去る3月上旬、自民党大会では、総裁任期を現行の「連続2期6年」から「連続3期9年」に延長する党則改正が行われた。この党則改正に「安倍一強」と評される現下の政治情勢が反映されているのは、あらためて指摘するまでもない。こうした「鉄壁」とも評すべき安倍内閣の政権運営には、俄(にわか)に軋みが印象付けられるようになっている。 その軋みの焦点になっているのが、稲田朋美防衛大臣である。「西の豊中」案件や「南スーダン派遣自衛隊部隊日誌」管理案件だけではなく、教育勅語の評価に絡む発言でも、彼女は批判を浴びている。『読売新聞』(3月16日付、電子版)社説は、「防衛省日報隠し 稲田氏に『統率力』はあるのか」と題して、彼女の政治姿勢における「軽さ」を批判している。彼女は、安倍内閣の「弱い環」になった感がある。何故、そのような仕儀に至ったのか。この疑問を前にして、次に挙げる二つのことを考える必要があろう。 第一に
参政権とは読んで字のごとく選挙権と被選挙権に代表される政治に参加する権利で公民権とも言い民主主義国家の根幹をなす権利です。それは多くの国において自国民に限定され、一定年齢以上の国民に同等の権利が与えられています。また、一般国民に参政権が与えられているか否かが、その国が民主国家か否かを判断する重要な基準であるとも言えます。 戦前、日本の議会構成は選挙によって選ばれる代議士で構成される衆議院と、皇族、華族、勅任議員によって構成される貴族院の二院制でした。衆議院選挙の選挙権は、当初、納税額による制限がありましたが、1925年から25歳以上の日本国籍を持つ男子であれば本籍や納税額に関係なく投票が可能になり、被選挙権(立候補する権利)も本籍(出身地)による制限はなく、日本国籍を有する30歳以上の男子であれば誰にでも代議士への道は開かれていました。ただし、選挙区は内地に限定されていたため、住む場所によ
瀬戸内寂聴さんのビデオメッセージに批判の声が多く寄せられ、寂聴さんは、そのメッセージを否定する「バカは私」発言を再びなさった。この一連の流れから察するに、僧侶になろうとも、人の本心は変わらぬことを物語っている。出家し袈裟をかぶり体裁を整え、修行して徳を積み、人様に説教して廻り、傍目には「さすが僧侶」と見えた。しかし、それは表面的なものであり、本心は変わらぬことを自ら、我々に示したのである。 瀬戸内寂聴氏 人間は生来持って生まれる生物学的性質と生活環境が、縄のごとくあざなって成長するものである。生活環境とともに、基本の生物学的に規定された性格(DNAレベル)要因が大きく左右し、人格形成がなされてくるのである。いくら良い環境で育とうとも、生物的に規定された性質によっては「反社会性人格障害者」が生まれてくることがある。生まれながらに犯罪(反社会的行為)傾向の強い人と言ってもよい。 これら一部の人
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