![1973~1999年までの3DダンジョンRPGの進化の歴史をたどる3時間弱の旅…海外ゲームファン映像「Dungeon Crawler Evolution」が公開 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/4d8919f8058adb4524727574708c1befc1a3d6df/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.gamespark.jp%2Fimgs%2Fogp_f%2F902128.png)
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リメイク版「ウィザードリィ」発売記念対談。ロバート・ウッドヘッド氏とベニー松山氏が語る,灰と青春の40年 ライター:森瀬 繚 カメラマン:佐々木秀二 ダンジョンRPGの古典「Wizardry: Proving Grounds of the Mad Overlord」のリメイク版(PC / PS5 / PS4 / Xbox Series X|S / Xbox One / Switch)が,2024年5月23日に正式リリースされた。 1981年に発売された初代Apple II版をベースに,のちに発売されたファミリーコンピュータ版(1987年)などの移植作品の要素も加味しながら生まれ変わった同作は,開発陣の情熱のほどがうかがえる,力の入ったリメイクとなっている。 その力の入りっぷりは先に掲載したインプレッションに詳しいので,そちらを参照してもらうとして,本稿ではリメイク版の発売を記念して行われた
たまたま、以下のブログ記事が自分のところに流れてきて、twitterでゴチャゴチャ書いたけど、こんなのtwitterで書いてもしょうがねえやと思ったので全部削除して、記事で書くことにした。 記事の問題点は下の引用部、ブローダーバンドからスクロールするからという理由でNGを出されたが、高橋名人がそれを説得してOKにしたという部分に尽きる。 実際、オリジナルのブローダーバンド社からは「これはパズルゲームではない」という理由でNGが出されています。高橋名人が説得したらしく、そのままでOKとなったようですが(どうやって説得したかは覚えてないらしい)、(以下略) https://www.cobalog.com/entry/loderunner まず、高橋名人が説得については間違っている。 このブログ記事は高橋名人のブログ記事を参考にしているのだけど、高橋名人はこれについて伝聞で書いている。 がしかし
Beep編集部で死ぬほど笑ったことを思い出したので、記録として残しておきたい。 一度多分ツイッターに書いているのだけど、ツイッターとかちゃんと残るかまるで疑わしいのでブログのが正解だろう。 Beepなので、ファミコン時代の話になる。 時期は1987年秋ごろで、僕はもうハドソンと話をしていて、プロのゲーム屋になるって話は編集部のみんなが知っていたと思う。 ちょうど、僕とかっぺがBeep編集部に打ち合わせという名目で遊びに行っていた時、「カプコンさんから新作のROMを借りてきた!」と言いながら、ライターの誰かが編集部に帰ってきた(これが誰だったか覚えていない)。 それが『ロックマン』(初代)。 当時はカプコンのゲームと言えばゲキムズ! だった。 なんせ『魔界村』、『戦場の狼』を代表にやたら難しいゲームが多かった。特に『魔界村』なんて、マル勝では「難しい」の代名詞になっていて「ファミリーシリーズ
著書に『宇宙世紀の政治経済学』(宝島社)、『ガンダムと日本人』(文春新書)、『教養としてのゲーム史』(ちくま新書)、『PS3はなぜ失敗したのか』(晋遊舎)、共著に『超クソゲー2』『超アーケード』『超ファミコン』『PCエンジン大全』(以上、太田出版)、『ゲーム制作 現場の新戦略 企画と運営のノウハウ』(MdN)など。 米Video Game History Foundation(VGHF)は、ゲーム雑誌やアートブック、CDやソースコードに至るまで、ゲーム関連の資料を全世界からブラウザで閲覧できるデジタルライブラリのあらましを初公開しました。 あくまで「どのようなユーザーインターフェースか」「どんな資料を検索できるか」を紹介している段階です。過去2年間にわたって構築されてきたライブラリは、2024年内に公開される予定です。 VGHFは、ビデオゲーム歴史関連の資料をアーカイブ化して保存する非営利
はじめに:ウォーロックを読んで本稿の趣旨はゲームブック産業の栄枯盛衰をデータで可視化し、その要因を考察することである。 きっかけは古本で入手したウォーロック誌全63号を読んだことであった。 ウォーロック誌表紙創刊号(1986年12月号)から18号まではスティーブ・ジャクソンとイアン・リビングストンが監修に入っており、ファイティングファンタジーに代表されるゲームブック作品のレビューやタイタン世界の解説等が充実している。 しかしながらウォーロック誌の創刊は一筋縄ではいかず、安田均先生の回想では土壇場での苦労があったようだ。 「ウォーロック」で一番大変だったのは、1986年12月に創刊号が出て、正月になったところで「お話があるんですが、本国版つぶれました」(笑)。本国版のストックはあったから、12号までは「ファイティング・ファンタジー」シリーズの雑誌という名義で出せるけれど、その後の保証はないの
アニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』(Amazon Prime Video) 1995年はPC業界にとって特別な年となった 1995年11月22日、秋葉原は異様な熱気に包まれていた。 当時の秋葉原電気街では、多くの店舗が18時から19時にかけての早い時間帯に閉店し、夜遅くまで営業している食堂や居酒屋も皆無ではないにせよ少なかったので(注:電気街口側の話です)、20時を過ぎるころには人通りがあまり見られなくなるものだった。 だが、その日は違った。 日が暮れてからも客足がまったく途切れず、ふだんであれば各店舗が閉店する時間帯からむしろ路上を行き交う人間の数が増え始め、ついには車道に溢れかえるほどに人並みが膨れ上がり、警察が車両を出して自動車の通行を規制する騒ぎとなった。 そうした中、ソフマップ秋葉原1号店やT-ZONEミナミなどの中央通り沿いの大型店舗や、“ザ・コン”
原案はアクアプラスのみつみ美里氏と甘露樹氏で、漫画は若木民喜さんが担当している。当初、同人誌版が頒布され、その後単行本コミックが発売された異色の展開を経ている作品だ。 そんな人気同人誌を原案としたテレビアニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』が、2023年10月からテレビアニメとして放送開始。同人誌版とは異なるアニメオリジナルストーリーで1990年代の美少女ゲームカルチャーをフィーチャーした物語が展開する。 放送開始記念企画として、若木民喜さんと高橋龍也さんにロングインタビューを実施。原作とは異なるオリジナルストーリーとして制作した意図や、制作現場の裏側の苦労話、原作とアニメ版の違いなど、たっぷり語ってもらった。 美少女ゲームやエロゲー、秋葉原、1990年代カルチャーが好きなすべての人に見てほしいテレビアニメ『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』の作
アーケードゲームの保存に取り組む有志団体「アーケードゲーム博物館計画」が、11月30日までに現在の拠点から撤収すると発表しました。新天地は未定で、もし見つからない場合は解散の可能性もあるとのことで、ネットでは「貴重な筐体が失われる危機」と、大きな反響を呼んでいます。 公式発表(以下、画像は「アーケードゲーム博物館計画」のWebサイトから) 同団体は、アーケードゲーム筐体がいつかは失われて遊べなくなる危機感から、有志のゲームファンやコレクターが集まって結成。ただ保存するだけでなく、「実際にゲームで遊べる場」としての博物館を設立するべく活動しており、6人乗りシステムの「ギャラクシアン 3」をはじめに貴重な筐体を多数保有しています。 奥で存在感を発揮しているのがギャラクシアン 3 レースゲームの専用筐体も充実 機材の保管場所には、元デパート倉庫や元レンタルビデオ店を使用し、2012年からはタイト
70周年を記念して、東京・新宿で“タイトー70周年記念サマーフェスティバル”という展示会が開催された。「貴重な展示がある」ということでクラシックゲーム好きの筆者もイベント会場へ実際に足を運んでみた。「貴重な展示がある」とは事前にうかがっていたものの……「いやこれはスミソニアン博物館級だろ!」と思わず突っ込みたくなるほど、貴重な電子遊戯史の黎明期を彩った名機たちが立ち並んでいて目を剥くようなイベントだった。正直、記念日と言わず常設してほしいレベル。展示品の維持を考えたらムリか。すごいぜタイトー。 また、実際に触って遊ぶことも可能ということで、短い動画も撮影してきた。半世紀ほど前の筐体が現役で動く様子もご覧になってほしい。
0.はじめに ゲームマニアの中でそこそこ知られているインタビューがあります。コナミの創業者、上月会長が答えたものなのですが。 「(ゲームの)イメージが良くなく子供にも自分の職業が言えなかった」。上月は99年、創業当時を振り返ってこう語っている。 このインタビューを元にして「コナミの社長はゲーム嫌いだったのだ」という風説が流れたことがあります。これはまるきりの大間違いで、詳しくは平和的なブログさんで解説されている通りであるんですが(そもそも上記の日経さんの記事は、事実誤認がやけにおおくて信憑性があまり高くなく……)、ちょっと皆さんに聞きたいことがあります。 「コナミの創業したころや、その少し後のゲームに対する一般人のイメージって、どんなのだったか想像がつきますか?」 コナミの創業は1969年です。おそらくこの記事をお読み頂いてる多数の方が生まれる前の話だと思います。本記事はそのあたりのゲーム
みなさまにとって、「RPGの原体験」はどこにあるだろうか。 『ポケットモンスター』シリーズからRPGに触れた人、『ファイナルファンタジー』シリーズから触れた人、『テイルズ』から、『ペルソナ』から、『原神』から……。 きっと、「思い出のRPG」は人の数だけあるのだろう。 そして、そんな「思い出のRPG」に、『ドラゴンクエスト』を挙げる人は多いのではないだろうか? スクウェア・エニックス公式サイトより 『ドラゴンクエスト』……まさしく日本のRPGにおける特異点ともいえるタイトルにして、多くの方の「RPGの原体験」として刻み込まれているタイトル。そして、『ドラゴンクエスト』の生みの親でもある堀井雄二氏は、いくつかの作品から影響を受けてこの『ドラゴンクエスト』を作ったとされている。 そのひとつが、『ウィザードリィ』。1981年に発売された3DダンジョンRPGである今作は、後世の『ドラゴンクエスト』
1994年に発売された家庭用ゲームハード「セガサターン」。つい先日、その開発機を入手したというユーザーの記事を掲載しましたが、その流れで当時開発環境に関わっていた大岡良樹さんと話す機会に恵まれました。 開発機についての誤った情報(初代開発機と紹介していたものが実は三号機だった)を指摘いただくという形での出会いでしたが、これはある意味思いも寄らぬ事態。 せっかくなので、開発機の詳細な説明や、当時の開発環境等について聞いてみたいと思い、インタビューを申し込んだところ、快く承諾いただいたので、色々質問してみることにしました。 その前に、大岡さんとやりとりをするきっかけとなった「開発機」について簡単に説明しておきますと、前回記事で紹介したものは本体に「PROGRAMMING BOX」と書かれた、開発機として三代目にあたる機器でした。 前二代は貸し出しで管理されていたことに対し、三代目は売り切りでリ
『タクティクスオウガ』。その名を耳にして思い浮かぶのは、発売から25年以上の年月が経った今もなお、圧倒的な支持と人気を得ているという、スーパーファミコン後期の名作タクティカルRPGとしての確固たる姿だろう。 © 1995 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.(画像は『タクティクスオウガ』公式サイトより) そんな『タクティクスオウガ』の開発には「HERMIT」(ハーミット)なるものが用いられていたことはご存じだろうか。 「HERMIT」とは、『タクティクスオウガ』を販売・開発した株式会社クエストが独自に作り上げた開発ツール……今で言う「ゲームエンジン」に相当する存在だ。この謎のゲームエンジンが、実は『タクティクスオウガ』の開発にあたって大活躍をしていたという。 ではこの「HERMIT」は、いったい何がすごかったのか? まずひとつ目のポイントは、
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