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料理に関するkageyomiのブックマーク (2)

  • 【連載】『家めしこそ、最高のごちそうである。』 第3回:1970年代の外食は、化学物質とまがい物の時代だった! - HONZ

    稀代のジャーナリストが語る、家庭料理の極意。「家めし」の美味しさを追求していったら、答えはシンプルなものへと辿り着いた。第3回は、1970年代の外を振り返ります。 1970年代は私はまだ10代で田舎に住んでいたので、東京の大人が行くようなハイブローな店はまったく知りません。たまの週末、家族での外というと、いまでいうカフェレストランのような喫茶店風洋屋が多かったように覚えています。単なる豚肉のショウガ焼きが「ポークジンジャー」なんていうハイカラな名前で供されていて、ナイフとフォークで見よう見まねで肉を切り、フォークの背にご飯をのっけて口に運んだりしていました。ショウガ焼きというと古くさいので、それをカタカナで言い換えてお洒落なべ物のふりをさせていただけなんですね。そういうチープで涙ぐましい時代だったのです。 ピッツァなんて洒落たことばは存在せず、宅配ピザもありませんでした。日で最初

    【連載】『家めしこそ、最高のごちそうである。』 第3回:1970年代の外食は、化学物質とまがい物の時代だった! - HONZ
    kageyomi
    kageyomi 2014/03/29
    ”太平洋戦争が終わってから1970年代ぐらいまでは、日本の食にとっては最低の時代でした。要するに、化学物質とまがい物の時代だったということです。”
  • 【連載】『家めしこそ、最高のごちそうである。』 第2回:1970年代の家庭料理とは? - HONZ

    稀代のジャーナリストが語る、家庭料理の極意。「家めし」の美味しさを追求していったら、答えはシンプルなものへと辿り着いた。第2回は、1970年代の家庭料理を振り返ります。 わたしは1961年生まれで、52歳になります。キリの良い年に生まれたため、70年代が思春期、80年代が20代、バブルのころは20代後半で新聞記者でした。そして「失われた二十年」を30代後半から40代のあいだにすごしてきたということになります。 高度経済成長の末期、1970年代の家庭料理とはどのようなものだったでしょうか。 記憶はたいていの場合、美化されてしまうので、鮮明に覚えている人は少ないかもしれません。でもひとつだけ断言できるのは、そのころの家庭料理っていまとはまったく違うものだったということです。 たとえば作家向田邦子さんが当時つくっていた料理を再現した『向田邦子の手料理』(講談社、1989年)というがあります。向

    【連載】『家めしこそ、最高のごちそうである。』 第2回:1970年代の家庭料理とは? - HONZ
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