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ブックマーク / shinichiroinaba.hatenablog.com (37)

  • 木庭顕「10兆円ファンド」(法律時報95巻6号)へのコメントとリプライ - shinichiroinaba's blog

    2023年5月30日(火) 21:56 稲葉振一郎 木庭先生 ざっと拝読しましたが、やや気になるところがございます。 資主義の義は資産の商品化、市場化というところにあり、なおかつそれが過度の投機化によって消耗されることなく守られ、資産のゴーイング・コンサーン・バリューが守られるというところにあると思われます。そのため資産は丸ごと売買されるのではなくlocatio conductioを経由する必要があり、占有が保護されねばならない。 ただ近代資主義においては同時に、たえざる技術革新が求められるため、守られるべきゴーイング・コンサーン・バリューがその内実においては柔軟に変転する――にもかかわらず占有自体のアイデンティティが保証される――という離れ業が必要になるかと思います。占有の安定と市場における競争のバランスを保つことの困難が資主義の困難であり、ここに失敗すると市民社会が荒廃します。

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    kaikaji
    kaikaji 2023/09/10
    "暫定的にのみ占有を成り立たせる、そして悪い資産(親子会社関係のジャングル) を解体する、というのでなければならないが、どうしても資産占有を近代のように公然と認めると、組織保存的になる"
  • 朝日新聞社編『危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』』(徳間書店)取材原稿完全版 - shinichiroinaba's blog

    朝日新聞の連載企画を基に先般刊行された朝日新聞社編『危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』』(徳間書店)に寄稿した拙文(インタビューのフォーマットに合わせて編集者に合いの手を入れてもらった以外は当方の書下ろしである)は、紙面でもまた単行でも大幅に縮減されたものである。徳間書店のご厚意によってここに原型を復元し公開する。 =================== ――研究者としての著書も多数あるなかで、稲葉さんの最初の著書は『ナウシカ解読 ユートピアの臨界』(1996年刊、2019年に増補版を刊行)です。稲葉さんは、今この作品をどう評価しますか。 宮崎駿のまんが『風の谷のナウシカ』はすでに古典になっています。古典になっている、ということの意味は色々ありますが、ひとつには後進にとっての模範、ベンチマークを提供している、というところです。これについては後に詳しく述べましょう。もうひとつは、もう

    朝日新聞社編『危機の時代に読み解く『風の谷のナウシカ』』(徳間書店)取材原稿完全版 - shinichiroinaba's blog
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    kaikaji 2023/04/01
  • 「殺すことはない」 - shinichiroinaba's blog

    大昔に河出の『文藝』のアンケートに答えたことが触れられていた 「もっと明瞭な殺人否定論はないのですか?」 「たしか、いなば先生 @shinichiroinaba が大昔に少年向けに書いたものがあって、まず君には、殺されたくない大事な人たちがいる。ところで他の人たちも、同様の人たちを抱えている。だから人を殺してはいけない。記憶が朧げですが、かなり簡明です」 — 遠藤 with another view (@endoucom) 2023年2月15日 ので少し追記する。 「殺してはいけない」というルールは見ればわかる通りネガティヴな禁止の形をとっている。強い道徳的義務、いわゆる完全義務の多くはこのように「なになにしてはいけない」という形をとり、「なになにすべきだ(しなければならない)」というポジティヴな形をとらない。ポジティヴな義務は多くの場合「なになにしたほうがよい」という推奨の形をとる。そう

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    kaikaji 2023/02/17
  • 『AI時代の資本主義の哲学』補足 - shinichiroinaba's blog

    拙著『21世紀の資主義の哲学』ではマルクス、シュンペーター、コルナイの系譜を重視して資主義の(社会主義その他集権的経済と対比したときの)眼目を「イノヴェーションを伴う/誘発する市場経済」とした。市場で競争する企業はただ単に相場(競争的価格水準等)に追随するだけではなく、相場を脱して一時でも独占的地位を享受するために革新に駆り立てられ、そうした志向は時に独占を長期化させて市場における競争をゆがめてしまう危険がある。さりとてそうした独占志向を過度に抑え込もうとすれば革新は停滞してしまう。 またそのような革新のために必要な前提条件は競争的市場だけではない。所有権の安定もまた重要である。所有権の安定は取引の自由の前提条件だが、取引の自由とは取引する自由と取引しない自由の両方を含む。 (個人であれ組織であれ)企業が必要な資源を調達する方法は、市場などを通じて外部からの取引で入手するか、あるいは自

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    kaikaji 2022/08/29
  • 田島正樹『文学部という冒険』の『わたしを離さないで』評を承けて - shinichiroinaba's blog

    田島正樹先生の『文学部という冒険』、掉尾を飾る大童澄瞳『映像研には手を出すな!』批評は見事だが、その伏線としてのカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』読解にはやや首をひねる。いやたしかにこの作品のいかがわしさの核心部分に触れてはいるが、肝心なところで外しているように思われる。しかし着眼はたしかに圧倒的に優れている。 『わたしを離さないで』のいかがわしさの一端はSFのフェイクであるところ、SF的意匠を単なる寓話として用いていて、真剣なSFではないところに由来する。あれを真剣なSFとして読むなら、主人公たちが置かれた不条理な状況への告発が作品の主題ということになり、物語の動力はその構造への主人公たちの反逆か、あるいは悲劇的な挫折かということになる。しかしそんな風にはあの作品は読めない。 トリヴィアルなところでしか現実世界と変わらない世界を舞台とする普通のリアリズム小説とは異なり、SFはシステマ

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    kaikaji 2022/04/27
  • 戦争倫理学への補注 - shinichiroinaba's blog

    今日びの動向を見ながら近刊予告 - shinichiroinaba's blogへの補足を試みる。 ==================== 『社会倫理学講義』で戦争倫理学についても少しだけ論じたが、そこではあまりはっきりと立場を打ち出せなかったので、このウクライナ戦争を前にもう少しはっきりさせようと思う。 そこで我々はリベラリズムの政治哲学と矛盾しないリベラル戦争観とでも言うべきものをおずおずとながら提示した。その要点は結局のところ「戦争と平和の区別をはっきりつける」とでも言うべきものだったかと思う。戦争そのものを悪として否定し、なくすべきだという議論は提示しなかった。実際問題としてときに暴力は噴出し、暴力を用いた紛争は現実に起きてしまうものなので、いかにそれを抑え込み、管理するかという方向で議論を進めた。戦争を絶対に否定すると、実際に起きてしまった戦争を前にそれをあたかも絶対悪である

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    kaikaji 2022/03/23
    ”リベラルな国際秩序は究極的には実は国家ではなく個人の権利と利益を守ることをその存在理由としており” "ロシアや中国を含めた権威主義国家は国家主権の尊重をいわばハックして、権威主義を守るために利用"
  • メモ:フィクションの中の感染症 - shinichiroinaba's blog

    メモ:フィクションの中の感染症 稲葉振一郎(明治学院大学) ・そもそも近代フィクションの起点には感染症がある――ボッカッチョ『デカメロン』 14世紀ペストから疎開(自己隔離)した人々が無聊を慰めるための語り、という形式 ・他に文学史上著名なペスト文学はウィリアム・(18世紀)、アルベール・カミュ『ペスト』(20世紀) ・パンデミックや急性・劇性感染症ではないが、結核やらい病も感染症であり、結核文学・ハンセン氏病文学は日近代文学史上固有の意義を持つ。 ・80年代以降のHIV文学もやや類似した展開を示す。 ・コレラやインフルエンザ(スペイン風邪)の影が落ちた作品も多い。実は近代文学総体に感染症はメインテーマではなくとも挿話として相応の存在感を持っているとさえいえる。 ・「極限状況」「不条理な運命」の体現としての感染症 ・特にブラム・ストーカー『ドラキュラ』以降のジャンルとして確立した吸血鬼も

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    kaikaji 2021/10/10
  • 関東社会学会第69回大会テーマ部会B「ワークショップ時代の統治と社会記述――「新自由主義」の社会学的再構成」(2021年6月12日)へのコメント - shinichiroinaba's blog

    関東社会学会:年次大会---第67回大会(報告要旨・報告概要:テーマ部会B) *当日コメント ・拙著『「新自由主義」の妖怪』(稲葉[2018])を踏まえていただいて大変光栄であるが『政治の理論』(稲葉[2017])を踏まえていただかないと実はコンテクストが十分にはわからないはず。 ・古いマルクス主義の発展段階論の構図を前提にすれば「新自由主義」概念は一見わかりやすい。すなわち、後期資主義=国家独占資主義が行き詰まり、支配階級たる資家は体制維持のために小さな政府、規制緩和に逆行しようとする。つまりはファシズム同様の反動、資主義の断末摩である、と。 この理解の欠点――いつまでも「断末摩」が続く万年危機論。しかも社会主義の崩壊後もまだやっている。国家独占資主義がそもそも資主義の断末摩で、その後社会主義に移行するはずではなかったか。「新自由主義=ポスト国家独占資主義」とかお前ら真面目

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    kaikaji 2021/06/14
  • 『社会学入門・中級編』の予告を兼ねて - shinichiroinaba's blog

    shinichiroinaba.hatenablog.com の続きとして。 『社会学はどこから来てどこへ行くのか』は「「社会学は地味な学問なんだから地味にやろうよ」というメッセージを派手にやっているという変な」である、と先に述べた。「地味なことが大事だ」と主張する派手な、というのは要するに言行不一致の恐れがあるわけで、その分隙があれば責められるのは仕方がない。その辺を考えたうえで、書の背景というかコンテクストについて、個人的な感想を述べておこう。 『どこどこ』は基的には岸と北田のイチャイチャであり、筒井と稲葉はゲストという以上のものではない(にもかかわらず応分の印税をいただいていることには感謝の言葉もない)のだが、そのことによって書についての責任をまぬかれようというわけではもちろんない。というのは、書に至る二人の議論の形成において拙著『社会学入門』もそれなりの影響を与えてい

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    kaikaji 2018/12/17
  • AMSEA講義準備から「表現の自由」からみの抜粋 - shinichiroinaba's blog

    現代社会においては「公的/私的」の区別には幾通りかあり、混乱のもとである。 ひとつに、先に指摘したような、国家など公的権力、政府の領分と、民間の市民社会の領分との区別。 いまひとつは、国家も市民社会もひっくるめた開かれた領域と、秘め隠されうる私的な領域との区別。この場合民間の団体も公的でありうる。すなわち、私的な友人間でのやり取りではなく、表通りに店を出して取引をする場合、私的な営利目的であろうとそこは公的な領域である。 「レンブラントでダーツ遊び」問題はこの観点から意味づけることができる。芸術作品の多くは私的に所有・占有されているし、営利目的で取引されているが、それを権利者が自由に処分すること、とりわけ消費して消耗してしまうことに対しては、強い批判が向けられるのは、この所以である。公的な価値を認められた芸術作品(そして自然の土地など)の所有者が、その管理責任をしばしば公的に負わされる理由

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    kaikaji 2018/10/06
  • エドワード・ルトワックと木庭顕 - shinichiroinaba's blog

    『エドワード・ルトワックの戦略論』を読んでいて開巻早々に驚くべき記述に出くわす。 ここで私が展開する主張は、さまざまな逆説的命題や露骨な矛盾を抱えていても、戦略は必然的に妥当な考えを伴うということではない。むしろ、戦略の全領域が逆説的論理に満ちている、というものである。それは、生活の他の全領域で適用される通常の「直線的」論理とはまったく異なるものだ。生産と消費、商業と文化、社会・家族関係と合意に基づく政治であれば紛争は存在しないか、あるいはそれらの諸目的に付随するにすぎない**。その場合、闘争や競争は、常識に基づく法や慣習といった矛盾のない直線的論理に基づくルールによって抑制される。しかし、戦略の領域では、人間関係が、実際の、あるいは起こり得る武力紛争によって左右される。そこでは、まったく異なる別の論理が働き、反対の一致や逆転を促すことによって通常の直線的論理に常に背くことになる。したがっ

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    kaikaji 2018/07/10
  • 東京法哲学研究会例会(12月16日) 瀧川裕英『国家の哲学』合評会を承けて - shinichiroinaba's blog

    国家の哲学: 政治的責務から地球共和国へ 作者: 瀧川裕英出版社/メーカー: 東京大学出版会発売日: 2017/08/23メディア: 単行この商品を含むブログ (4件) を見る 他のコメンターのお二人に比べて素人臭い外在的なコメントを、しかも不十分にしかできなかったので、その後の討論を踏まえて「国家論」の今日的課題について少し考えてみた。 今回の瀧川の著作は規範的政治論としての国家論を自覚的に打ち出したものであり、国家の概念分析や質論にはあまり拘泥せず、「政治」や「国家」という概念についてもかなり割り切って書なりの限定された(むろん常識から乖離してはいないが必ずしも自明というわけではない)暫定的定義づけを行い、その範囲内で作業を進めている。その意味でノージックのASUの精神に近い。 論点はあまりに多岐にわたり包括的であるが、中心的主題として印象に残るのは以下のとおりである。 書前半

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    kaikaji 2017/12/26
  • 「トマ・ピケティ『21世紀の資本』と日本」(4月3日@荻窪ベルベットサン)配布資料 - shinichiroinaba's blog

    トマ・ピケティ『21世紀の資』の経済学史・社会思想史的地位付け    稲葉振一郎 20150403 @荻窪ベルベットサン 1 20世紀末から21世紀初頭にかけての経済的格差・不平等を巡る議論の焦点 *事実発見 ・先進諸国において――「クズネッツの逆U字」が終わり、国内的格差の拡大傾向? 主因は賃金格差? 更にその背後には技術革新(=技能偏向的技術変化SBTC)による学歴格差とグローバル化による「中抜き」? ・グローバルには――産業革命以降拡大一方の南北格差が、ここにきて徐々に縮まりつつある? 中進国のキャッチアップ 主因はグローバル化? ・平等度が高い方が経済成長率も高い? *理論的考察 ・先進経済の国内的格差を解明するための理論的試み SBTC以外に―― 分配と成長の関係についての理論的考察が増える。 古典派的伝統(スミスからマルクスまで)においては、階級間の富・所得分配がストレートに

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  • 流れた研究会用のメモ - shinichiroinaba's blog

    「新自由主義neoliberalism」という思考停止用語について 何でもかんでも憎らしいものに対してレッテルを貼っているだけではないか? ☆例えば―― バブル崩壊前の日経済についての理念的モデルとしての「日的経営」「日型企業社会」と「産業政策」「護送船団行政」の組み合わせ その組み合わせを破壊し、退廃した安定を崩してより大きな混沌へと導いたのが「新自由主義」である――というのがバブル崩壊以降、ことに21世紀に入ってからよく聞かれる話 「ネオリベ」という頭の悪そうな略称が出現したのは21世紀? しかしながらそもそも「新自由主義」の語自体はもっと古い。 フーコーはすでに70年代、「福祉国家の危機」の時代に用いている。 石油ショック、財政危機、スタグフレーションから貿易摩擦の時代には大流行 80年代には定着 ただしその時代は――「ジャパンアズナンバーワン」 ケインズ政策への懐疑とマネタリ

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    kaikaji 2014/10/03
  • お買いもの - shinichiroinaba's blog

    ラテンアメリカにおける従属と発展─グローバリゼーションの歴史社会学 作者: フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ,エンソ・ファレット,鈴木茂,受田宏之,宮地隆廣出版社/メーカー: 東京外国語大学出版会発売日: 2012/04/10メディア: 単行この商品を含むブログを見る 従属論の大家の一人にしてブラジル経済立て直しの立役者の元大統領の60年代末ごろの著作を今頃翻訳することにどういう意味があるのかについて。 いや皮肉ではなく。従属論といえばどうしてもフランクのような自力更生論になるのが普通であり、その意味でカルドーゾはグローバリストに転向したのだ、というのがよくある見方(デイヴィッド・ランデスもそういう嫌味を垂れてなかったか?)なのだが、どうも違うらしい……。年収は「住むところ」で決まる 雇用とイノベーションの都市経済学 作者: エンリコ・モレッティ,安田洋祐(解説),池村千秋出版社/メー

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    kaikaji 2014/05/11
  • 「大屋雄裕『自由か、さもなくば幸福か?』(筑摩選書)刊行記念トークセッション」のためのメモver.3 - shinichiroinaba's blog

    当日配布したものはver.2です。こちらは初公開。 20140405大屋雄裕.pdf 統治と功利 作者: 安藤馨出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2007/05/30メディア: 単行購入: 2人 クリック: 55回この商品を含むブログ (80件) を見る功利主義ルネッサンス―統治の哲学として (法哲学年報) 作者: 日法哲学会出版社/メーカー: 有斐閣発売日: 2012/10メディア: 単行この商品を含むブログを見る

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    kaikaji 2014/04/06
  • 余剰モデルと消費貸借モデル再び - インタラクティヴ読書ノート別館の別館

    木庭顕がマルセル・モース、レヴィ=ストロース、そしておそらくはカール・ポランニーを意識しつつ交換echangeというとき、それはいわゆる「贈与交換」のことであるが、ここで大事なことは、この「贈与交換」が時間の流れの中で行われる非対称的な営みである、ということだ。すなわちそこでは贈る側が先手を取り、贈られる側が受け身となる。これが「交換」である以上贈られた側は返礼をしなければならない。しかしそれは一見、貨幣経済の中での貸借関係のように見えて実は違う。貨幣経済の中での貸借は、貨幣を媒介とした等価関係が明快に定義できるようになっているが、貨幣という尺度が確立する以前の贈与―返礼関係にはこうした明快さが欠けている。性急な一般化は避けなければならないが、このような場合には先手がリーダーシップをとってしまう可能性が高いのではないだろうか。 ポランニーの図式に従うならば、非市場的な取引様式のいま一つの類

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    kaikaji 2014/02/04
  • 「9月22日『日本の起源』出版記念 中世化する日本?『平清盛』から『日本の起源』まで@ネイキッドロフト」へのフォロー - shinichiroinaba's blog

    当日は入場料負けてもらったかわりに壇上でしゃべらされましたのですがそのフォローアップのメモです。 ================= 與那覇潤『中国化する日』の構想の重要な着想源のひとつ(参照文献の中にはあげられていないにもかかわらず、原論文「中国化論序説」などを見る限りではおそらくは最重要の)は、中国史家足立啓二の『専制国家史論』などにおける中国史理解である。與那覇が「中国化」と呼ぶ傾向性は、足立がその研究において中華帝国の統治や社会の特性を日、更には西欧のそれと比較して際立たせる時に用いる「専制」なる言葉がさすものと重なっている。(たとえば足立「一八〜一九世紀日中社会編成の構造比較」。) 周知のとおり與那覇は『中国化』において古代末期、律令制導入以降の日歴史を、中国に範をとった集権的帝国化=中国化と、割拠型自治体制化=江戸化との間で引き裂かれたものと描いているが、この描像の新し

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    kaikaji 2013/09/25
  • 「成長の政治経済学」についてのノート(未定稿) - shinichiroinaba's blog

    11月23日の科研の研究会での報告。 実際にはこの前段のサックス、イースタリーらの論争を軸とする開発の政治経済学の簡単な展望を口頭で行ったうえで、このレジュメの要所だけを紹介した。 未定稿だが単なる勉強ノートで金をとるようなものではないので公開する。専門家がご覧になっていろいろ不備を指摘していただけることを期待していることは言うまでもない。大幅に拡充したものをいずれ紀要あたりに載せて、更にまた大幅に圧縮して準備中の『政治理論入門(仮)』に取り込む予定。 なお口頭報告で紹介したのは 貧困の終焉―2025年までに世界を変える 作者: ジェフリーサックス,Jeffrey D. Sachs,鈴木主税,野中邦子出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2006/04/01メディア: 単行購入: 15人 クリック: 174回この商品を含むブログ (85件) を見るエコノミスト 南の貧困と闘う 作者: ウ

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  • Daron Acemoglu & James A. Robinson, Why Nations Fail (Crown Business) - shinichiroinaba's blog

    Why Nations Fail: The Origins of Power, Prosperity, and Poverty 作者: Daron Acemoglu,James Robinson出版社/メーカー: Currency発売日: 2012/03/20メディア: ハードカバー購入: 13人 クリック: 175回この商品を含むブログ (12件) を見る とりあえず読み終わったので、現在書いているメモから抜粋。 ============ Daron Acemogluらの研究グループによる「成長の政治経済学Political Economy of Growth」の研究プロジェクトにおける一つの論点は、包括的inclusiveな政治制度≒民主政と、包括的な経済制度≒自由な(開放的で公平な)市場経済との相互依存(好循環)、それと裏腹の略奪的extactiveな政治制度――権威主義的独裁等――

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