37年前の1977年9月27日、横浜市緑区(現・青葉区)で、米軍機が墜落し、土志田(旧姓・林)和枝さんと2人の幼い子が犠牲になりました。「平和の母子像」前(神奈川県横須賀市)で事件と同じ27日、集会が開かれ、150人が参加しました。 事件は、米海軍横須賀基地を母港とする米空母ミッドウェー(当時)艦載機が、厚木基地から空母に戻る途中に起きました。2人の子は、やけどで相次いで亡くなり、「子どもたちの分まで生きる」と決意した和枝さんも4年後に亡くなりました。 「平和の母子像」実行委員会を代表して新婦人県本部の泉水令恵会長があいさつし、「原子力空母が来年、ジョージ・ワシントンからロナルド・レーガンに交代し、永遠に居座ろうとしている。オスプレイが飛来し、人口密集地をわがもの顔に飛んでいる」と訴えました。 墜落事件の被害者で勝利判決を勝ち取った椎葉寅生さんは、事件の後遺症で歩くことができない妻の「がん