普天間基地移設問題の経過 1995年 9月 米兵による少女乱暴事件が発生 10月 8万5千人が参加し、乱暴事件に抗議する県民総決起大会 1996年 4月 日米両政府が5~7年以内の普天間飛行場返還で合意 12月 日米特別行動委員会(SACO)最終報告で普天間返還と本島東海岸への海上基地建設で合意 1997年12月 (基地建設受け入れの是非を問う名護市民の住民投票では過半数の市民が基地建設受け入れに反対票を投じた。)比嘉鉄也名護市長が基地受け入れ表明、後に辞任表明 1998年 2月 大田昌秀知事が海上ヘリ基地反対を表明 名護市長選で基地容認派が推す岸本建男氏が初当選 11月 県知事選で稲嶺恵一氏が初当選 1999年 4月 名護市辺野古地区住民がキャンプ・シュワブ沿岸への移設を県に要請 11月 県が移設候補地に辺野古を正式決定 12月 岸本市長が移設受け入れを正式表明 政府が移設場所を県