![アビーが破産手続きを開始、星野金属の元スタッフが設立したPCパーツメーカー今後はコンピューケース・ジャパンが販売サポートを継承](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/77835ebd6ef23ecc0237f974b5e03b1d44a97ac1/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fakiba-pc.watch.impress.co.jp%2Fimg%2Fah%2Flist%2F1160%2F731%2Fab1.jpg)
対応アプリや拡張カードが出回るきっかけとなった IBM-PC 最初の1年に10万台近くを売り上げたという初代IBM-PCであるが、最初の4万台のオーダーは発売初日に集まったという話もあったらしい。あるディーラーなど、納期を約束できなかったにも関わらず22件の前払い金をそれぞれ1000ドルずつ受け取った、というから剛毅な話である。 画像の出典は、IBM Archives なんとなくTRS-80発売時の騒ぎを彷彿するものがあるが、あちらは299ドルのマシン、こちらは最低でも1500ドル以上のマシンであることを考えると、1日で4万台というのはものすごいことだ。 このニュースを紹介した米BYTE紙は、「4万台の9割はソフトウェア開発者からのものだろう」と推定しているが、さもありなんという感じではある。 逆に言えば、多数の開発者が飛びついたということは、やがて多数のアプリケーションが出ることが予測さ
Atariの買収を計画するが中止 IBM自身でパソコンを設計・製造 今回の話を始める前に少し前回の補足をしたい。Lowe氏はCMC(Corporate Management Committee:全社経営委員会)に対してAtari 800をベースにした提案を行なったわけだが、これはAtariからのアプローチだったらしい。 1979年にAtariはAtari 800とAtari 400を発表するものの、さっぱり売れなかったという話は連載358回で説明した通り。ただそのまま放置してもビジネスは改善しないので、OEM先を見つけて売上を伸ばそうという一環だった模様だ。 画像の出典は、Wikipedia 一方のLowe氏は、CMCに対し「我々がパーソナルコンピュータービジネスに参入するためには、外部のコンピューター企業を買収する必要があります。なぜなら、IBMの文化ではこういう(Atari 800のよ
1980年代は、IBMがいろいろと変化をし始めた時代である。1960年~1970年代は、いわばメインフレーム一本槍だったのが、1980年代には新たな敵が出現するとともに、それにあわせて新しいビジネスが急速に立ち上がり始めた。まずは経営から説明していきたい。 売上が激増しバラ色の時代を送った 1980年代前半 連載481回の冒頭で触れたが、Watson親子の引退にともない、まずはT. Vincent Learson氏、次いでFrank T. Cary氏がCEOを務めたが、そのCary氏の後任としてJohn Roberts Opel氏が1981年にCEOに就く。 画像の出典は、IBM Opel氏は1974年から1981年までは社長を、そして1981年から1983年まではCEO兼社長となり、1984年から1985年まではCEO職に専念した。そのOpel氏の時代であるが、1984年まではいろいろあ
Access Accepted第597回:「Dead by Daylight」などで知られるスウェーデンのStarbreezeが経営危機に ライター:奥谷海人 「Dead by Daylight」や「PAYDAY」といった,日本でも知られる作品を販売してきたスウェーデンのパブリッシャStarbreeze Studiosが,2018年11月23日に同国の倒産法に則って更生手続きを開始したという。ところがその後,当局がインサイダー取引の容疑で強制捜査に入り,1人が逮捕されたというニュースが聞こえてきた。最近はパブリッシング事業に乗り出し,今年で創設から20年を迎えた同社だが,何が起きているのだろうか。 スウェーデンのゲーム産業の一翼を担うStarbreeze Studios 人口960万人ほどのスウェーデンは,カナダやポーランドと同様,政府の後押しによるIT教育や投資,税優遇政策などの施策によ
Amdahlが信頼性の問題から 競争力を失い、IBMが増益 1ヵ月ほど時間が空いてしまったが、今からまたIBMの話に戻る。IBM 3081が発表されると、直ちにAmdahlはAmdahl 580シリーズを発表したものの、連載439回で説明した通り、出だしでつまずいたこともあり、IBM 3081は順調に売上を伸ばした。 画像の出典は、IBM Archives さらに後追いでIBM 3083とIBM 3084を出し、性能面でAmdahl 580に対してのアドバンテージを確保しようとした。 ちなみにそのIBM 3084だが、こちらはIBM 3081 Model Group Kからのアップグレード、という形でのみ提供されたが、買い取り価格は(元のIBM 3081 Model Group Kの価格も含めて)870万ドル、リース契約だと月額31万8860ドル、レンタルの場合は月額39万8570ドルから
今回はIBMが1970年代に築いた業績をたどっていく。まずはWatson親子辞任後の経営についてだ。Watson Jr.氏の引退にともないCEOの座に就いたのは、T. Vincent Learson氏である。 画像の出典は、IBM Archives Learson氏を推したのはWatson Jr.氏と、System/360の開発プロジェクトのシニアマネージャーだったFred Brooks氏で、Learson氏の存在がSystem/360の開発の成功の原動力だったから、というのがその理由である。 ただLearson氏がCEOの職に就いていたのは、1971年6月~1973年1月の実質1年半ほどにすぎず、後継はIBMのデータ処理部門を率いていたFrank T. Cary氏が務めることになった。
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CDCの台頭でスパコン業界 トップの座から滑り落ちる 今回もIBMの話である。IBMは、IBM 1401シリーズで築き上げたミドルレンジのマーケットシェアを固める一方で、より高速なコンピューターの構築に向かい始める。その最初のものがIBM 7030 “Stretch”である。 Stretchの話は連載272回で紹介したが、簡単に言えばIBM 704の100倍の性能を目指したシステムである。実際には性能改善は50倍程度に留まり、顧客に出荷された台数は8台に留まった(+IBM自身が1台保有)とは言え、ここで得られた知見はこの後のSystem/360に大きく生かされることになった。 その一方でより高速なコンピューター、つまりスパコンの分野では1963年にCDC(Control Data Corporation)がCDC 6600を発表したことでIBMは業界トップの座から滑り落ちることになる。この
優秀なセールスマンを擁するIBMが じりじりとシェアを伸ばす 今回もIBMの話である。ただ、コンピューターに向けて舵を切ったのは別にIBMだけではなかった。Remington Rand以外にもそれこそGEやRCAなど、売上だけを見れば当時のIBMよりも大きな企業が争うようにコンピューターの市場に参入を始めていた。 とはいえ、例えばRCAの場合、ビジネスの中心はコンピューターというよりはむしろTVやテープレコーダー、あるいは放送局などに向けた業務用機材であり、コンピューターに関してもコンピューターそのものと言うよりはむしろ、コンピューターに使われる真空管で大きなシェアを握っているという具合であった。 1954年にRCAはRedstone Arsenal(アメリカ陸軍レッドストーン兵器廠)にBIZMACという巨大なシステムを納入したり、これを民間向けに販売しようとしたりした(2台しか売れなかっ
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[TGS 2018]DMM GAMESが完全に新しいゲーム・プラットフォームを設立へ。DMM GAMES事業戦略講演をレポート ライター:徳岡正肇 東京ゲームショウ2018の初日となる9月20日,DMMブースの特設ステージで「DMM GAMES 事業戦略 2018」と題された講演が行われた。ビジネスデイということもあり,タイトルどおりのビジネス係の講演である。 講演ではDMM GAMESに関するさまざまな数字や指針,新しい技術的発展などが発表されたほか,新たに始まったDMM Ventureについても簡単な解説があった。以下,この講演をざっくりと紹介したい。 「DMM GAMES」公式サイト モバイルアプリのPCの展開や「DMM GAMES 遊び放題」など,広がるプラットフォーム 最初に登壇したのは,企画営業本部 本部長の林 研一氏だ。林氏は2017年度のサービスとプロダクトの概況,そしてプ
画像の出典は 、Wikipedia 社名をIBMに変更 マシンのリースでシェアを独占する 1920年代に入ってもWatoson Sr.氏は引き続きIBMを精力的に牽引していった。1910年代後半からCTR(Computing-Tabulating-Recording Company)は米国以外にも積極的に展開しており、1917年にはまずブラジルに、1923年にはドイツに現地オフィスを構えている。 1920年初頭にはちょっとした問題も生じたらしい。詳細は不明で、文献には“minor crisis in the early 1920s”とだけあるが、こうしたものを克服してさらに成長を遂げていく。 この1920年代というのは狂騒の20年代(Roaring Twenties)とも呼ばれる時期である。第一次世界大戦が終わり、戦時手当を含めてたっぷり給料をもらって復員した兵士が米国に戻ってきたことに加
今月から新シリーズのスタートである。コンピュータ業界にいろいろな影響力を残しつつ消えていったメーカーは少なからずあり、そうしたメーカーを「業界に痕跡を残して消えたメーカー編」として連載354回から(途中でお休みなどもいただきつつ)448回まで、トータル62社を紹介してきた。ただ、まだ消えてないメーカーも多数あるわけで、今回からはそうしたメーカーを紹介していきたい。 IBMは創業100年を超える 現役のコンピューターメーカー ということでトップバッターは当然ながらIBMである。正式名称はInternational Business Machines Corporation、創業は1911年で、すでに100年を超える歴史を持っている。 実のところ、コンピューターに関わっている現存するメーカーの中で100年を超えるところはほとんどない。たとえばGE(General Electric Compan
米GLOBALFOUNDRIES(GF)は米国時間の8月27日、「GLOBALFOUNDRIES Reshapes Technology Portfolio to Intensify Focus on Growing Demand for Differentiated Offerings」と題するプレスリリースを出し、この中で7nmプロセスの開発を無期限に延期することを明らかにした。 もともと同社は14nm世代で、自身で開発していた14XMプロセスを途中で放棄。Samsungから14LPE/14LPPプロセスを導入してAMDのRyzenやVegaなどの製品を製造していた。またこれを改良した12LPプロセスを昨年から導入しており(Photo01)、こちらもAMDがRyzen 2で製造に利用している。 Photo01:2017年9月に開催されたGTC(Globalfoundries Techn
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