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2010年2月20日のブックマーク (3件)

  • 16年と5ヶ月、お疲れ様。 | その後の、どんなジレンマ

    93年夏から一緒に暮らしたが、死んだ。 手のひらにおさまる子で、「はて、ここはどこだろう?」なんてきょとんとした顔していた様子が昨日のことのように思い出されるので、小さな棺に納められた君の亡骸を見ても実感がわかない。 この数日、欲が無くなり、水も自力では飲めなくなったから寿命が近いと感じたけれど、認めたくなかった。正直心の準備ができていなかった。20年、25年生きるもいる。さよならするのはもう少し先かと思っていた。あなた自身の寿命もあるかもしれないし、男の子の方が寿命が短いのかもしれないね。与えられた時間を精一杯生きたことは、たしかに見せてもらいました。 2年くらい前から、最盛期と比べると一回り小さくなって、君はおじいちゃんしていたんだね。首輪、通気性が良いものにしても皮膚が荒れて毛が抜けるようになったから、この数年は首輪外してもらっていたね。亡骸の君をなでて、背中の毛を整えたりし

    kananaka
    kananaka 2010/02/20
    『君を育てて、君をかわいいと思うようになって、猫が好きになりました』 旅立った彼も、飼い主さんを通して、ヒトを好きになってくれたと思います。読めてよかった。
  • なごなぐ雑記: 「沖縄のこころ」―民衆の社会的連帯の再生

    明日(もう今日だ)の沖縄タイムスの読書欄「今週の平積み」に、『沖縄論』の私の書評が掲載されますので、チャンスがあれば読んでください。新聞社の方がつけてくれた見出し(タイトル)は、私が確認したゲラでは「『沖縄のこころ』実現の提言」となっていました。 編著者である宮憲一先生は『沖縄論』のなかで、「沖縄のこころ」を「現実主義的理想」といいます。我々の世代もそうだし、復帰などを知らない若い世代はもっと「沖縄のこころ」といわれてもピンとこないと思います。世代間のギャップもあるけど、時代の推移も大きいものがあります。 新聞に掲載する書評では字数に限りがあり、書けなかったことを、なんとなく整理もしないまま、今日はここに書いておきます。 「沖縄のこころ」など、単なることばです。「こころ」は人の数ほどそれぞれにあり、うつろいやすく、情緒的抽象的なものだといっていいのだと思います。 『沖縄論』には、「沖縄の

    kananaka
    kananaka 2010/02/20
    『実際には、この10年余の沖縄は、とても大切な自治の根幹を腐食させていった10年余でした』 「その3」のリリース、気長にお待ちしています^^
  • 論理的な女について思うこと

    論理的じゃないから女は嫌だというような言い回しをよく見るので、その度に思うことをちょっと書いてみようと思います。 (増田に書くという時点で愚痴とか文句みたいなもんなんだけど。) 1 じゃぁ何あなたには論理的思考力というものが十分に備わっていて、それを実行できてるの? これだから女は、ということを言う奴に限って論理的ではないことが多いように思います。 まったくもって合理的でない仕事の進め方に僭越ながら助言してみても、どうやら信念があるようで頑として聞きやしない。 まぁいいですよ、そのやり方で結果が出てるようならば。 でもそうじゃないですよね。 結局のとこ「女=論理的でない」と言うような男って、「女=仕事ができない」ってレッテル押したいだけのような気がします。 2 そもそも「論理的」って言葉の意味、わかってます? あなたの思っていることって、その実論理的ではないのかもしれませんよ。 女の子の中

    論理的な女について思うこと
    kananaka
    kananaka 2010/02/20
    『これだから女は』&『言い負かされる彼女に可愛げを感じるのは自然の摂理』、共に筋悪な"論"("理"は無い)。"論理"の対極は"非論理"、"感情"の対極は"理性"。理性と感情、一方だけで生きられる人を見つける方が難しい