日本の英語教育は病んでいる。「抜本的改革」が相次ぐ英語教育行政と、その度に混乱する学校現場。近年だけでも小学校の外国語活動が必修化され、高校の英語授業は英語で行うことが原則化された。 こうした「慢性的改革病」の背景には、学校教育は読み書き文法しか教えない、という根強い批判が存在する。ただし、それは誤解である。すでに四半世紀前、平成元年の学習指導要領改訂から一貫して、学校英語教育はコミュニケーションに使える英語を目指してきたからである。 本書が着目するのは、昭和49年にオピニオン誌『諸君!』で展開された英語教育論争である。参議院議員の平泉渉氏による外国語教育改革案を、上智大学教授の渡部昇一氏が「亡国」論だと批判。計7回、半年にわたり鋭い応酬が続いた論争は大きな反響を呼び、なかには現代にも通用する論点を多々含んでいた。しかし、論争は実用の「話す英語」VS教養の「読む英語」の対立と単純化して理解