平和と自由を愛した庶民派の歴史学者。27日に死去した三笠宮崇仁(たかひと)氏の自著からは、そんな人物像が伝わってきます▼戦前、皇族男子は軍務につくと定められていたことから1939年、陸軍大学校に。「今もなお良心の苛責(かしゃく)にたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです」と述懐します。43年、陸軍参謀として中国・南京に赴任。そこで日本軍の残虐行為を知らされました▼略奪、暴行、放火、強姦(ごうかん)。「罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない」。驚くのは44年、参謀でありながら日中戦争に疑問を呈し、幕僚に「内省」と「自粛」を促していたことです▼講話のやりとりをまとめた文書の表題は、「支那事変ニ対スル日本人トシテノ内省」。筆者は若杉参謀。三笠宮の別名です。冒頭、言論が極度に弾圧されている中、一般幕僚が大胆な発言をするのは困難