だが、これが微妙で、ざっくばらんに

  • 芭蕉俳句全集

    芭蕉発句全集 (50音順 全1,066句) あ い う え お か き く け こ さ し す せ そ た ち つ て と な に ぬ ね の は ひ ふ へ ほ ま み む め も や ゆ よ ら わ  制作年順へ 季題別順へ 主題別順へ 地域別順へ 存疑の部 年表へ 芭蕉db 「去来抄」 (最終更新日:08/09/14) あ行 於春々大哉春と云々 青くてもあるべきものを唐辛子 青ざしや草の穂に出でつらん 青柳の泥にしだるる潮干かな あかあかと日はつれなくも秋の風 秋風に折れて悲しき桑の杖 秋風の吹けども青し栗の毬 秋風の遣戸の口やとがり声 秋風や桐に動きて蔦の霜 秋風や薮も畠も不破の関 秋来にけり耳を訪ねて枕の風 秋来ぬと恋ふ星や鹿の革 秋涼し手ごとにむけや瓜茄子 秋近き心の寄るや四畳半 秋十年却って江戸を指す故郷 秋に添うて行かばや末は小松川 秋の色糠味噌壷もなかりけり 秋の風伊

  • キッチンに入るな : 穂村弘『短歌の友人』(2008)

    子供よりシンジケートをつくろうよ「壁に向かって手をあげなさい」 1990年に歌集『シンジケート』を上梓した穂村弘は、2000年あたりからこっち、短歌の実作のほかに『世界音痴』や『もうおうちへかえりましょう』などとしてまとめられるエッセイをいろんな媒体で書くようになった。そしてその一方、おもに短歌の専門誌で歌論を書き継いでいたのである。 「である」と言いつつ、私は知らなかった。エッセイばかり読んでいた。そんな歌論・歌人論をあつめたのが書『短歌の友人』である。こののカバーは当に固い。 穂村弘は、同世代の短歌を読み、前の世代の短歌を読み、自分より若い世代の短歌を読んでいく。その読み方は丁寧で論理的、何より親切このうえない(『短歌という爆弾』も、たしかにそういうだった)。 現代の歌人をほとんど知らない私には、短歌というのは、言葉が使われる全領域のなかでも、あからさまに特殊な部分を占める表現

  • 『ニッポンの小説』高橋源一郎 高橋源一郎様ありがとうの巻 『文學界』2008.3より - 文学は面白いのか(仮題)

    陽射しの色も変わってきましたね。 私がいちばん好きな季節の到来です。寺山修司には、われに5月を、という名言があってその意味合いの正確なところは分かりませんが、我に3月4月をと私なら言いたいところ。 気候の寒さと陽の光のミスマッチがなんか心地良くって、日当たりの良い所にいると"さむ気持ちよい"のです。 でも、もっと大きな理由は別れと出会いの季節であることでしょう。とりわけ出会い。 新しい組織や状況に立たされることで否応無く感じさせられる緊張感、そして孤独感。一人で世界と対峙していることが一層意識され、風景への意識を鋭敏化させるのでしょうか。 じつは花粉症なんですが。 いつもつまらんつまらん紙の無駄だと言ってきた高橋源一郎のページだが、じつは、『新潮』の福田和也の連載などと違って一応目を通している。たんに何をどう書いてくるのか予想がつきにくい部分もあるからなのだろうが、正直、高橋源一郎にたいす

    『ニッポンの小説』高橋源一郎 高橋源一郎様ありがとうの巻 『文學界』2008.3より - 文学は面白いのか(仮題)