2016年06月20日17:21 カテゴリ法/政治 民の声は天の声か 舛添知事があす辞任する。彼のやったことを擁護する気はないが、違法行為もないのに「人民裁判」が知事を辞任に追い込んだこの事件は、よくも悪くも日本にデモクラシー(大衆支配)の伝統が強いことを示している。 これは世界的な傾向でもある。ドナルド・トランプやイギリスのEU離脱派に共通しているのは、イスラム系移民に職を奪われる大衆の拒否反応だ。そういう人々が人口の多数を占めていることは事実だが、それは彼らの判断が合理的であることを意味しない。 こういうときデモクラシーの暴走に歯止めをかけるのが、立憲主義による法の支配である。ところが朝日新聞の根本清樹氏は「憲法は国家権力を拘束するものだから国民は守らなくてもよい」と書き、外岡秀俊氏は「立憲主義と民主主義の危機」というように両者を同列に置いて「リベラリズム」を語る。 ここには日本の「戦