CANNABISでは、毎シーズン立ち上げに向けて、そのシーズンのイメージに合った空間に自分らで変えています。 その作業が今週に入って進行中。 この作業はお店クローズ後に行っているので、昼間は通常営業しています。 業者に頼むよりも効率は悪いし雑。 ただ、この作業は僕の中でとても大事...
次世代広告+コミュニケーション論。現場で作ってて気づくこと。自分が忘れないための思考整理ログ。日常の断片と写真。 春の草ハラに、木の切り株がひとつ。 その上で、なにか演芸をする、キノコ人間の自分。 聞き手は、うすピンク色のウサギが2匹。 「アラ!面白い!」と、耳をピョコンとさせる ウサギがニッコリ笑うと、自分もニッコリと安心する。 ほんわか、ぽかぽかした、和んだ雰囲気があたりに満ちる。 「創造性」による「サービス」で、「なごみ」の関係をもたらすこと。 「学習」はすべて、ウサギさんに「アラ!」と「ウケる」ため。 ウサギ=ユーザー。 アラ!=気づき。 切り株=WEB。 ぽかぽかした草原=エンゲージメント。 今日、とてつもない発見が、得られたので、 絶対に忘れないように、あえてログっておく。 皆、なんのことか、さっぱり、わからないと思うが、 この「一枚絵」が、おのれの「価値観」の、すべてだと、悟
7月12日の日経に、人間総合科大学の藤田教授が「不潔嫌う日本人」というタイトルでコラムを書いていた。なかなかこれが、日本の矛盾を突いていて、秀逸。 まず、「抗菌グッズは嫌い。なぜなら、自分自身を守ってくれる皮膚常在菌を攻撃するから。」とバッサリ切り捨てている。確かに、抗菌グッズは最近の流行だが、それが本当に良い事なのか、という切り口はあまり聞かない。 そして何よりも論点は、「不潔嫌いの人たちは、微生物を排除するために多量の資源を使用し、どんどん地球を汚染しているといえる。清潔は環境汚染を助長する一因なのだ」というポイント。この例として、3つ挙げている。 1)今回のように新型インフルエンザが発生したりすると、大量の消毒剤や殺菌剤が使われる。手洗いを徹底するために、洗浄力の強い洗剤もさかんに使用される。 2)日本人は少しでもワイシャツが汚れていると、すぐ洗うようになった。洗剤はますます洗浄力を
米粒写経HP サンキュータツオと居島一平のコンビ「米粒写経」。公式ウェブサイト 熱量と文字数 サンキュータツオPresents 二次元を哲学するトークバラエティ音声マガジン 漫才バカ一代 米粒写経が主催する漫才オンリーライブ。年4回、3,6,9,12月開催。 ですが、レギュラーメンバーのスケジュールが合わず、次回は未定。 ワタナベエンターテインメント ワタナベエンターテインメント所属 DVD『珍遊記〜太郎とゆかいな仲間たち〜』(1)(2)(3) サンキュータツオの初声優作品!? 漫☆画太郎先生の傑作が春日森監督によってフラッシュアニメ化! 酒の肴にどうぞ。 サンキュータツオ オリジナルデザインTシャツ 「一コマ目から好きでしたっ」 オタク心を代弁した魂の一枚をあなたも! Links ■タイルブログ ■アニメ会の日替わりアニメ定食(毎週水曜日担当) ■日刊ザ★アニメ会A(木曜日担当 角川書店
以前「クルマの未来は「ロボットカー」にある」というエントリで、こんなことを書いた。 <自動運転ももちろん面白そうだし、いろいろな応用がありそうだが(例:パケットビークル)、私が特に興味を持っているのは、単に自動運転というのではなく、助手席や後部座席にも一切人間が乗っていないパターンだ。つまり、荷物などの運送専門のロボットカーだ>。 <いまの自動車は必ず人間が運転するので、1人でたくさんの自動車を保有したり、扱うということに限界がある。また人間が運転するということから、物理的な大きさや安全性の面で強い制約があり、これによって製造コストや保有コストがはねあがっている>。 <自動車が「無人化」し、完全に人間と切り離されれば、これらの限界・制約がなくなる。小さく、安くなった「自動車」であれば、1人で10台、 100台くらい買うことも容易になるし、物流業などのビジネスであれば、数万台、数十万台くらい
人物紹介 菊地 眞弓 レースクイーンやミスコン荒らしなど「バブルでGO」を満喫した20代を経て、今や贅沢に飽きてほとんどモノを買わなくなったアラフォー女子 WITH三波 毒夫 流通の現場に出向き、同業者や取引先と情報交換するのが3度のメシよりも好きと言う謎の中年男。「WITH」は、「お客様とともに」を意味する たまたま出会った2人が「世の中に、気づき・幸せ・役立ちを与える」で意気投合。今日も流通の最前線を歩きます。 WITH三波 毒夫 この不景気なご時世に毎日忙しそうにしているけど、食事ってどうしているのよ。 菊地 眞弓 健康的な外食が80%を占めていますよ。流行の特選野菜をたっぷり使うレストランとかね。 三波 残りの20%は、自分で料理しているんだ。じゃぁ、買い物時に商品の値付け、気にしたことは? 菊地 もちろん! 最近は堅実思考にシフトしていますから。 三波 はいはい(笑)。いわゆる、
2009年06月09日 生きることに意味があるとしたら カテゴリ:カテゴリ未分類 盲聾者の東大教授、福島智さんが、出演した 「爆笑問題のニッポンの教養」を見た。 福島氏の 「重度障害者は生きる意味はあるのか?」 という問いかけを聞いて 「そもそも生きる意味って何だろう?」 と考え込んでしまった。 なぜ、今、自分が生きているかというと、 「死ぬわけにはいかない」 からだ。 死ねば、親兄弟は悲しむし 社員も困るだろう。 では、もし、自分が親兄弟もいない天涯孤独の身で 社長という立場ではなく 死んでも、直接誰にも迷惑がかからない たとえばホームレスなんかだったら 生き続けようとするだろうか? 想像の範囲だが、おそらくイエスだ。 なぜ?と考えてみたら、 それは本能としか思えない。 本能的に人は生き続け 自分のDNAを残そうという欲望が DNAに刷り込まれているような気がする。 だから、どんな状態で
先日ITmediaに載った梅田望夫インタビューがすごい反響だ(はてなブックマークのページから、関連ページが辿れる)。特にネガティブな反応が実に多くて、これは私もひとこと書いておきたいと思ったので、書くことにする。 最初に結論を書くと、「梅田望夫はだんだん自然体になっている」んだと私は思う。いまの梅田さんのほうが、おそらく本来の梅田さんの姿だ。 『ウェブ進化論』のときの梅田さんは、主にネット側(「あちら側」)に立って、そこからリアル側(「こちら側」)を「啓蒙」する立場だった。 当時の日本では、いまよりもネットに対する疑いやマイナスイメージがまだ強かったし、グーグルの圧倒的な強さやその意味なども、一般レベルではそれほど知られていなかった。この状況で、『ウェブ進化論』はグーグルをはじめとするウェブの新技術、それが切りひらく新しい社会を一般に知らしめるという役割があった。だからここでの梅田さんは、
コウコクデアソブサイバーエージェントのカワムラヨシヒロのアメブロです。ブログでは、広告や文房具や村上春樹の話や、思いついたことを肩肘張らずに書いています。尚、本ブログに掲載されている内容はカワムラ個人の意見であり、所属組織とは無関係です。広告表現を批評するならば、その商品も批評すべき。 99%の自戒記事です。 僕も含めて、広告表現を批評している人は多いけれど、 その広告表現を踏まえた上で、 実際に商品を体験して批評している人は、 あまり見かけないなあ、とふと疑問に思った。 (Pay Per Post的なものを除く) ※ちなみに、上で意図している「批評」という言葉の定義。 「批評=広告や商品に対して、アリ・ナシなどの評価を下しているもの。」 「こんな広告見つけました」「こんな商品ありました」は、 報告的な情報であり、ニュースに近いので、批評には含まない。
2009/05/01 GET BACK SAKES TOUR '09@下北沢ERA ACT:MUGWUMPS 秀吉 the chef cooks me 奇跡の組み合わせ! tccm=ERA、RIPS=MUGWUMPS、FLEEZ=秀吉、 とそれぞれのホーム含めた(3箇所のみですが)ツアー! 初日の下北沢場所はゲストバンド無しのガチンコ3バンということで。 集客を最優先に見込んでの話でないのは面子が発表になった段階で明らかでしたが、 入った途端に「おいおい、これはいつのエラですか」状態。 仕事上なかなかド平日のライブは(前もって申請しないと)行けていなかったので、 みんな最前以外は壁に張り付いてドリンク飲んでる感じが懐かしくもありました。 階段やRDSのロビーで見た顔を探すあの感じもね。 Before I Let You Down Laughing Out Loud Ain't Everyt
芸能人の草なぎ剛さんが、酔っぱらって全裸になっているところを逮捕されるという事件があった。もちろん、警察のやり方は批判する。それはそれでいいとして、その後の草なぎさんの持ち上げられ方に、ずっと違和感を持ち続けていた。何か言おうかな、と思いつつ、黙っていたのだけれど、やっと私が話したいような話題を、北原みのりがネットラジオで話していたので以下にリンクしておく。 「婆星VOL.175 酔っぱらい」 学生のころ、飲み会で、男の先輩が酔っ払って服を脱ぎ始めた。私は、いつもその場面が嫌だった。裸が見たくないからではない。先輩はそこに女性の参加者がいることをわかっていて、わかっているからこそ脱ぐから嫌だった。私は、「キャーキャー」言う役割を務めるのが嫌で、その場からそっと抜けることにしていた。あれは何なのだろう。予定調和の飲み会の出し物だ。 わけがわからないからではなく、わけがわかっているからこそ、服
ちょうど半年前に、こんな文章を書いた(「新しい挑戦と変わらぬ日常」) 。 仕事と休暇を兼ねてやってきたパリでこの原稿を書いている。 1994年10月22日、私は東京での生活を引き払い、シリコンバレーにやってきたので、先週水曜日で丸14年が過ぎたことになる。振り返れば「前半の7年間」と「後半の7年間」は、まったく異なる経験だった。インターネット勃興(ぼっこう)期の興隆の中に身を置いて高揚感の中で激しく仕事をした「前半の7年間」の最後に、2001年9月11日の同時多発テロが起きた。「後半の7年間」は、エンロンの破綻(はたん)、アフガニスタン、イラクで始まった戦争、そしてこのたびの世界金融危機と、渡米時に思い描いていた明るい未来のイメージとは違う思いがけないことが、次から次へと起こり続けた。・・・・・・ ビジネスの最前線で思いがけないことばかりに直面し、何とか知恵を絞ってサバイバルを試み続けた「
最近、とあるニュース誌(情報誌?)の購読をやめた。記事のレベルはおそらく高かったと思うのだけれど、「その記事がどういう立ち位置の記事なのか」が、よくわからなかったからだ。読んでいて、「ふむふむなるほど。でも、この記事ってどのくらいの立ち位置なのだろう。これについて、みんなはなんと言っているのかな」、そんなことばかり気になってしまって、肝心の内容が吟味できなくなってしまった。 ネットをちょこちょこ見る生活をはじめて10年もまだ経っていないのだけれど、強く思うのは「人は自分に都合のいい情報を集めるし、主張する」ということだ。少なくとも自分はそうだ。これはネット上では「ポジショントーク問題」ということになる。自分のいる業界やら、自分のやっている商売、自分にとって気持ちのいい情報に理屈をつけて出す、その疑いがあるという問題だ。このような問題意識は、客観的な情報が欲しいという欲求から生まれているの
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