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interviewとprogrammingに関するkirara_397のブックマーク (8)

  • #22 Gitメンテナ 濱野 純 | gihyo.jp

    今回のゲストは、分散バージョン管理システムGitのメンテナで『入門Git』(⁠注1)の著者、濱野純さんです。Linuxカーネルの開発者、Linus Torvaldsさんから引き継いでGitのメンテナになった経緯から、対談スタートです。 (撮影:武田康宏) Gitに関わった経緯 弾:Gitに関わったきっかけは? 濱:2005年の4月にLinuxカーネルのバージョン管理システムとして使われていたBitKeeperが使えなくなる[2]からということで、Linus君がいろいろありものを探したんだけど、使えるものがなくて、誰かがいいのを作ってくれるまでのつなぎというつもりで、とりあえず自分でもコードを書いた、というアナウンスをしました。それをカーネルメーリングリスト(ML)で見ていたんですが、たまたまボクの業がプロジェクトプロジェクトの合間だったんです。なんかおもしろそうなこと始まってるじゃん、

    #22 Gitメンテナ 濱野 純 | gihyo.jp
  • Cyanを設計した高校生、5カ月で5つの言語を習得

    読者の皆さんは、「Cyan」(サイアン)という言語をご存じないかもしれない。Cyanは、Lispのマクロを持ち、Python風のインデントによってブロックを表すプログラミング言語。2008年の春、林拓人という1人の高校生によって設計された。 連載第1回の竹内郁雄氏が「開発」の天才、第2回の五十嵐悠紀氏が「発想」の天才とするならば、今回の林氏は「プログラミング言語」の天才だ。 林氏がプログラミング言語に初めて触れたのは中学3年の夏休み。そこから冬休みまでの5カ月間に、5つのプログラミング言語を習得した。その後もいくつかのプログラミング言語を学ぶ中、林氏の興味はWebサービスなどのものづくりには行かず、ひたすら言語自体へと向かっていった。 高校2年の春、自身でプログラミング言語Cyanを作り上げた。Cyanを設計した林氏は、「U-20プログラミング・コンテスト」(以下、U-20プロコン)で経済

    Cyanを設計した高校生、5カ月で5つの言語を習得
    kirara_397
    kirara_397 2009/01/17
    凄いのは間違いないが、高校生ですげーすげー言ってるのが歯がゆい。小中学生で出てこないかなー
  • [ITpro Challenge!]「仕様を追いかけるだけでなく,作る側になろう」---米Six Apart 宮川達彦氏:ITpro

    ITpro Challenge!]「仕様を追いかけるだけでなく,作る側になろう」---米Six Apart 宮川達彦氏 2008年9月5日のITpro Challenge!において,米Six Apartの宮川達彦氏が「Why Open Matters」と題し,プログラマである自身の半生を振り返る内容の講演を行った。キーワードは,「Open Software」「Open Community」「Open Platform」だ。 価値観を一変させたインターネット 宮川氏は1977年,神奈川県横浜生まれ。父親がプログラマだった経歴を持つ以外,プログラミングとは関係性の少ない少年時代を過ごしてきた。 それが一変したのはインターネットに出会った1996年。自身でサイト構築などを行うまでにネットの世界に引き込まれ,「一日中ネットに触れている状態が続いた」(宮川氏)。アルバイト先の米技術関連出版社「O'

    [ITpro Challenge!]「仕様を追いかけるだけでなく,作る側になろう」---米Six Apart 宮川達彦氏:ITpro
  • 小飼弾のアルファギークに逢いたい:#13 シックス・アパート 宮川達彦|gihyo.jp … 技術評論社

    今回の対談相手は、シックス・アパート(⁠株⁠)勤務で、現在サンフランシスコ在住の宮川達彦さん。誌でも連載や特集でこれまで何度もご執筆いただいていますが、渡米して数年、アメリカでの生活はどんな感じなのでしょうか? 左:宮川達彦氏、右:小飼弾氏(撮影:武田康宏) 経歴 弾:お久しぶりです。 宮川(以下、宮⁠)⁠:お久しぶりです、どうも。 弾:最初に、あらためて簡単な経歴を。 宮:東京大学の理学部情報科学科でコンピュータサイエンスの勉強をしていて、2年のときにオライリー・ジャパンでバイトを始めました。そのときはコンピュータというより事務系の仕事で、4年になったときにオン・ザ・エッヂ[1]でアルバイト。それが1999年。上場前で、弾さんが入る…。 弾:前ですよね。そう、先輩なんですよ、オン・ザ・エッヂでは。 宮:僕が2ヵ月くらい前に入って。それから5年くらいライブドアにいて、2005年からシック

    小飼弾のアルファギークに逢いたい:#13 シックス・アパート 宮川達彦|gihyo.jp … 技術評論社
  • 開拓者から改革者へ ネタで未来を切り開く男 大沢和宏

    「予告.in」を例に挙げるまでもなく、マッシュアップなどの発達により、誰もが自分が考えたアイデアを素早く実装/公開できる現在。しかし、さかのぼること10年以上前から、斬新な“ネタ”を率先して実装し、世界を驚かせてきたトリックスターがいる。そんな彼が最も追い求めたのは、足す美学ではなく、「引く美学」……。今回のNew Generation ChronicleはCodeReposやPerl-users.jpなど、ネタを革新に昇華させ、日のWeb業界に確かな足跡を残してきたYappoこと大沢和宏の物語。 ネタと革新のはざまで 1997年、後にimode元年と呼ばれることになる年の前年。都内某所のミスタードーナツでドーナツ作りに励んでいた男こそ、今回の主人公である大沢和宏氏である。その年、「まぐまぐ」と同じ日にYappoという検索サイトをスタートさせた彼は、そのノリでimode元年に突入。マクド

    開拓者から改革者へ ネタで未来を切り開く男 大沢和宏
  • 「真のゆとり教育」が生んだ18歳天才プログラマー トレンド-インタビュー:IT-PLUS

    電通、三菱UFJ信託銀行など大手企業が相次ぎ参入を表明する「情報銀行」。ここに挑むベンチャー企業がDataSign(東京・渋谷)だ。同社の太田祐一社長は情報銀行という言葉が生まれる…続き 中部電力が「情報銀行」参入へ 電力データを活用 [有料会員限定] 「情報銀行」説明会に200社 データ流通の枠組み始動

    「真のゆとり教育」が生んだ18歳天才プログラマー トレンド-インタビュー:IT-PLUS
  • 「圧縮新聞」「訃報ドットコム」始めて半年で数々のサービスを生み出す、自称“ニート”──phaさん

    「圧縮新聞」「訃報ドットコム」始めて半年で数々のサービスを生み出す、自称“ニート”──phaさん:田口元の「ひとりで作るネットサービス」探訪 「ニートだけど別荘を買った」というブログで知られるphaさんは、数々のWebサービスを生み出す開発者でもある。プログラミングを始めたのは2007年の2月。どのようにして学び、サービスを作り出していったのだろうか。 ひとりで作るネットサービス──第19回目はその日の最新ニュースをまとめて表示する「圧縮新聞」や、訃報情報を自動でまとめる「訃報ドットコム」など、多数のWebサービスをひとりで開発しているphaさん(28)にお話を伺った。プログラミングを始めたのは2007年2月からというphaさん。短期間でプログラミングを習得し、サービスを開発できるようになった背景にはどういった仕事術があったのだろうか。 憧れのプログラミング──2007年2月に思い立って始

    「圧縮新聞」「訃報ドットコム」始めて半年で数々のサービスを生み出す、自称“ニート”──phaさん
  • ITmedia Biz.ID:ネットもプログラミングも全部“ゲーム”――3分クイズ・秋元裕樹さん (1/2)

    「ひとりで作るネットサービス」第8回目はサイボウズ・ラボの秋元裕樹さん。週末に参加した開発合宿で作りあげた、一定の時間内であるグループ内にあるものを挙げていくクイズを作成できるオンラインサービス「3分クイズ」が話題になったのは記憶に新しい。また海外技術情報を扱った「秋元@サイボウズラボ・プログラマー・ブログ」や、著作「PHP×WebサービスAPIコネクションズ」も有名である。彼がプログラマーとして目指す姿を聞いた。 小学生の頃からゲーム好き、雑誌からひたすらプログラムを入力 「昔からゲームが好きです。そしてゲームである以上、もちろん勝ちたい。ただ、勝ち続けることはできないかもしれません。でも5回に1回ではなくて、5回に2回勝つために何ができるか、そこを考えることが好きなのです」 小学校から慣れ親しんできたゲームは、今はブログやプログラミングに姿を変えている。ブログは「読者を増やすためのゲ

    ITmedia Biz.ID:ネットもプログラミングも全部“ゲーム”――3分クイズ・秋元裕樹さん (1/2)
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