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thinkに関するkei-sのブックマーク (76)

  • Flashのことを笑っている場合じゃない « ku

    Web開発の現状を25のトゥウィートで斬るとこうなる–iPhoneを見捨てたFacebookデベロッパの告白のはなし。 Apple vs Adobeで大揉めしてみんなに楽しい娯楽を提供してくれているけれど、我々ウェブ開発者(というのは大雑把すぎるくくりだけれど)にとってはFlashなんてはなから選択肢に入っていないのだから単なるゴシップでしかない。 でもJoe Hewittの話はひとごとではない。 彼は10年前の2001年にcanvasを実装し[canvas]、Firebugを作り[firebug]、facebookのiPhone向けWeb版を作り、facebookのiPhoneアプリを作りセットでいろんなiPhoneアプリで使われてるthree20を作り、Appleの身勝手にうんざりしてiPhoneアプリはもうやらないと宣言してた。 彼のいまのウェブに対する見方はこのふたつのtweet

  • 新社会人は新しい「社会人」を再構築しよう! - アンカテ

    今日(4/1)、私は勤務先の入社式でスピーチをすることになっているんですが、何を話すかについてメモを作ったので、ここで公開してしまいます。エイプリルフールと間違えられるといけないので、3/31の日付で投稿しました。 これから、このメモをポストして会場に向かい、iPhoneで自分のブログを見ながら話す予定です。どこを話すかは、その場の雰囲気で決めます。 挨拶・導入 入社おめでとうございます 今日から皆さんは社会人としての一歩を踏み出すわけですが、今日は、「社会人とは何か」ということを一緒に考えてみたい 私が就職したのは25年ちょっと前。「もう学生ではないんだから」と回りからよく言われた 社会人とは「今ある社会にスッポリはまる人間」だった つまり、社会人という穴が空いていて、そこに自分を押しこむイメージ 社会は変わらない、個人がそこに適応すべきという前提がある それでいいのだろうか?社会は変化

    新社会人は新しい「社会人」を再構築しよう! - アンカテ
    kei-s
    kei-s 2010/04/02
  • リアルの加速化からバーチャルのリアル化へ - アンカテ

    最初、印刷は筆写を加速したものに過ぎなかったけど、たくさんの印刷物が行き交うようになると、それが公共圏となり最終的に国民国家を生んだ。国民国家の中核には言論によって維持される「民族」という幻想があって、それは言論のプラットフォームが無いと維持できないものだ。 機械は、最初、その時存在するリアルを加速する為だけに使われるが、それが一般化して自律的に動きはじめると、それが今までとは別の形のリアルを生み出す。 コンピュータネットワークは、これまで、それ以前に存在したリアルを加速する為に使われてきたが、そろそろ、これまで存在しなかった別のリアルを生み出すフェーズに来ているのではないだろうか。 メールは文書による伝達を加速しただけのものだったから、「宛先」とか「送信元」とか「タイトルと文」とか「添付」とか「配信(配達)」とか、アナロジーで説明できたけど、twitterはそうではない。twitter

    リアルの加速化からバーチャルのリアル化へ - アンカテ
  • 志の高い企業、ふつうの人 - 思っているよりもずっとずっと人生は短い。

    メモ。 志の高い人を雇いたがるのは、志の高い企業のするべきことなのだろうか。志の高い企業は、ふつうの志の人を雇い、高い志を持たせるような企業ではないだろうか。あるいは、ふつうの志の人を雇い、ふつうの志のまま、よい仕事をさせるような企業ではないだろうか。 優れた人を雇いたがるのはよいことなのだろうか。それは極論すれば、優れていないひとはどうでもいい、ということなのではないか? そのような企業で働きたいと思うだろうか? そのような企業で働きたいと思う人ばかりの社会で生きていたいと思えるだろうか? ふつうの人が9時から6時まで(または10時から7時まで)、ふつうにプログラムを書いていればふつうに生活ができる、という世界の実現は困難なのだろうか。 今のソフトウェアエンジニアリングはふつうの人に辛すぎる。ここで言う「ふつうのひと」とは、たとえば「基的に自分でを買わない」「就業時間以外はプログラム

    志の高い企業、ふつうの人 - 思っているよりもずっとずっと人生は短い。
  • 舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』を一気読みして徹夜する - 第弐齋藤

    舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日 上』 [Amazon] 舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日 下』 [Amazon] 至極複雑怪奇にして、なお痛快。一気呵成に読み切った。 今年の収穫のひとつだと思う。 上巻を200pぐらいまで読んでいい加減うんざりしながら22:00スタート。 その後、6:30まで下巻まで一気に読み通す。 もう三十路超えてそういうの止めたほうが良いよ? という理性さんのおっしゃることを鼻で笑いながら止まるかよバカの一声。一気呵成。ああもう読むのって面白いねホント、と思うのはこういう瞬間で、あとはもうどうでもいいしどうとでもなれだしどうとでもなる。それで何だっけ? ああ舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』。面白かった。 ミステリ? 文学? なんでもいいんだけど。 言葉を使って、これくらいのことが今この国ではできるんだよ? だって俺やったもんほら。 みたいな。素敵な挑戦状だと思

  • ポスト・フラットのはなし その4 (better)

    まったく馬鹿げた話だが、ここはもともと「ポスト・フラット」の話をするためにはじめたのだった。すぐ書くつもりが忘れていて、どうでもいい話ばかりで埋まってしまっている。これではディレクトリを/blogから/journalに変えた意味がない。 しかし「ポスト・フラット」は未だ抽象概念であって、具体例をどのように示せばいいのかも判らない。そこで止まっていた。しかし考えるだけでは何も生まれないのだ。考えるためには、考えるための道具を集めなくてはいけない。道具を集めずに考えるからいつまで経っても何も浮かばないのである。それは知っている。 そこで、もしアートの展覧会で「ポスト・フラット展」があったとして、そこにどんなものが展示されているかを考えることで埋めていくことにしよう。アートの多くは抽象概念のまま提示する媒体であるから、ポスト・フラットとは相性がいいはずだ。 「フラット」がコンテキストから開放され

  • ポスト・フラットのはなし その2 (better)

    ポストフラットとは何か。この言葉が示す対象はまだ世の中にない。だから具体例が出せず判りづらい概念かもしれない。反面、同時代を生きている人には感覚的に理解しやすい言葉だとも思っている。 この言葉がどういう意味なのかを単純に説明すると、ポストは「後」という意味だから、ポストフラットは「フラットの後」ということ。ではフラットとは何かというと「平ら」だが、ここでは平らな時代、つまり今、現代のことを示している。だからポストフラットは「現代の後」の時代、今の次に来る時代のことである。 ポストフラットな時代とは何かを語る前に、当は「平らな時代=現代」が真実かを検証するのが筋かもしれないけども、今回はそれは後回しにして必要だと感じた時に説明する。なので、とりあえず以下の前提は既に共有しているものと仮定する。 現代の文化は総じて「フラット型」であり、それを支える各人の行動様式は「新自由主義」的だった

  • ポスト・フラットのはなし その1 (better)

    ポストフラットというキーワードを意識したのは二〇〇六年七月だったと思う。自分のミニコミを作っていた時に思いついた概念で、渋谷の喫茶店で大谷能生さんにその妄想を話したことがある。当時サイトのトップページに唐突に「post-flat」と単語だけアップしたのを覚えてる人はいるだろうか。 更に具体的に言語化したのは翌二〇〇七年の五月~六月で、大谷能生さんのイベントでその話をしようと思ってまとめていたのだ(しかし筋から離れすぎるのでポストフラットの話は3分程度で終わった)。そしてその後『週刊アスキー』の書評欄で簡単な言葉の紹介をして、以降は知り合いにしか話していない。 その「ポストフラット」について、二〇〇八年ならウェブに書くのがちょうどいい気がしてきたし、もう一年以上、何をするにも頭を横切る思考の基盤になっていて、そろそろ自分の中にだけ閉じ込めておくのも我慢できない、飽きた、という個人的判断

  • ポスト・フラットのはなし その3 (better)

    ポストフラットを説明するのに、少しだけ確認しておかなくてはいけないフラット型社会──くり返すが現代のこと──の特徴がある。それは「大きな物語」と呼ばれるような思考、「何かが始まると何かが終わる」という価値観が適応できない出来事が多くなってきていることだ。 というのは、フラット化を目指している現代は「何かが始まっても前の何かも続いていく」という累積と並列化の世界だからだ。古いモノと新しいモノを同時期に体験できる──というより既にタイムスタンプの違いでしかない──、レアなモノもそうでないモノも簡単にアクセスできる、プロも素人も同じ制作機材を使える、同じ空間にいる、同じものが共有される……。そこにあるのは単なる個人史(個人視?)だ。「大きな物語」があるように思えたのは、または物事が順番に登場したように見えていたのは、自分の視野に入る「小さな物語」の塊であって、視界に入らなかった出来事や物語がこの

  • 「実名」と「特定」は別のものだ:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点

    メールアドレスのご連絡 久しぶりのエントリーだが、まずビジネス上の緊急連絡から。 ドメインのレジストラ移管のトラブルで、わたしがいつも使っているsasaki@pressa.jpのメールアドレスが不達になってしまっています。「佐々木からメールの返事が来ないけど、どうなってるんだろう」と思われた方は、お手数ですがsasakitoshinao@gmail.comまで再送していただけませんか。DNS浸透期間が完了するまで、この状況はしばらく続いてしまいそうなのでよろしくお願いいたします。 匿名と特定の関係を考える さて先日、ビットメディアの高野雅晴社長と話をしていて、匿名/実名の話になった。高野社長は以下のようなマトリクスを提示して見せてくれた。 匿名と特定のマトリクス 実名 匿名 特定 実名ー匿名というのは、今さら言うまでもない。日人なら誰でも持っている氏名を、明かしているかどうかということだ

    「実名」と「特定」は別のものだ:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点
  • ゼロオーバーヘッド・ブロギングの時代 « ZeroMemory

    less-overhead と 0-overhead の違いはもうちょっと突っ込めると思う。これは全く質の違う話。無限小と 0 の差異。 less-overhead は微小のときもあるが、価値判断がその場で行われ、ギャップが存在する。 0-overhead は価値判断はその場では行われない。常に事後的に価値は見出される。 価値生成と overhead の関係はなにかあるんだろうな。 価値生成は時間量とは直接関係しないがタイミングとは直接関係がある。 – 以下駄文、おもいつき –

    ゼロオーバーヘッド・ブロギングの時代 « ZeroMemory
  • ゼロオーバーヘッド・ブロギングの時代 « ZeroMemory

    tumblrのファウンダーであるDavidのインタビュー Read/WriteTalk » Blog Archive » David Karp - CEO, Tumblr や、投資しているVC(25%くらい)のTumblrについての説明 Tumblr | Union Square Ventures の中や、lifehacker.comでの紹介 Geek to Live: Instant, no-overhead blog with Tumblrのタイトルで、no-overheadというキーワードが出てくる。いままでのブログに比べて、書くときに必要な付随する作業が少なくてブログを書くのにかかる時間が短くなる、という意味。 はっきりと文字で目にしたのはこのときだけれど、振り返ればWakoopaのときからこのno-overheadの流れがあった。 時間がないのでスケールしない インターネットでど

  • いま感じている悲しいとか楽しいとかキモいという気持ちを否定しない -

    いま目の前で仔が死んでいく様子を見て悲しいと思ったり、ディアボロの大冒険をやって楽しいと感じたり、揚げ足取り議論を見てキモいと思ったりすることがすくなからずある。 特にネガティブな感情の「キモい」あたりは、キモいと思うおれがキモいんだキモいとか思っちゃいけないんだこんな感情消さないといけないんだなんてことになりがちで、ただそうやって感情を押し込めて論理やらなにやらで自己解決に走るとたいていあとがつらい。 そうじゃない。キモいという感情は物でそれは疑っちゃいけないものなのだ。 ただし、そのキモいという感情を生み出した心のルールがどうやって自分に組み込まれたのか、そこは疑ってよいのだと思う。 その「疑うための道具」の一つが創作なのだと思う。とりわけSFはもっとも使い勝手のよい道具だと思う。*1 私がSF(っぽい)創作を書くのが好きな理由はそこです。 *1:SFとか創作とか言わなくても、思考

    いま感じている悲しいとか楽しいとかキモいという気持ちを否定しない -
    kei-s
    kei-s 2007/10/10
  • 広告β:リッチメディアとリッチ体験

    リッチメディアの行方が若干気になる。 何が気になるかというと、リッチメディアの主語がなにかということであって、 リッチにならないといけないのは表現側でなく、ユーザー側であると思う。 言い換えると、リッチメディアでなくリッチ体験を目指そうということになる。 広告に限って言うならば、表現のリッチさと体験としてのリッチさは比例していかない。 ケースにもよるのだが、多くの場合、どこかで反比例が始まる。 そしてその「どこか」は、思ったよりもずっと手前だったりする。 なぜかというと、広告の情報量は来、発信および到達情報量で測るのではなくて、 受信者の頭の中に広がった情報量になるのからだ。つまり、想像や妄想を含む。 それで、大切になるのはむしろ「想像や妄想」のほうなのであって、その理由は 間違いなく主語がユーザーだからである。自分で行った妄想は信じやすいということだ。 (そのへん

    kei-s
    kei-s 2007/08/14
    『大切になるのはむしろ「想像や妄想」のほうなのであって、その理由は間違いなく主語がユーザーだからである。自分で行った妄想は信じやすいということだ。』
  • ぼくはまちちゃん!(Hatena) - UIについて思うこと

    ぼくはライブドアリーダーを使っていない。 なぜならそれがブラウザ上で動くものだから。 ブラウザの画面を占有するから。 ぼくがwindowsのパソコン…というか、 マルチウィンドウのパソコンを使っていて、いちばん気にするところは 「視線の移動だけで変化(新着)の概要が得られるか」 だよ。 新着メールもそうだし、 RSSリーダーもそうだね。 昔、ぼくが作った「弱酸性ミクシィ」っていう拙いソフトもそう。(これは今は動かないけど) でもバルーンとか流れるティッカーはだめ。超だめ。 あれっと思った時には、もう情報が視界から消えているし、なにより目障りだから。 ところでtwitterはいいね! なぜならあれは、IM (小さな画面) で勝手に情報を流してくれるから素敵だよね。 うん。 たぶん、みんなチャットに飢えているんじゃないかな。 だからtwitterも、ぼくの見える範囲ではチャット化しているよ。

    ぼくはまちちゃん!(Hatena) - UIについて思うこと
    kei-s
    kei-s 2007/08/05
    コンテンツ,チャンネル,インターフェース,ファインダビリティ,など考えた
  • 広告β:「私はいったいどうしたいのか?」

    最近、「広告嫌いの傾向」が非常に気になっている。 もちろん、これ自体は局所的に話題になっているだけかもしれないが、 企業・メディア側がコントロール権を徐々に失い、受け手である消費者側が 徐々に自分の手に入れるものをコントロール可能になってくるという流れがあり、 いままで声にならなかった声が大きくなってきたのだと考えている。 で、知りたいのは、消費者側は広告嫌いの先に何を見ているかということで、 それは「自分の与り知らぬところで勝手に物事を進めるな」に集約されるのでは ないかと思う。その決定権を、こちらに渡せ。つまり納得して動きたいというであり、 なにごとかの決定にあたっては、自分の思考を通したいということである。 そのこと自体には共感するところが多いし、確かに、興味のないものを見せたり 何かと煽ってくる広告というのは、邪魔なものだということはよくわかる。 (ちなみに今

    kei-s
    kei-s 2007/07/25
    重要かも.問題提起として.『それは「自分の与り知らぬところで勝手に物事を進めるな」に集約されるのでは』『単に偶然かもしれないが、「人」がキーになっているように見える。』
  • Reblogしたエントリをクリップされたときのごめんなさい感

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    Reblogしたエントリをクリップされたときのごめんなさい感
    kei-s
    kei-s 2007/06/05
    『システムは力を持ったならその方向性によって破壊と創造を行う。』
  • 長尾のブログ2.0: 人工知能の未来を考えるブレインストーミング

    僕は、今月の20日から宮崎シーガイアで行われる人工知能学会第21回全国大会のプログラム委員長をしています。 全国大会というのは、学会の会員向けサービスの一つで、会員なら誰でも(一応、内容が適切かどうかのチェックがありますが)研究発表の機会が与えられ、優れた研究は学会の名によって表彰されるという、学会にとって最も重要なイベントなのです。 今回の大会では、有名なプログラミング言語Rubyの開発者まつもとゆきひろさんの招待講演もあります。 といっても、例年特に盛り上がりもなく、ただ淡々と「集まって、発表して、発表が終わったら適当に観光して帰る」という普通の会議になってしまうことも多いのです。 それで、今年はちょっと目新しいことをやってみようと思いました(ちなみに、昨年は「研究者の人生ゲーム」というイベントが行われて、そこそこ盛り上がったそうです)。 全国大会は300人以上が集まる会議ですが、そこ

  • 毎日正気のことばかり書き続けるという狂気 - アンカテ

    この一種の選別機能はピアグループへ個人を招請する際、金銭的なインセンティブよりも個人の倫理的な側面にその動力源のようなものをもっているのだろう。ドラッカーは「情報化組織では、そこに働く人間一人一人の自己規律が不可欠であり、互いの関係と意思の疎通に関して、一人一人の責任の自覚が必要になるということである」としている。 ウィキノミクスによってマスコラボレーションとして概括される現象の内部では極めて個人の倫理が問われるような現象が起きているし、起きるといえるのでないか。 情報システムの開発では、「遅れているプロジェクトへの要員追加はさらに遅らせるだけだ」という「ブルックスの法則」という経験則があります。つまり、知的作業における多数の共同作業においては、情報の流れを事前に設計しておき、しっかり管理しないとうまくいかない。 「ウィキノミクス」という現象においては、なぜこの「ブルックスの法則」に縛られ

    毎日正気のことばかり書き続けるという狂気 - アンカテ
    kei-s
    kei-s 2007/06/03
    『何らかの内発的な動機によって自発的な秩序が形成されることが、「ウィキノミクス」の鍵である』『この動機とは単なる「倫理」ではなく、「倫理」と「狂気」の混じりあった独特のもの』
  • ラブラブドキュンパックリコ - これからのWeb広告について

    【自分語り】1推しの卒業によせて . 私の1推し、ゆきりんこと柏木由紀ちゃんが、17年に渡り在籍したAKB48を卒業することになった。 この機会に、ゆきりん推し(48ファン)としての自分自身のことをすべては不可能であるものの振り返ろうと思う。 内容からして世代がわかることも仕方ないし、限りなくゼ…

    ラブラブドキュンパックリコ - これからのWeb広告について
    kei-s
    kei-s 2007/05/21
    考えるきっかけにする