子どもは自由です。経済的な事情や身体的な事情など、個々の事情はあるでしょうが、少なくとも心は自由ですし、自由であって欲しいと思います。 一方、大人は不自由です。子どもと違って、自分の意思で好きなように生きられる点では、一見すると「自由」なのですが、目的や意味がないと何も動けない、という点で実に「不自由」な生き物です。 というようなことを以前書きました。 www.overthesensitivity.com 子どもは、大人から見て「何の意味があるの?」と首をかしげたくなることに没頭して、それに夢中になります。でも、成長するに従って、不自由な大人の世界が垣間見えてくると、「自由」の期限を何となく意識し始め、そこで初めて「自分探し」を始めます。 子どもの「自分探し」 「自分探し」というのは、大人の不自由な世界に入ろうとしている「自分」、すなわち、社会の歯車になろうとしている「自分」の最後の抵抗、
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