1992年の3月と6月にわれわれは,1986年4月26日に事故を起こしたチェルノブイリ原発にほど近いベラルーシ共和国ゴメリ州ホイニキ地区の地区中央病院において,事故当時に作成された医療記録の調査を行なった.その結果,事故から数週間の間に記録された82件の放射線被曝例を発見したことは以前に報告した1.そのうち8件は急性放射線症と認められるものであった.われわれの報告は,ベラルーシ,米国,日本において関心を惹き起こした2,3. しかしながら,それら1986年5月から6月にかけての医療記録を詳しく分析することは,事故直後のホイニキ地区における放射線状況や被曝量に関する情報がなかったり(また歪曲されたり)していたため困難であった.事故の規模を検討する上で最も基本的な情報である,事故直後の放射線状況に関するすべてのデータは,当時の慣例に従って,ソ連水理気象委員会によって秘密にされていた.ホイニキ地区