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良識に関するkeiseiryokuのブックマーク (5)

  • 暴言と知性について - 内田樹の研究室

    復興相が知事たちに対する「暴言」で、就任後わずかで大臣を辞任することになった。 この発言をめぐる報道やネット上の発言を徴して、すこし思うことがあるので、それについて書きたいと思う。 松大臣が知事に対して言ったことは、そのコンテンツだけをみるなら、ご人も言い募っていたように「問題はなかった」もののように思われる。 Youtube で見ると、彼は復興事業は地方自治体の自助努力が必要であり、それを怠ってはならないということを述べ、しかるのちに「来客を迎えるときの一般的儀礼」について述べた。 仮に日語を解さない人々がテロップに訳文だけ出た画面を見たら、「どうして、この発言で、大臣が辞任しなければならないのか、よくわからない」という印象を抱いたであろう。 傲慢さが尋常でなかったから、その点には気づいたかもしれないが、「態度が大きい」ということは別に政治家が公務を辞職しなければならないような

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2011/07/05
    《論争的場面において、人々は詭弁を弄し、論点をすり替え、相手の思考を遮り、相手が「むずかしいことも理解できるように知性が好調になること」を全力で妨害している。》
  • ビタミン信仰 - とラねこ日誌

    ■不足から過剰へ 2010年現在、日に暮らしている人々の多くは、自分が必要とする栄養補給にはどのような事をどの程度べればよいのか教育等がなされており、望むのならば必要十分量の栄養素を確保できる状態にあるといえるのではないでしょうか。 栄養素欠乏により引き起こされる欠乏症は恐ろしいモノだけど、欠乏症を起こすほどの栄養不足は普通に生活していれば殆ど起こらない状況にまでなっています。これはとても素晴らしい事だと思います。 かくして、栄養摂取の重要性を訴える公衆栄養施策から、過剰摂取の害を説く公衆栄養施策に転換することとなりました。 そうした流れと、過剰摂取が引き起こすとされる生活習慣病予防と美容的観点から強迫観念を煽る所謂ダイエットの流行などにより、べ過ぎに対する罪悪感を煽られるようになりました。それと商業的な面などもあわさって主に女性をエネルギー過剰摂取忌避へと向かわせたのだとおもいま

    ビタミン信仰 - とラねこ日誌
  • 茂木健一郎 クオリア日記: ○○は脳に良いですか?

    いろいろな方とお話していて、良く聞かれるのが、「○○は脳に良いですか?」という質問である。 ○○をべるのは脳に良いですか? 朝○○をするのは脳に良いですか? メディアの中で、「○○は脳に良い」という言い方がしばしば見受けられるので、一つの思考の型として流布しているのだろうと思われる。しかし、科学的には、「○○は脳に良い」という言明には、あまり意味があるとは言えない。 だから、私は、このような質問をされると、一瞬絶句して、それからどのように答えようかと、一生懸命言葉を探す。 なぜ、科学的には、「○○は脳に良い」という言い方をしないのか。きちんと説明をする必要があるように思う。 「○○が脳に良い」という言い方の背景にある考え方は、科学的な言葉におきかえれば、脳の状態について、ある評価関数があって、○○によってその「数値」が上がるということを意味する。 たとえば、「朝チョコレートをべるのが脳

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2010/04/25
    《すかさず、「それは脳に良いですか?」と聞かれる》うわ、一発で対話意欲削がれるわ。
  • ジェンダーフリーとは ?Q&Aですぐわかる!?

    日頃より楽天のサービスをご利用いただきましてありがとうございます。 サービスをご利用いただいておりますところ大変申し訳ございませんが、現在、緊急メンテナンスを行わせていただいております。 お客様には、緊急のメンテナンスにより、ご迷惑をおかけしており、誠に申し訳ございません。 メンテナンスが終了次第、サービスを復旧いたしますので、 今しばらくお待ちいただけますよう、お願い申し上げます。

    keiseiryoku
    keiseiryoku 2010/04/17
    ときどきノリが軽い。
  • 血液型の話をすることくらいはいいのか? - NATROMのブログ

    ある特定の対立遺伝子Aを持つ人は、将来、癌に罹る可能性が高いとしよう。ある人が遺伝子Aを持っているという理由だけで、就職を断られることがあってもよいだろうか?新入社員を採用する際に、遺伝子Aを持っているかどうかを調べることを義務付けている会社があってもよいだろうか?これは、ほとんどの人が、遺伝子差別であり、許容できないと考えるであろう。では、このような遺伝子差別がある社会において、酒の席で「そういや、お前、遺伝子Aは持っているの?」と尋ねることは許容できるか?「私は差別するつもりは毛頭ない」と断った上でなら、遺伝子Aについての雑談を公的な場で発表することは許容できるであろうか? エントリーのタイトルを見たら、私が何を言いたいのか、読者の方々はわかっておられると思う。血液型が性格と強い関連を持つとする仮説は既に否定されているが、よしんば血液型と性格に関連があったとしても、血液型について安易な

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