![チェコのセキュリティベンダーAVAST、「CCleaner」などの開発元Piriform社を買収/昨年7月のAVG社に続く買収で、システムチューナーのシェアを拡大](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/14cfe17667c917bf8da56a39c672ba6e7b69a046/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fforest.watch.impress.co.jp%2Fimg%2Fwf%2Flist%2F1071%2F434%2Fimage1.jpg)
前回のSTAC Electronicsは案外知名度が低い(なにせ編集担当が知らなかった)企業だが、今回は逆に超有名どころを取り上げたい。Netscape Communicationsである。 WWWサーバーとインターネットの誕生 1991年8月6日、CERN(欧州原子核研究機構)のTim Berners-Lee氏は、世界最初のWWW(World Wide Web)サーバーのサービスを開始し、この日からインターネットがブラウザーを使って、それまでよりもずっと容易かつリッチに利用できるようになった。 かくいうこの記事も、ウェブブラウザーで読んでおられると思う。こうした諸々がスタートしたのが、この1991年8月6日というわけだ。 ちなみにWikipediaのWorld Wide Webの写真を見ると、ロンドンのScience Museumに展示されているNeXT Cubeが、まさに最初のWWWサ
1週空いたが、再び業界に痕跡を残して消えたメーカーをお届けしよう。今回紹介するSTAC Electronicsは、国内では知名度が今一つかもしれない。ただ米国では、マイクロソフトとの死闘を繰り広げたことで、それなりに有名だった企業だ。 ユーザーが意識せずに自動的にファイルを 圧縮・伸張を行なうソフト「Stacker」 STAC Electronicsの社名は“State of the Art Consulting”の略だそうだ。当時CALTECH(カリフォルニア工科大学)でComputer Scienceを履修中のGary Clow、Doug Whiting氏、John Tanner氏、Mike Schuster氏、William Dally氏の5人の大学院生が中核となって1983年に創業した。取締役会議長兼CEOはGray Clow氏が引き受けている。 さてこのSTAC Electoro
VisiCalc/1-2-3/dBASE-IIと続いたところで、この頃のもう1つの代表的なソフトといえるWordStarを開発していた、MicroPro International Corporation(以下MicroPro)を紹介しよう。 スクリーンエディターWordMasterに 印刷機能を加えて誕生した「Wordstar」 MicroProは1977年9月に創業した。創業者は、その直前までIMSAI Corporationでマーケティング担当ディレクターを務めていたSeymour Rubenstein氏と、同じくIMSAIでチーフプログラマーのポジションにいたRob Barnaby氏である。正確に言えばRubenstein氏がまず創業、すぐにBarnaby氏が合流した感じだが、時期的に言えば2人がIMSAIを辞めた時期はそう違わない。 さてそのMicroProで、Barnaby氏が
前回のBorland Internationalでも名前が出てきたAshton-tate。実はこの会社に関してはわりとその経営方針が「悪い意味で」有名である。 Merrill R. Chapman氏の著書“In Search of Stupidity: Over Twenty Years of High Tech Marketing Disasters”の第5章では、なぜ同社が凋落したのかを事細かに説明してあり、「この本読んでください」で説明が終わってしまうのだが、それだと編集部から石が飛んできそうなので、きちんと説明したい。 ちなみにこの本、邦訳(「アホでマヌケな米国ハイテク企業―エクセレント・カンパニーを崩壊に導いた、トホホなマーケティング20年史」)も出版されている。 スポーツくじの賭け率計算のために 私用で開発したデータベースソフト Ashton-Tate Corporationの
今回の業界に痕跡を残して消えたメーカーはBorland Internationalである。同社の生い立ちはややおもしろい。 デンマークの会社が悪戦苦闘し アメリカ法人を立ち上げる Borland、最初の社名はBorland Ltd.だが、この会社はもともと、Niels Jensen氏、Ole Henriksen氏、Mogens Glad氏という3人のデンマーク人によって1981年8月に設立された。 会社の本拠地はコペンハーゲン(後にアイルランド)であり、彼らはCP/M向けのソフトウェアを開発していた。最初の製品はCP/M上で動くMenu Master(メニュー操作式にプログラムを実行できるユーティリティー)と、Word Index(ワープロのWord Starで作成した文章の目次や索引を生成するツール)で、これを1982年のイベント(*1)で発表する。 (*1) Wikipediaによれば
VisiCorpの衰退の原因を作ったのがLotus 1-2-3、という話を連載401回でしたので、今回はそのLotus Development Corporationの歴史を追っていこう。 IBM-PC向け表計算ソフトで市場を席巻した Lotus Development Lotus Development Corporationは、1982年4月にMitchell D. Kapor氏とJonathan Sachs氏の2人が創業した。Kapor氏の前職は、VisiCorpのHead Development(エンジニアリングのチーフ)であり、在職中に彼はVisiPlotとVisiTrendという2つのソフトウェアを開発している。 連載401回で紹介した通り、VisiCalcそのものを開発したのはSoftware Artsであるが、VisiCorpはそのVisiCalcと連動して動くソフトウェア
今回の業界に痕跡を残して消えたメーカーはQuarterDeckを紹介する。いったいどういう基準で会社を選んでいるんだ? と聞かれたのでお答えすると、筆者の個人的な思い入れの部分が少なからず絡んでいる。QuarterDeckは、それはもう大変にお世話になったので、今回はここを取り上げたい。 オフィス関連の謎の企業が 複数のアプリを同時に稼働させるツールを開発 QuarterDeck Office Systems、後にはQuarterDeck Corporationと名前を変えたが、ここは1982年に創業(立ち上げたのは1981年、会社組織化したのが1982年)された。 創業者はTherese Myers氏とGary Pope氏の2人。Myers氏の方はArthur Young & Co.という有名な会計事務所に勤務、次いでLexarの副社長を経て、QuarterDeckを立ち上げる。 ちなみ
今回紹介するのは、かなり有名というか、MS-DOS時代のユーザーはご存知であろうDigital Researchだ。Digital Researchを知らなくてもCP/Mをご存知の方は多いだろうが、このCP/Mの開発・販売元がDigital Researchである。 創業者はGary Arlen Kildall氏であるが、実はDigital Researchの設立以前の話もおもしろいので、まずはKildall氏の経歴を追ってみたい。 米海軍大学校の准教授だった 創業者のKildall氏 Kildall氏は1942年、ワシントン州シアトルの生まれである。1963年にワシントン大に入学、同時に最初の妻であるDorothy McEwenさんと結婚している。そのワシントン大のコンピューター科学学科の最初の学生となり、バロースのB5500を夜間に使ってプログラミングに勤しんだらしい。 もともとKil
1ヵ月ぶりとなる、業界に痕跡を残して消えたメーカーシリーズ。今週はVisiCorpを紹介する。もともとはPersonal Softwareという慎ましやかな社名で創業され、途中で社名を変更している。創業者はDan Fylstra氏とPeter R. Jennings氏の2人である。 画像の出典は、“Dan Bricklin's Web Site” マイコン向け表計算ソフトを開発した Software Arts さてそのVisiCorpの話をする前に、Software Artsという会社を紹介したい。この会社は、Dan Bricklin氏とBob Frankston氏の2人により、1979年に創業された。そもそもBricklin氏は1973年にマサチューセッツ工科大学のコンピューター科学学科を卒業後、DECに就職するものの、1976年にはキャッシュレジスターを製造する会社に転職する(なぜかは
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く