関羽●生年不詳。字は雲長。張飛とともに劉備の挙兵以来の部下。赤壁の戦いの後、劉備が益州に入ると荊州を任されるが、孫権の裏切りにあう。死後、首は曹操に送られたが、丁寧に葬られたという。なお中国では商売の神として知られる。 桃園で一緒に酒を飲んだくらいのことはあったかもしれない。しかし、最初に会ったその日に中山靖王の末裔と聞いて、「生まれた日は違っても、死ぬ日は一緒」と関羽ほどの男がやすやすと誓いを立てるとは思えない。行動を共にしながら、互いの器量を計り合うようなことがあったはずだ。信用できるか、好きになれるか、命を預けられるか。そのうちに戦友の関係が兄弟のような間柄へと変わっていったのではないか。 それにしても24年もの流浪の間、よくぞ関羽も張飛も劉備を見捨てなかったものだ。「1人で1万人の敵を相手にできる」と言われた男たちである。魏や呉に行けば厚く遇されたことだろう。 チャンスはあった。曹