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ブックマーク / magazine-k.jp (114)

  • マガジン航の今後について

    新年あけましておめでとうございます。「マガジン航」編集発行人の仲俣暁生です。 記事の更新が昨年の5月以後止まっていたことで、多くの方にご心配をいただきました。いま思えば昨年5月は新型コロナウイルス感染症(Covid-19)の「第4波」が訪れていた時期で、私自身、長期化するコロナ禍のなかで先行きが見通せず、かなり悲観的な気持ちになっていました。 その後、昨年夏の「第5波」がやってきたときは、正直もうダメだと思い詰める瞬間もありましたが、ワクチン接種の拡大によりここ数ヶ月、ようやく落ち着いてこのサイトの今後を考える時間を確保することができました。そこでこの場を借りて、現状報告と今後についての考え方をお伝えしようと思います。 サイトの更新は今後も継続します 「マガジン航」は、2009年に株式会社ボイジャーとともに立ち上げたメディアです。その後、ボイジャーからの支援(具体的にはサーバの提供と編集制

    マガジン航の今後について
  • 人類に必要な物語のために

    第22信(藤谷治から仲俣暁生へ) 仲俣様 ある程度きちんと日付を書きながらでないと、この話は複雑な印象を持たれてしまうかもしれませんから、煩わしさをこらえて読んでください。 2月29日の土曜日に、僕は青森県の八戸でトークイベントを行いました。当時――と書かなければなりません。これを書いているのは、まだ4月の2日だというのに――、まだ八戸どころか青森県全域に、新型コロナウイルスの罹患者は出ていませんでした。前日の28日だかに、クルーズ船の上客であったらしい仙台の人にウイルスの陽性反応が出たという報道があったのを覚えています。それが東北地方唯一の罹患者でした。……当時は。 もっと楽しい気分で来たかったですよ、と、開口一番、僕は八戸のイベント主催者に言いました。イベントの規模は、もともと小さいものでしたが、さらに縮小したようでした。とはいえその頃の八戸に、ウイルスへの警戒心はさほどなかったと思い

    人類に必要な物語のために
  • コロナ禍のなかで読み、書くということ

    第21信(仲俣暁生から藤谷治へ) 藤谷治様 1月の初めに前回のメールをいただいてから、またしてもズルズルとお返事を引き伸ばしているうちに、新型コロナウイルスの騒動が中国の武漢でもちあがり、やがて韓国の大邱に、そして日でもクルーズ船を舞台に感染が拡大しました。 それでも当初はどこか対岸の火事に思えていたものが、ヨーロッパに飛び火し、まさしく燎原の火のごとくEU諸国とアメリカに広がるのを目にしたことで、ようやく日でもウイルス禍が身に迫る危機として感じられるようになりました。 ほんのひと月、いや、わずか数週間で世の中の見え方がガラッと変わってしまう。戦争が始まるときというのは、もしかしたらこんな感じなのではないかと思うほど、いままでにない危機感を感じつつこのメールを書いています。 東日大震災や福島第一原子力発電所の事故のときには、それでもまだ、信頼できる人と直接顔を合わせて話をすることで、

    コロナ禍のなかで読み、書くということ
  • 「真の名」をめぐる闘争

    最初から言い訳がましい話になるが、このエディターズノートは毎月、月初に書くことにしている。しかし今月はずるずると月中を過ぎても書けず、いっそのこともうやめようかとさえ思いつめた。その理由をまず最初に述べる。 崩壊後の風景 月初に書くという趣向は、もともと小田光雄さんの「出版状況クロニクル」に合わせたいという気持ちがあったからだ。日の近代出版流通システムが崩壊していくさまを、長年にわたって出版統計等の数字で跡づけ続けている小田さんのブログを読んでいる出版業界人は多く、私もその一人なのだが、そのタイミングで毎月、出版時評をやるつもりでいた。 しかし、日の近代出版流通システムはもう事実上、崩壊している。その影響は様々なところにあらわれているが、昨年12月の「アイヒマンであってはならない」で紹介した永江朗さんの書いた『私は屋が好きでした』が指摘する、いわゆる「ヘイト」(ただしこれには留保が

    「真の名」をめぐる闘争
  • 「本の未来」はすでにいま、ここにある――創刊十周年を期して

    「マガジン航」は2009年10月20日に創刊された。ちょうど十年の節目にあたるので、当時のことを少し振り返ってみたい。 2009年はどんな年だったかといえば、グーグル・ブックサーチ集団訴訟の余波が日に及んだ年である。この集団訴訟をめぐる経緯はきわめて複雑なため、ここでは詳しく言及しないが、一言でいえば、旧態依然とした出版業界のあり方が強力な外圧によって変化を迫られた、まさに「黒船」騒動だった。グーグル電子書籍市場への参入は、出版業界だけでなく政治の世界をも巻き込み、電子書籍についての議論が格的に動き出すきっかけとなった。 すでにアマゾンは2007年に北米でKindleと名付けた電子書籍サービスを開始しており、日ではいったん終息したこの分野に再び火がついた。2010年1月にはアップルが初代iPadを発表し、出版のあらたなプラットフォームになるのではとの期待が集まった。グーグル、アップ

    「本の未来」はすでにいま、ここにある――創刊十周年を期して
  • 表現の自由を支える「小さな場所」たち

    このエディターズノートはいつも月初に書くことにしているのだが、今月はあまりにも考えなくてはならないことが多すぎて、一週間以上もずれ込んでしまった。 先週はあいちトリエンナーレ2019を見るため、名古屋市と豊田市を駆け足でまわってきた。参加作家の一人である「表現の不自由展・その後」の展示内容に対する批判や抗議、さらには展示続行を困難にさせる職員等への脅迫的言辞もあり、わずか開催3日で同展が中止に追い込まれた経緯は、報道などを通じてご存知のとおりである。 「表現の不自由展・その後」という企画展のタイトルに「表現の自由」という言葉が含まれていたこともあり、展示中止の経緯は「表現の自由」をめぐる議論を喚起した。この言葉には多様なニュアンスが含まれるが、第一義に意味するのは日国憲法第21条で保証されている、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現」の自由であろう。これらに対しては、事前であろうと

    表現の自由を支える「小さな場所」たち
  • 突き破るべき地面はどこに

    第18信(藤谷治から仲俣暁生へ) 仲俣暁生様 数年前に「フィクショネス」をたたみ、昨年は仕事と書庫のために借りていた「隠れ家」も引き払って、この一年はずっと自宅で仕事をしていたのですが、最近はまた河岸を変えています。 家から自転車で十五分くらいのところにある、ちっぽけな図書館の資料閲覧室に資料やゲラやノートを持ち込んで、ガリガリやっているのです。最初は、ちょっと気分を変えられたら、くらいの気持ちでしたが、これが実に具合がいい。 隣席との間に仕切りのある机と椅子がいくつか並んでいて、棚には百科事典や便覧のたぐいが置いてあり、いつも六分から八分の席が埋まっていて、高校生が受験勉強をしていたり、退職したらしきオジサンオバサンが資格試験のを読んだりしています。コンセントもなければヘッドライトもありません。特定の席でしかパソコンを使うこともできません。その特定の席でも、Wi-fiがないからネット

    突き破るべき地面はどこに
    ivory_rene
    ivory_rene 2019/08/28
    文化行政
  • インフラグラムから遠く離れて

    第17信(仲俣暁生から藤谷治へ) 藤谷治様 ここ数年すっかり当たり前になった酷暑も、どうやらお盆明けで一息つき、心身ともにようやくお返事を書ける状態になりました。体はともかく、気持ちのほうもぐったりしていたのは、8月のはじめに起きたあいちトリエンナーレをめぐる事件の動向を追うので精一杯だったからです。 8月1日に開幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の展示企画の一つである「表現の不自由展・その後」が、展示内容に対する「市民」からの激烈な抗議と、会場への放火などをほのめかす悪質な攻撃によって、わずか3日間で公開中止に追い込まれました。たとえ愉快犯にせよ、京都アニメーションに対する凄惨な放火事件の直後に、その痛々しい記憶を材料とする脅迫行為がなされたことには、ひどく暗澹たる気持ちになりました。 今回のあいちトリエンナーレに対して僕は、開幕前から少なからぬ関心を抱いていました。トリエ

    インフラグラムから遠く離れて
  • あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」攻撃に抗議する

    8月1日に開幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展の一つとして、メイン会場の愛知芸術文化センターで開催されていた「表現の不自由展・その後」の展示が3日いっぱいをもって中止された。 この企画展の趣旨は上記のページで以下のように説明されていた。 「表現の不自由展」は、日における「言論と表現の自由」が脅かされているのではないかという強い危機意識から、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、2015年に開催された展覧会。「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、近年公共の文化施設で「タブー」とされがちなテーマの作品が、当時いかにして「排除」されたのか、実際に展示不許可になった理由とともに展示した。今回は、「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え、2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、同様に不許可にな

    あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」攻撃に抗議する
  • いま「小説」は誰のためにあるのか

    第15信(仲俣暁生から藤谷治へ) 藤谷治様 いまの元号が発表される前夜にいただいた最後のメールへの返信が、なかなかできずにいました。この間にも出版界ではさまざまな事件が起きました。いや、むしろそれは「ネット上で起きた」というべきでしょうか。 ある小説家の文庫化が決まっていた作品が、同じ版元の他の出版物に対してその小説家がネット上で度重なる批判を行ったために、「営業部が協力できないと言っている」という理由で刊行がとりやめになりました。 その経緯をめぐるネット上のやりとりのなかで、出版社の社長がその小説家のの発行部数と実売部数をツイッターで公開したことも、大きな批判を呼びました。結局、その社長はツイートを削除し、当該発言については謝罪しました。この作品は別の版元から文庫化されることになっており、その担当編集者が「このが売れなかったら私は編集者をやめます」と啖呵を切ったことも話題になりました

    いま「小説」は誰のためにあるのか
  • 無名の新人が書いた地味な分野の本に、ありえないほど長いタイトルをつけて売ろうとした人文書出版社の話

    ある日、いつものようにツイッターを立ち上げてタイムラインをぼんやり眺めていたら、なんだかとてつもなく長いタイトルのについてのツイートが流れてきた。発信者はそのの版元の編集者で、題名は『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する』――カギカッコを含めて60文字もある。ただ長いだけではない。一つひとつの言葉に見覚えはあるが、そのつながりがよくわからない。いったい「舞姫」と「アフリカ人」がどうつながるんだろう? タイトルだけではまったく内容の想像がつかないので、書店にでかけたときに立ち読みをしてみた。思ったより、ちゃんとしてる――というのも変だが、そう感じた。なにしろ版元はあの柏書房である。私はアルベルト・マングェルの『読書歴史 あるいは読者の歴史』やアレッサンドロ・マルツォ・マーニョの『そのとき、が生まれた』

    無名の新人が書いた地味な分野の本に、ありえないほど長いタイトルをつけて売ろうとした人文書出版社の話
    ivory_rene
    ivory_rene 2019/06/18
    “『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』”のインタビュー
  • 人文書の灯を絶やさないために

    このままでは人文書の刊行が存続できなくなる。私はそんな危機感をずっと抱いている。なぜか。人文書の刊行は、あまりに大きな経済的負担を著者に強いるからだ。人文書の灯を絶やさないためにどうすればよいのか考えてみた。 人文書出版の厳しい現状 経済的負担がほとんどなくてすむ幸運な著者もいる。著者が有名であったり、需要が見込める分野であったり、条件はいろいろある。しかし、著者が無名であったり、需要がそもそも少ない分野であったりすれば、出版機会に恵まれないという問題がある。 私はアメリカ史の通史シリーズをいくつかの出版社に持ち込んだことがある。提示された出版条件はさまざまだった。中には「500部を著者が買い取る」という条件を提示する出版社もあった。仮に著者割引で買い取るにしても100万円以上を支払うことになる。幸いにも「初版印税なし」という条件で刊行してくれる出版社を見つけることができた。無名の著者が需

    人文書の灯を絶やさないために
  • 民主主義を支える場としての図書館

    図書館」という言葉から最初に連想するものはなんですかと問われたなら、の貸出、新聞や雑誌の閲覧、調べもの、受験勉強……といったあたりを思い浮かべる人が多いのではないか。もしそこに「民主主義」という言葉が加わったら、はたして違和感はあるだろうか。 図書館を舞台にしたドキュメンタリー フレデリック・ワイズマン監督の映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を、先月の終わりに試写会で観た(5月18日より東京・岩波ホールほか全国で順次公開)。約3時間半にわたる超長尺のドキュメンタリー作品であるにもかかわらず、不思議なことにいつまでも観つづけていたい気持ちにさせられた。その理由はこの映画のテーマと深く関わっている。 『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』の主題は、図書館を題材にしていることから想像されがちな「」や「読書」ではない。あえてキーワードを挙げるとすれば、「コミュニティ」「文

    民主主義を支える場としての図書館
    ivory_rene
    ivory_rene 2019/05/07
    『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』
  • 一編集者から見た学会と出版社――「売れる本」「売れない本」、そして「売りたい本」

    2009年の学会誌に発表した論文を、堀之内出版の小林えみさんが掘り起こしてくださいました。日近代文学会の了解を得て、10年後の状況をあらためて比較する上でも、数字等を含めそのまま転載いたします。なお、すでに閉鎖したサイトを紹介した注は削除しております。 購入固定層のあった研究書市場が環境の変化とともに、大きく変わろうとしています。単に研究者の減少ということではなく、学会そのものに興味を持たない若手研究者も増えてきているような気がします。数字以外は10年前と変わっていないことも多く、編集者アーカイブ小論の一つとしてご覧ください。 原注は[]とし、追加情報については、《補注》【*編集部注】の形で補っております。なお、専門書をめぐる最近の「売れる」「売る」観点で、サイトでの「所感:2010年代の日の商業出版における著者と編集者の協働について、営業担当者と書店との協働について」もあわせてご覧

    一編集者から見た学会と出版社――「売れる本」「売れない本」、そして「売りたい本」
  • 献本の倫理

    元『ユリイカ』編集長の郡淳一郎氏が、4月22日、自身のTwitterにて「「御恵贈(投)頂き(賜り)ました」ツイートの胸糞わるさ」から始まる「はしたない」御礼ツイートを批判したことで、献という出版界の慣習に多くの関心が集まった。 郡氏によれば、この種の御礼ツイートには「わたしには、「皆の衆、俺(私)はコネがあるんだぞ、大事にされているんだぞ、偉いんだぞ」というメッセージ」しかない。つづけて、「商業出版されたは商品なのだから、それをタダでもらったと吹聴するのは、はしたないことだと、なぜわからないのか。黙ってを読むことが中抜きされていると感じる」と憤りを露わにする。 はじめに断っておけば、私は郡氏の献観、また書物観や編集観にまるで共感しない。詳しくが後述するが、私が著者として他者に献するさい、その人にもっとも期待しているのはのPRであり、賞讃でも批判でも話題になること、注目が集まる

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  • あらためて、「浮上せよ」と活字は言う

    先月末に小説家の橋治さんが亡くなられた。謹んでご冥福をお祈りいたします。 小説だけでなく評論やエッセイ、古典の翻案・現代語訳など多彩なを著した橋さんには、出版論であり書物論といってもよい著作がある。1993年に雑誌「中央公論」に連載され、翌年に中央公論社から単行として刊行された『浮上せよと活字は言う』である。 このの主題は明瞭だ。出版産業がどうなろうと、人間にとって活字による表現や思考が不要になるはずがない。「既存の活字」が現実を捉えられずにいるのなら、その現実が見えている者こそ、その事態を言葉によって把握し思考せよということが書かれている。 1993年といえば、前年に昭和末期から続いたバブル経済が崩壊し、現在にいたる長期にわたる経済的な停滞が始まったばかりの時期である。自民党が一時的に下野し、野党による連立政権が成立した時期でもあった。 この頃の出版市場は、まだ上り坂にあった。

    あらためて、「浮上せよ」と活字は言う
  • 運動体としての「文芸誌」に未来はあるか

    第9信(仲俣暁生から藤谷治へ) 藤谷治様 早いものでこの往復書簡をはじめて3ヶ月になります。そのほかにも秋にはNovelJamという創作合宿イベントで審査員をお願いし、先日は屋B&Bでの「文学の教室 年末番外編」でご一緒させていただくなど、藤谷さんとは顔を合わせる機会の多い一年でした。 思い出してみると、僕が「マガジン航」を創刊した2009年の秋に南青山のボイジャーの事務所を借りてささやかな創刊パーティを開いたときにも、藤谷さんは来てくれたのでした。あのころは電子書籍をめぐる議論がとても盛んな時期で、この新しい技術がなんらかのよきことを出版や書物に付け加えてくれると信じる、楽観的な雰囲気が多分にありました。日でアマゾンのKindleをはじめとする電子書籍の各種サービスが格的に始まるのは、それから3年後の2012年ですが、実際にその時代が到来する前のほうがそういう気分が横溢していたよう

    運動体としての「文芸誌」に未来はあるか
    ivory_rene
    ivory_rene 2019/01/21
    “文芸誌」という運動体にはこれからも一定の意味があるのではないか。当然、そこではウェブや電子書籍といった見慣れたテクノロジーも、それに見合った編集技術とともに力を発揮していくのではないか”
  • コンピューターのパラダイム転換から半世紀

    「〇〇周年」という言葉は、普通は企業などがマーケティング用に連呼する常套句だが、今年2018年はパーソナル・コンピューターの歴史上、こうしたセールスとは無縁だが、忘れてはならない重要な「事件」が起きて50周年という意味深い年だった。 「すべてのデモの母」 1968年12月9日、サンフランシスコ市庁舎脇のブルックスホールでは秋季合同コンピューター会議の年次総会(FJCC)が開催されていた。この会合で基調講演を行ったスタンフォード研究所(SRI)の研究者ダグラス・エンゲルバートは、1200人もの観衆が集まる暗いホールに設置された当時は珍しかった大型プロジェクターの前で、NLS(オンラインシステム)という奇妙な仕掛けのデモを挙行した。 彼の発明したマウスというデバイスで動くカーソルが、文字をその場でコピペしたりリンクを張ったり、ウィンドウという画面を開くのを見て、タイプライターのようなキーボード

    コンピューターのパラダイム転換から半世紀
  • いま本をめぐる環境は、とてもよいのではないか

    あけましておめでとうございます。今年で「マガジン航」は創刊から10年を迎えることになります。 昨年は下北沢に誰でも来ていただける「編集室」をあらたに設けました。今年はこの場所を拠点に、ウェブメディア以外にもいろいろな活動をしてまいります。今後も「マガジン航」をどうぞよろしくお願いいたします。 *   *   * この年末年始は仕事を離れて自分の読みたいだけを読んで過ごした。10年前にこのサイトを立ち上げたときに漠然と思い描いていたような、電子化へと急激に舵を切るような「の未来」は、2019年の現在もまだ現実には訪れていない。けれどもいま私たちが享受している書物をめぐる環境は、読者という立場に身をおくかぎりは、きわめて快適といっていいだろう。 仕事納めのあと、買ってからしばらく積んであったの山を崩し、手始めに野崎歓『水の匂いがするようだ――井伏鱒二のほうへ』(集英社)にとりかかった。一

    いま本をめぐる環境は、とてもよいのではないか
  • 近代文学の息の根が止まったあとに

    第2信(藤谷治から仲俣暁生へ) 仲俣暁生様 僕が「フィクショネス」を始めたのは1998年7月のことでした。仲俣さんは最初期のお客さんでしたから、なんてことでしょう、知り合ってもう20年にもなるわけです。1998年は平成10年です。この単純な事実だけでも僕には、時間について、それもいわば「日の時間」について、何かとりとめもない思いが四方に飛び広がっていくようです。 しかし僕が仲俣さんを文芸批評家、そして編集者として意識するようになったのは、それから数年後のことです。調べればその正確な日付も判るでしょう。それは、古川日出男さんの三島賞受賞パーティの二次会でのことでした。僕はその時はじめて、仲俣さんが日で最初に(ということは、まあ、世界初、ということにもなるわけですが)文芸誌に格的な古川日出男論を書いた人だ、ということを知ったのです。 古川さんが『LOVE』で三島賞を受賞したのは、2006

    近代文学の息の根が止まったあとに