ブックマーク / mubou.seesaa.net (22)

  • 「テレビに出られることが報酬」という意識について。: 不倒城

    いつものことだが、特に一般化するべき話題ではない。こんな考え方もあるのか、という程度で。 先日、某テレビ局に勤務している知人と話す機会があった。というか、とある飲みの場で一緒になった。 あまり世評がどうとかメディアがどうとかいう話にはならなかったのだが、ふとした拍子に「インタビューに対するインセンティブ」という話題が持ち上がった。通常、たとえば街頭インタビューなどで顔を晒してインタビューに応じている人は、顔を晒すというリスクの割に殆どインセンティブを受けていない。これは何故なのか、あるいは遠からずインセンティブを生じないインタビューというものは難しくなるのではないか。そんなことについては以前から考えていた。 それに対する回答がこうだった。「いや、テレビに出られるってことが十分インセンティブになるだろう?」 直感的には、私はその回答は余りにも時代錯誤だと思ったのでそう指摘したし、それ程深まり

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    kodaif 2010/05/19
    "その話題は立ち消えになったのだが、ことは思ったより根が深いような気がする。私自身は、「テレビに出ること自体が報酬になる」という意識が未だに一部には残っているんだなあ、と思って、率直にいって驚いた。"
  • RPGのラスボスは「全否定対全否定」という構図で意外と十分なんじゃないか、と思った: 不倒城

    RPGのラスボスについての一意見。一言で言うと、「ラスボスの設定とか、下手にひねるくらいならゾーマ様みたいな完全悪の方がいいんじゃね」という言葉になる。 あんまり具体的な名前を出すとカドが立ちそうだな。いやまあゾーマ様については出てしまったが、後は一般論ということで。 例えばRPGで、敵の大ボスについて色んな「背景」が語られることは多い。立場とか、出自とか、好きない物とか口癖とかウボァーとかそういうアレだ。 で、そういった中で、「ただ悪いだけのヤツではない」という演出が為されることは結構ある。例えば悲惨な過去があったりとか。陰惨なトラウマがあったりとか。そういった様々な事情が、劇中で語られることは割とある。 キャラクターとしては、それでよい。劇中、様々な形で「敵の大ボス」に肉付けがされていく。キャラクターとしての厚みが増していく。ただ、この際、大ボスを「単純に悪いヤツ」でなくすということ

    kodaif
    kodaif 2010/02/11
    "「敵にもいいところがある」という事情に真摯に悩んで人間的に成長したりはしない。単にテンションを下げるだけだ。これは、主人公視点とプレイヤー視点がある程度重なるゲームである限り、決して解決出来ない問題"
  • 実際に私の部署では、どんなフローで人事募集・選考・採用が行われたかを晒してみる。: 不倒城

    随分前、就職活動での面接について、面接する側の視点を書いてみたような覚えがある。 あれから暫くたつ間に、うちの部署も何人かの人を採用させて頂いた。で、皆さん今も辞めずに働いて頂いている。以前は私が一人でやっていたような仕事も今は大部分皆さんに渡してしまい、お陰で私自身は随分楽になっている。 で、私がどの様な基準、というか思考過程で来て頂く人を選んだのか、ちょっと晒してみようかと思った。当たり前の内容のような気もするけれど、もしかすると何かの参考になる人がいるかも知れないし、私自身の将来の参考にならないとも限らない。といっても飽くまでもうちの会社、というかうちの部署での話なので一般化する気は全然ない。 前提:私の部署は、とある会社のシステム部で、専ら自分達で開発した自社の顧客向けシステムの保守・追加開発、その他社内システムの開発・保守などをやっている。技術的には結構裁量が利く。よそからのシス

    kodaif
    kodaif 2010/01/28
    "会社の悪いところについては結構洗いざらい喋る。ここで会社側が飾ってはいけない。引かれたらそれはそれでいいや別に。入社してから「こんな筈じゃなかった」と考えちゃうのはあらゆる人にとって不幸だ。"
  • 「キャッチボール型」以外の会話について色々と考えてみた。: 不倒城

    「会話はキャッチボール」であると良く言われるが、近年会話の形式は多種多様になっており、キャッチボールのみを会話の比喩表現にするには無理が出てきていると私は考えている。 その為、エントリーでは「キャッチボール型」以外の会話の比喩表現についての可能性を追求し、人類の会話ライフを的確に捉える為の一助としたい。 ・キャッチボール型会話 もっとも典型的、あるいは理想的と思われる会話形式の比喩表現。一方の発言を他方が受け止めて、それに基いた発言を返すという双方向的会話を表している。一言一言の発言をボールにたとえ、一方がボールを投げている間は他方が聞き役に徹するという状況をよく表現している。時にはボールを後ろに逸らしてしまったり、途方もない角度で魔球を投げてしまうこともある、という点も一般的なキャッチボールに近い。 ただ、実際の会話においては「ボールは一個とは限らない」「同時に複数の発言が飛び交う場合

    kodaif
    kodaif 2010/01/16
    "どちらか一方が会話を納めたくなった時、という点は実際のキャッチボールに近いのだが、一方が会話を納めたと思ったらもう一方が新しいボールを取り出して投げつけてきた、などという状況が発生することも多い。"
  • シューティングゲームの面白さの要件ってなんだろうなあ。: 不倒城

    と、ふと考えてみた。 面白さというのは極めて「人それぞれ」成分が多量に含まれている評価軸である。その為あんまり一般化出来るような話でもないとは思うけれど、少なくとも私にとっては、大体のゲームの「面白さ」というのは二つの軸に分かれる。 つまり、「爽快感」と「達成感」である。 STGで言うところの爽快感というのは、例えば敵を撃破した時の気持ちよさ。一気にガンガン得点を稼いだ時の気持ちよさ。 STGで言うところの達成感というのは、例えば苦労の末超強いボスを倒した時の気持ちよさ。今まで避けられなかった弾を避け、クリア出来なかったステージをクリア出来た時の満足感。 誤用なのかも知れないが、いわゆる「サド的な楽しみ」と「マゾ的な楽しみ」と言い換えることも出来そうな気がする。STGの真髄は、要するに敵いじめであり、自分いじめである。 この二者のバランスの良さが、私にとってのシューティングの面白さの中核で

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    kodaif 2010/01/13
    "凄く意識して作られているように思う。避け方を考えなくても人間能力で避けることは可能だが、よく考えて避け方を見つけるととても綺麗に敵弾を避けることが出来る。そういうデザイン。そういう攻撃パターン。"
  • とある局の放送作家の人に愚痴られた話と、テレビ番組制作者のジレンマ。: 不倒城

    一応ブログに書く許可を取ってはいるが、詳細は色々とボカす。 私の昔の知り合いで、いわゆる放送作家をやっている人がいる。彼に新春早々愚痴られた。 放送作家というと大仰だが、要するにテレビ番組の構成や脚を決める人であり、実際はディレクターの仕事もやっているそうであり、更に言ってしまうと何でも屋(これは彼自身の言葉を借りている)である。ディレクターをやっているなら別に肩書きはディレクターでいいんじゃねえかと思うのだが、敢えて「放送作家」を名乗るのは、良く分からないが彼の方針であるらしい。名刺に何と書いてあるのかは知らない。 で、何と愚痴られたのかというと、基的には上司に対する不平であるのだが、その内容が面白かった。 何でも、「最近色々とうるさいから、インタビューをなるべく編集するな」と言われたらしいのだ。 かなり以前からWebでは、例えばドキュメンタリー番組における「インタビューに対する編集

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    kodaif 2010/01/06
    "沿った内容を淀みなく話すことすら努力を必要とするだろう。わき道にも逸れるし、間違いを言い直したりもする。そういった映像をそのまま垂れ流すことは、喋った本人にも、視聴者に対しても快適なことではない。"
  • レトロゲーム万里を往く その93 「勝利条件・敗北条件」についての一考察。: 不倒城

    ちょっと前にTwitterでもちらっと書いたこと。結構長話になりそうな予感があるので、先に言いたいことのメインパートを書いておく。 ・あらゆるゲーム/遊びは4種類に分類出来る気がする。 1.「勝利条件も敗北条件もある」 2.「勝利条件はあるが敗北条件がない」 3.「勝利条件はないが敗北条件はある」 4.「勝利条件も敗北条件もない」 ・勝利条件も敗北条件も、プレイ時間/遊び時間を区切る機能がある。ゲーム業界での話で言えば、例えばMMORPGはプレイ時間を長くしたい為、それ自体の勝利条件、敗北条件はない場合が多い。逆にゲーセンのゲームは特に敗北条件が厳密なことが多い。 ・勝利条件はプレイヤーに達成感・爽快感を与えるものであり、また「ストーリー」があった場合それを完結させる為のものでもある。 ・敗北条件はプレイヤーに敗北感・悔しさを与える為のものでもある。 ・適切な「勝利条件」や「敗北条件」があ

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    kodaif 2010/01/02
    "ゲームにはがんがんコインが投入されるからゲーセンは儲かる。だからゲーセンのゲームに「敗北条件」がないゲームは滅多に存在しない。ファミコン初期のゲームデザインも、基本的にはこれの踏襲だと思う。"
  • 「相手に興味を持つ」ところから恋愛は始まる、んじゃないんだろうか: 不倒城

    ちょっとあまりまとまっていない。思考のメモ的に。 後輩の人から軽く恋愛相談めいたことをされた。日ごろから「彼女が欲しい」的なことを言っている青年で、どうも最近は友人に紹介された意中の相手がいるようなのだが、いまいち感触が向上しないらしい。 話を聞いていると、ちょっと違和感がある。 どうも彼は「話が弾まない」というのと「相手が自分の好きな話題に興味を持ってくれない」というのを混同している嫌いがあって、その割に「相手が好きな話題」に興味をもっていないように思えるのだ。 私の読解が致命的にずれていなければ、彼は「上手くコミュニケーション出来ているかどうか」を「自分に興味がある話題で会話が出来ているかどうか」ということで判断している。興味の多寡が、しかも自分の興味の多寡が基準なのである。 コミュニケーションというものは、ちょっと違うと思う。会話というものは、お互いがお互いに興味をもっていないと上手

    kodaif
    kodaif 2009/12/22
    "違和感がある。どうも彼は「話が弾まない」というのと「相手が自分の好きな話題に興味を持ってくれない」というのを混同している嫌いがあって、その割に「相手が好きな話題」に興味をもっていないように思えるのだ"
  • JRPG批判を見て、「小さいのが大きいのを倒す」って日本では昔からあるんじゃなかったかな、とか思いついた。: 不倒城

    この前からの和製RPG批判の紹介を見て、「そういえば」と思いついたこと。 島国大和さんが書かれた記事から引用。 【島国大和】日RPGはもう駄目なのか? 「生きるか死ぬかの冒険に子供を参加させるのはおかしい」 「細身の美少年が大きい刀を振りまわすなんて無理がある」 「ターン制で,順番に攻撃するなんてリアリティがない」 「ハゲヒゲマッチョを少女がパンチで倒すなんて変だ」 「子供が数人で世界を救うのってどうなの?」特にこの批判自体については私の意見はない。島国大和さんのおっしゃる通り、デフォルメの方向がどちらを向いているか、というだけの話だと思う。 ただ、「細身の美少年が肉弾戦でデカいヤツを倒す」という点に限っていえば、日には昔から「小さいのが大きなのを倒す」という類の話が色々あるなーと連想した。 あまり詳細に調べていないが、例えば牛若丸と弁慶。 例えば一寸法師。まあこれはあまり肉弾戦とい

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    kodaif 2009/12/22
    "「怪力の少年」の伝説という側面がある。たったこれだけのエピソードで概括する気はないが、「小さいのが大きいのを倒す」という逸話は、少なくとも日本では割と古来から好まれ/親しまれていた構図であるような"
  • 「一般化しないと情報の価値が上がらない」という錯覚: 不倒城

    が、どこかにあるような気がする。 ライフハックもの記事とか増田とか見ていると、Webではどちらかというと特殊論よりも一般論の方が受けがいい様な印象がある。「誰かの個人的な話」よりも、「その個人的な話から導かれる、皆の為の一般論」の方が座りがいいというか、目に触れやすいというか、もっと端的に言うとブクマされやすい。 例えば「○○の為の×つの方法」みたいなものはその典型で、「誰かが考えて、その誰かにとって役に立った方法論をなんとなく一般化してみました」というものが多い気がする。ライフハックを否定する気は全くないけれど、その中には「個人的な問題を無理矢理一般化」したものが結構含まれている。 ライフハックに限らず、「綺麗にまとめる為に、個人的な問題を無理矢理一般化」という風潮は割とあちこちで見られる気がする。特殊な事例から一般論に帰納するという思考法は大事なものではあるけれど、特殊論で済ませても良

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    kodaif 2009/12/07
    "重要なのは「特殊論で済ませても良さそうなもの」という基準だ。" "「あなたの特殊論」は、それだけで十分価値がある。それを無理して「皆の一般論」にする必要なんてないのだ、と、そんな風に思う。"
  • 土日のしんざきが川越で人狼とかドミニオンとかやってきた件について 09/11/16: 不倒城

    ということで、昨日のエントリーの続き。日記的に土日のお話。 短い順ということで、先に日曜日の話を。 ・日曜のしんざき 奥様が対象関係論の勉強会だったので、ほぼ一日息子さんと二人で目黒渋谷無双状態でした。目黒区の某公共施設で部屋の予約→渋谷に移動して児童館で息子さんを遊ばせる→奥様と合流して昼→解散して再び児童館→帰宅。その後髪を切る。 時系列的には上記のような感じでした。 息子さんが楽しそうだったのがなにより。行く先々でお姉さん奥様方に愛想を振りまいたり、児童館でちょっと年上のお姉ちゃん(多分小学生)と仲良くなって抱っこされていたりと、息子さんの軟派能力の高さに戦慄する機会が多かったです。何者ですかこの幼児。 あと、一日遊んで昼寝をしなかった為か、夜は眠気のあまり完全に息子さん酔っ払い状態でした。お風呂上りに素で「こりゃこりゃ」っていってた。 ・土曜日のしんざき twitterでお世話に

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    kodaif 2009/11/18
    "お姉さん奥様方に愛想を振りまいたり、児童館でちょっと年上のお姉ちゃん(多分小学生)と仲良くなって抱っこされていたりと、息子さんの軟派能力の高さに戦慄する機会が多かったです。何者ですかこの幼児。"
  • 結婚に不満がない男が、「結婚して変わったこと」をミもフタもなく書き連ねてみる。: 不倒城

    最近、どうも「結婚のデメリット」ばかりをあげつらう記事を見る機会が増えた、ような気がする。 そもそも結婚なんてメリットデメリットでするものじゃないだろうとは思うけれど、確かに結婚をすることで得られるもの、結婚をすることで得にくくなるものがあるのは確かだろう。しかし、どうもWeb界隈では「不満・不幸・不平」の方が注目を集めやすい様で、いまひとつ評価が偏っている様な気がする。結婚で得られるいいこともたくさんあると思うのに、それが目に触れなくなってしまうのはとても勿体無いと思う。こういうスレとか見ていると特に。 その為、「結婚に何の不満も持っていない男性」という立ち位置で、「結婚をして何が変わったか」「何は変わってないのか」というのを個人的に書くエントリーというのもあっていいのではないか、と思った。 まあ、私の結婚自体5年以上前の話なので、あやふやになっている部分もあるかも知れないが。ただしこれ

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    kodaif 2009/11/18
    "苦手としている人間なので、料理が得意な奥様に任せて自分は掃除を担当する、といった分担を実施し、私自身はとても楽になった。実家暮らしだった奥様が楽になったかどうかは正直微妙である。問い合わせておく。"
  • 5年経って学んだこと。: 不倒城

    自分を信用すること。自分の発想をそれなりに信用すること。 無理をしないこと、気長に構えること。 自分で自分を縛らないこと。 ブログを書くというのは、過去の自分の切り売りだと思っていた。 いつか書くことが尽きるのだろう、と思っていた。 危うくスルーするところだったが、昨日でブログを書き始めてから丸五年が経過した。 二年前、ブログを始めて3年経った時には、私は「読んでくれる人を信頼すること」を学んだ、と書いた。 で、それから更に二年経って思ったことを雑然と書こうと思う。 昔からの話だし、多分誰でもそうだと思うのだが、私はたまに「書きたいという欲求」を失う。普段は次から次へとくだらないことを思いつく脳味噌が、嬉々として長期休暇に入る。日ごろ書き溜めている書きかけのエントリーにも、一行たりとも付け加えることがなくなる。 それは、例えば全く別の何かに熱中するときであったりするし、例えば中途半端な忙し

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    kodaif 2009/11/13
    "つくづく幸運なことだったと思う。私は、丸3年で「読んでくれる人」を信頼することを覚えた。そして、多分私は、その次の2年で「自分」をそれなりに信用することを覚えた。 だから私は書き続けられる。"
  • 二人称はいつ発生するのだろうか、という疑問。: 不倒城

    ちょっと思いついたことのメモ。 二人称って、いつから使う様になるのだろう。 最近の息子さんの言葉を聞いていると、「ぼく」あるいは「○○(自分の名前)くん」という一人称はほぼ完全に使いこなしているように聞こえる。 「パパ」「ママ」「じいじ」「ばあば」などの三人称も問題なく使えているように聞こえる。 さて、ここに「きみ」とか「あなた」みたいな二人称が加わるのは、いつか。 改めて考えてみると、日常生活で「二人称」をわざわざ使う場面って、あんまりない。「パパ」や「ママ」みたいな役割が家庭内で固定している場合、子供は専らそちらを使う。普段の遊びでも、「○○くん」「××ちゃん」といった三人称を使ってお互い会話することが殆どだ。二人称が必要とされる人間関係が構築されるのって、実はかなり後になってからのことなんじゃないだろうか。 二人称が使われる場面というのを考えてみる。ある程度親しい友人との一対一の場面

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    kodaif 2009/11/05
    "二人称が加わるのは、いつか。改めて考えてみると、日常生活で「二人称」をわざわざ使う場面って、あんまりない。「パパ」や「ママ」みたいな役割が家庭内で固定している場合、子供は専らそちらを使う。"
  • ブログ 名人伝・前編: 不倒城

    http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/621_14498.html 恣意差(しいさ)の都に住むぶろ雄という男が、天下第一のブロガーになろうと志を立てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今ブログをとっては名手ぶろやすに及ぶ者があろうとは思われぬ。ぶろ雄ははるばるぶろやすに@を入れてその門に入った。 ぶろやすは新入の門人に、まず非モテ・非コミュネタを学べと命じた。聊か時宜を過ぎた感こそあるが、ブログを書くとき、ことに手始めにアクセスを稼ぐ際、脇の甘い非モテネタは未だ基であるが故である。ぶろ雄は家に帰り、にありったけの独身男板ログを収集してくるよう言いつけた。彼のはネットゲーム廃人であり、Spamブックマーカーである。たちどころに非モテ・非コミュネタエントリーの山が築かれた。 ぶろ雄はそれらを参考に、試しに増田非モテ自虐ネタを書いてみた

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    kodaif 2009/10/29
    "非モテネタのみではまだブログの真髄を授けるには到底足りぬ。次には、派遣・学歴ネタを学べと。ウヨサヨ話を巻き込んでブログ界隈に一騒動を起こせる様になったならば、来たって我に告げるがよいと。"
  • 少年漫画の「爽快感」について、または「はじめの一歩」の構造問題: 不倒城

    少年漫画における「爽快感」の正体ってなんだろうなあ、というお話。 まず前提。少年漫画の肝は、どうやって読者に「読んでいて気持ちいい」という爽快感を提供するか、というところにあると思う。そして、その爽快感にはそれ程多種多様なパターンが存在する訳ではなく、基的な部分では「落差を演出する」「マイナスの状態からプラスの状態へもっていく」という一言で要約出来るのではないかなあ、と思う。 例えば、主人公の前に強大な敵が現れる。主人公が大苦戦する。大ピンチになる(マイナスの状態)。 そこから、例えば仲間が助けにきたり、新しい技が閃いたり、戦闘中に突如髪が金色になって大幅パワーアップしたりして辛くも戦闘に勝利する(プラスの状態)。気持ちいい。 マイナスからプラスに飛躍することによって得られるカタルシス。これは「よくある」爽快感演出の一例だ。 例えば、「非常にイヤなヤツ」が悪役・敵役として登場する。読者に

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    kodaif 2009/10/10
    "展開のマンネリ化とか、その辺の話ではない。展開にマンネリを感じるかどうかは読む人次第だ。そんなことよりも、「落差を作る」ことが漫画の構造的に難しくなっているのではないか、と感じるからだ。"
  • シューティングの凄さをわかっていない人が結構多い: 不倒城

    シューティングっていうジャンルのコアって、操作系の単純さにあると思うんですよ。多分だけど。 シルバーガンみたいな例外もあるけれど、シューティングって大体は「ショット」と「ボンバー」とか「ショット」と「パワーアップ」の2ボタンだったりするし、増えても4ボタン以上になることは滅多にない。 多分横シュー含めて、今でも8割がたのタイトルは「2ボタン以内 + レバー」っていう操作系にあてはまるんじゃないかな。 アクションゲームRPGはいうに及ばず、シミュレーションだのスポーツゲームだの、ありとあらゆるゲームジャンルが「操作系の多様化・複雑化」を含んだ方向でゲーム性の拡充を目指すという道を選んできたのに、シューティングっていう最古のジャンルが、30年近く前の操作系と大して変わらないものを保持し続けている。最新タイトルでも、やろうと思えばファミコンのコントローラーで遊べるのだ。 これは、「シューティン

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    kodaif 2008/12/03
    "ただ、それは飽くまでタイトル毎の話しで、シューティングというジャンル自体は何も変わっていないし、「避けて撃つ」という遊びは1ミリグラムも面白さを失っていない。"
  • 「レジ打ちマスターR」とかそういう漫画が成立する世の中になれば色々解決するんじゃないかと思った。: 不倒城

    この問題は、ちょっと真面目に検討する必要がある。 才能あるレジのおばさんにはそれ相応の給料を払ったほうが良い 乱暴に要約すると、「超強いレジ打ちのおばさんは、例えば一部の高級官僚より全然有能なんだけど給料低いよね、何で?」という話になるんじゃないかと思うけど違うかも知れないけどまあいいや別に。 ある職業の給料の額は何で決まるのか?多分要素は山の様にあるんだろうけど、私は経済学をあんまり真面目に勉強していないので正確にはよく分かんないや。ただ、大雑把に予想すると、以下二つの要素が多分大きいのだろう。 1.その職種になり得る人間の希少価値(職業の需要と供給) 2.その職種が生み出す直接・間接的価値の多寡(職業の金銭的価値) 1番は、「その職業につく人がどれだけ必要とされているか」と、「その職業に就きたがる人・就ける人がどれくらいたくさんいるか」のバランス。例えば、「絶対必要だけどやりたがる人が

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    kodaif 2008/12/01
    "レジ打ちの給料が上がる為には、「レジ打ち自体が超利益を生む仕事になる」か、「エキスパートレジ打ちがいないと重大な損害が発生する様な事件がどっかんどっかん起こる」か、そのどちらかが必要なんじゃないか"
  • 本当に公平に相手の意見を評価したいなら、その人のことを知ってはいけないのかも知れない: 不倒城

    極論として。 あなたが嫌いな人でも妥当なことを言うことはあるし、あなたが好きな人でも間違ったことを言うことはある。あなたはそれを受け入れられるだろうか。 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」を排除するのは当に難しい。その逆も然りである。「話者が誰か」というバイアスは、どんな人にも強烈に作用するものだし、しかもその作用を明確に意識するのはかなり難しい。 という様なことを考えた。発端はこちらの記事だ。 失言問題と「マスゴミ」論と医療費問題ここで注意したいのは、「マスゴミ」バイアスがかかっている場合、逆にあるものが正しく思えがちになってしまうこと。あくまで発端であって、こちらで書かれている論とは大分外れてしまうとは思うけれど。 正直私は、失言問題自体には殆ど興味がない。その為、以下の話は完全に一般論であり、現在盛り上がっている話題とは一切関係ない、ということは先に書き添えておきたい。 例として分かり

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    kodaif 2008/11/30
    ”それは「公平でない」「客観的でない」という理由で批判されるべき言論である。「これだからマスゴミは」という感情的な言葉で封殺されるべき言論ではない。”
  • 結婚式とは、人生最大にして、多くの人にとっては唯一のコスプレ会場である: 不倒城

    軽くマジレスしてみる。 結婚式って何のためにするの? 一回やれば、「うん、そんなに何度もするものじゃないな」と思って夫婦共にリトライする気をなくせるからやっとけばいいと思うよ!思うよ! というのはまあ置いといて。 新婦は、きれいなドレスを着飾って、自分が主役になれる事が満足なのかもしれない。日常生活で輝いている彼女だから、結婚式で見せかけだけの主役になりたいなんて考えてるはずないと思ってた。見せかけだろうがなんだろうが、パートナーを「主役」にしてあげるのはもう一人の仕事だと思うんだけれど、この増田結婚式以上に「奥様が主役になれる場面」を作ってあげる自信があるんだろうか? 自意識がどうとか面倒な話は抜きにして、やっぱり、相手が胸を張れるステージを作ってあげることって大事だと思うよ。胸を張っていられる、胸を張っていられた記憶があるっていうのは幸せの重要な要件の一つだもの。内助の功とか古臭い言

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    kodaif 2008/11/26