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終わりに関するkazu_levis501のブックマーク (6)

  • 財政赤字の「ネズミ講」は可能か : 池田信夫 blog

    2016年12月10日20:55 カテゴリ経済テクニカル 財政赤字の「ネズミ講」は可能か 小黒一正氏によると日銀の保有するETFは約9兆円で、国内ETF市場の6割を占めるという。すでに国債は日銀が最大の保有者だから、日の株式市場も債券市場も「国有化」されるわけだ。これは金融政策ではなく(日銀法43条による)財政政策だが、株式市場も債券市場も日銀の下支えで安定した。 つまり日銀の量的緩和は、金融政策としては役に立たないが、財政政策としては有効なのだ。これは1980年代以降、経済学者の信じてきた「短期的な景気循環の調整には金融政策、長期的な成長には生産性の向上が必要で、ケインズ的な財政政策は有害だ」というコンセンサスとは違う。 これはケインズ派とフリードマン派(マネタリスト)の長い論争で後者が勝った結果だが、その原因は財政政策は長期的にはインフレを招くだけでGDPは持続的に上がらないという自

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  • LINE出澤社長、「陣取り合戦は終わった」--“生みの親”シン・ジュンホ氏の評価は

    「スマートフォンメッセンジャーとしての世界での陣取り合戦はほぼ終わった。この状況のなかで新しい国に展開しても成功確率は低い。いま我々がやっている“スマートポータル”が次の大きな波になると思っている」――LINE代表取締役社長の出澤剛氏は、7月15日に開かれた上場記念会見で、次なる戦略を語った。 同社は、7月14日(現地時間)にニューヨーク証券取引所へ、7月15日に東京証券取引所市場第一部へ、それぞれ上場した。2011年6月に、メッセージアプリ「LINE」を公開してから約5年での上場となった。初値は公開価格である3300円を大きく上回る4900円となり、時価総額は1兆円を超えた。 LINEが上場した2つの狙い 同社は2014年、2015年と上場を計画していたが実現には至っておらず、まさに“3度目の正直”での上場となった。 このタイミングでの上場について出澤氏は、「市場の環境よりも大事なのは内

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  • ディスプレイ広告で稼ぐ時代が終わる? スマホのユーザー体験が突きつける現実

    この連載では、メディア、とりわけても「メディアビジネス」をめぐって起きている、さまざまな地殻変動的な事象を確認していく。これらの変化は根源的であり、その影響はメディアの中心部ではもちろん、収益モデル、組織や採用、マーケティングなど周辺部へと広範囲に及ぶ。これら事象が、メディアのビジネスを今後どう変化させていくのか、分析と予測も述べていきたいと思う。 初回は、モバイル時代の「ユーザー体験」の変化と「広告ブロック」問題から始めたい。メディアと広告業界が長らく依拠してきたマネタイズ戦略、その大転換が近づいている。 なぜ広告ブロックが急増するのか まず、「広告ブロック」のトレンドだが、むろん、「アドタイ」読者であれば関心をもって見ているだろう。国内の広告市場に与える影響はまだまだ軽微だとの“楽観論”もあるようだ。だが、モバイル時代の「ユーザー体験」の核心的課題と組み合わせて考えれば、楽観を許す現象

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  • 幼児時代の終わり : やまもといちろう 公式ブログ

    病み上がりではありますが、記念ですし、お世話になった幼稚園関係者の皆様や父兄の方々にも最後のご挨拶をしたいと思って幼稚園卒業の修了式へ夫婦でいってきました。 園長先生の四季をモチーフにした心地よいお話や、来賓の方々のご協力もあって(いろいろあったけど)無事に長男が卒業できたのだなと、感動したというよりは感慨深く感じるわけです。あんな小さかった長男がねえ。いまでは一張羅の子供スーツ着て走り回っているわけですよ。 途中、君が代斉唱になりましたので、心を込めて歌いましたところ、力が入ってしまったのか園児がみんなこちらを振り向くというハプニングもありましたが、つつがなく式典は終了し、少し懇親をして、3年間の長男の成長や苦労話、思い出話で盛り上がるわけであります。修了証を千代田区から頂戴した筒に入れて持ち歩く長男もどことなく誇らしげです。その直後に次男三男と綺麗な筒の奪い合いに発展するのは山家の定

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  • 「近代世界システム」の終わりとしての1968年 : 池田信夫 blog

    2016年02月23日00:28 カテゴリ 「近代世界システム」の終わりとしての1968年 山義隆氏の『私の1960年代』が全共闘運動の敗北宣言だとすれば、書はその勝利宣言だ。1984年に書かれた論は陳腐化しているが、2012年に書かれた長文の補論は「68年に始まった大衆蜂起の時代はようやく開幕したばかりだ」と結ばれる。 といっても著者は、レーニン的な社会主義革命を夢見ているわけではない。彼の論拠は、ウォーラーステインの「1968年が近代世界システムの終わりだ」という規定である。 「長い16世紀」にヨーロッパから始まったグローバル資主義は、その後の500年で全世界を支配下に置く世界=経済を構築した。その過程で彼らが行なった戦争や植民地支配は不問に付され、第1次大戦で世界の再分割が終了した後の武力による現状変更が「侵略」とされた。国際連盟も国連も「先進国クラブ」の既得権を守る体制で

    「近代世界システム」の終わりとしての1968年 : 池田信夫 blog
  • “日本は終わった”の?|ガジェット通信 GetNews

    今回はKenさんのブログ『Tokyo Life』からご寄稿いただきました。 “日は終わった”の? 日からのニュースが暗い話、気の滅入る話ばっかりなんですよね。地震、津波、原発事故が起きたからそれはまあ仕方ないんですけど、それに続く話もろくなニュースがないように見えます。私の『Twitter』のタイムラインが偏ってるのかもしれないけど、それを抜きにしても、今後を嘆く声ばかりが聞こえてくる。そして、それがいちいち筋は通っている。もう、“日は終わった”という勢いです。 たしかに厳しい。しかも、原子力災害補償スキームひとつにしてもマトモなものを設計できない政治。先行きを考えると重苦しいのはたしかにそう。 ……なんだけど、でも、ふと思い出す。そこまでダメダメなんだっけ? 世界トップレベルの平均寿命、貧しくなったとはいえまだ世界的には豊かな部類に入る庶民の暮らし、類を見ないほど洗練されたサービス

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