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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/abduluzza (9)

  • 馬上からの現実しか見れない人 - abduluzzaの日記

    雑記, 社会 別に軍オタを否定するつもりもないし、人の嗜好や内面までも拘束する世界なんて何と無残で残酷で悪であろうと思う。また、軍オタだろうと戦史オタだろうと、何事も知識を持つことは有益だ。 ただ、馬上からの現実のみを見て、それを理解している自分を『思想やイデオロギーなんて馬鹿らしいものから離れて現実を直視している一皮剥けた大人』だと錯覚し、馬の下や軍の下からの現実というものに想像力をいたさず、平和主義者を唯『平和ボケ(笑』と嘲る連中に関しては、非常に事実理解と認識の面で問題だと考えるし、不愉快である。これを書いている筆者が、完全平和主義者では(今の所)なく、専守防衛権のみなら認める立場であるにも関わらず、だ。 実際は『民主主義』プロパガンダがある自称『先進国』だろうと、人間のほとんどは馬上にたって『国家』『国益』を差配する立場になることなど出来ない『ムシケラ』であって、馬上からの現実な

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    kokogiko 2009/08/22
  • 『昔の価値観を今の基準で批判してはいけないと抜かす輩』 - abduluzzaの日記

    毒吐き まず、『今の基準』というのが、『今自分が属する社会のプロパガンダ的な社会規範』であり、それをもって『昔の価値観』、すなわち『昔の人が所属している社会のプロパガンダ的な社会規範』を批判してはいけないというのは、自己の社会のプロパガンダ的社会規範の持つ暴力性に無頓着なまま、天空の高みから別の社会のプロパガンダ的な社会規範の暴力性を断罪しているという点で、確かに批判されるべきである。 しかし、自分がこの世界に、唯一個有意思のものとして存することを自覚し、自己の属する社会の社会的プロパガンダをも冷徹に突き放して見れる人間個体が、己の中の情動、欲望、感性、理性、感覚、論理、善・悪感、倫、すべてをひっくるめた、その個体自身の見解を以って、自己の属する社会の社会的プロパガンダ同様に、過去の社会の、社会的プロパガンダを批判し、そこで踏みにじられている存在がいることを指摘した場合、それを『昔の価値観

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    kokogiko 2009/08/20
  • 中道という言葉の胡散臭さ - abduluzzaの日記

    雑記, 歴史認識 正直なところ、大日帝国史における歴史認識問題や、現代日の差別問題、歴史教育の問題等に限れば、自分を『中立』『中道』と位置づける人の中で、当に中立的である人は、少なくとも自分がネット上で接した限りでは、非常に少なかった*1。そのことについて、なんとなく考えたことを書き散らしてみる。 さて、大日帝国史における対外戦争や植民地統治、戦争犯罪、民族問題や、それを引きずる現代日国の問題に関して、『中立』という立場がもしあるのであれば、それは歴史学において、全うな学者ならほぼ全員が同意するような基的通説となっている大日帝国史の蛮行を認め、そのような出来事を繰り返さないことを願い、被害者と事実に誠実に向き合う立場だろうと、自分は考える。 まずは通説となっている歴史的事項から見ていこう。以下に箇条書きにしてみる。明治以来敗戦までの大日帝国の歴史において、他国・他地域を軍事

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    kokogiko 2009/05/23
  • 『ニダ言葉』 - abduluzzaの日記

    言語学, 差別 『ヴァーチャル日語役割語の謎』(金水敏著、2003年、岩波書店)という社会言語学がある。 こので筆者は、近代日小説漫画ゲームなどの創作媒体において、共通日語(大日帝国では文章での公用語は漢文訓読体の古典日語であったが、口語では東京方言を基盤とした共通日語が公用語であった。日国では、無論文語口語共に、首都圏方言を基盤とする共通日語が、公用語である)から離れた言葉が、ある特定のステレオタイプをもった階層、民族、職種に属する登場人物の発話に使われ、その人物の性格や物語上の役割を、ステレオタイプを利用して簡潔に印象付けるという現象、『役割語』について紹介すると共に、そのような『役割語』を割り振られた人物は、創作媒体を利用する者が自己同一化を行う主人公(ヒーロー、ヒロイン)にはなりにくいような仕組みが存在していると述べている*1。そしてそれは、近代国民国家

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    kokogiko 2009/05/23
  • イスラームが児童性的虐待を認めているというのは真実か - abduluzzaの日記

    イスラーム, 道徳, 性去年から、イスラーム世界の児童性的虐待に関するニュースが、webで発信されるようになってきた。 イエメンでは、8歳の少女が父親の借金のかたに結婚させられ、DVを振るわれ、セックスをさせられた挙句、裁判所に訴えでて、何とか離婚することが許された。イエメンの裁判所、8歳の少女の離婚を認める(http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2378883/2837848)強制結婚させられた8歳の少女、離婚が成立(http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2425220/3176062)イエメンでは、婚姻の最低年齢を規定する法が存在しないと、上の記事では述べられている。 モロッコでは、高名なイスラーム法学者*1で、サラフィー主義者*2のムハンマド・アル

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    kokogiko 2009/05/23
  • ある植民地エリートの記憶 - abduluzzaの日記

    雑記, 歴史認識, 差別, ウヨ 少し前の話になってしまったが、NHKが、日帝国主義の植民地統治下の台湾で、日の植民地支配を受けた世代の老人の対日観を通じて、台湾植民地統治が、当時の日にとってどのようなものであったか、台湾を当時の日がどのようにみなしていたかを取り上げた番組を製作し、否認主義者、『美しく無垢な僕たち日人』という物語に浸りたい人たちから、非常な反発と憎悪を向けられた。 インタヴューを受けた柯徳三氏は、日植民地支配に対して『良いところ悪いところ半々』という感想を吐露しており、またNHKの番組は『日人なのに日統治の悪いところだけ流した』『NHK中国共産党の手先か?』ということもいっている。無論、彼の証言は貴重なものだが、われわれは彼の何の根拠もない陰謀論や、『日人なら日統治のよい面もたくさん流すはず』というような俗論に惑わされる必要はない。そして、彼の証言の

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    kokogiko 2009/05/06
  • その地にある人々一人一人のために - abduluzzaの日記

    差別, 道徳 その地に生きるすべての人々*1がその生を自分で決しうること、その根幹である、発生の瞬間から、死の瞬間にいたるまで、自分以外の何者にも生命を剥奪されないこと、そしてその生を自分で決するために必要な具体的事項として、その地に生きるすべての人々が、自らの望む教育を受けれること、自らの思ったとおりの精神的・肉体的表現活動ができること、腹いっぱい飯をえること、自由に、自らの望む相手と精神的・肉体的恋愛を結べること、正当な理由と手続きなくむやみに殴られ、怒鳴りつけれないこと、これらをすべて保障できる社会こそ、この世界で最低限求められる水準の倫理を備えた社会である。 そしてこれは、ホモ・サピエンスという種の個体一匹が持つ欲望が満たされるのは、他の個体の欲望等の付加条件がまったくなければ、議論の余地なく良いことであり*2、かつすべての個体が、自分の欲求を満たし、自らの生を(さまざまなレベル

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    kokogiko 2009/05/02
  • 胎児殺し問題について、とりあえずとりうる立場と自分の立ち位置を簡潔にメモしてみる - abduluzzaの日記

    雑記, 道徳 いつか胎児殺し・子殺しの問題について格的にエントリーを書きたいな、と思っているので、自分の頭の整理のためにちょっとしたメモを書く。とりあえず、胎児殺しについてとりうる立場を、自分なりに4つに分類し、あわせて自分の立場についても簡潔に記しておく。保守(男性優位)かつ胎児殺し賛成・容認・・・もっとも古く、ホモ・サピエンス社会で真に『伝統的』といえる考え。この場合、胎児殺しの最終決定権は、親族(父系、母系、双系を問わない)の家長たるオスにある。少なくとも400年前までは、どの文化・文明でも、プロパガンダ的社会規範はともかくとして、現実の人々の行動を律する社会規範としては、これが通用していたと考えられる。21世紀初頭現在、クリステンダムではこの立場を公的に唱える人間はまずいないとされるが*1、少なくとも日では、この立場を表に出して発言する人士も少なくない。保守(男性優位)かつ胎児

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    kokogiko 2009/05/01
  • 国士罵声を発し、朝鮮人此に激するのこと。 - abduluzzaの日記

    差別, ウヨhttp://d.hatena.ne.jp/dj19/20090408dj19氏の記事を見て問題を知り、当該動画をYoutubeにて観了する。詳細は、自分にて確かめるべし。http://www.youtube.com/watch?v=twIFPj2RpbMそもそも、維新政党新風自体が、民族差別と、大日帝国の侵略政策の否定・隠蔽を掲げる政党である以上、その一員である当該弁士が、『大嫌いだから、大っ嫌いなんだよ。この日から叩き出してやるよ、え、ゴミが!チョーセンジン!』といったところで、何も不思議はない。むしろ、彼がそのように言わないことのほうがおかしい。また、此処で挙げられている『薄汚い裏社会の住人で、暴力的なチョーセンジン』というイメージも、戦前の日植民地支配以来、おなじみのもので、特に目新しいものでもないし、当たり屋的なやり口もチンピラ街宣ウヨなら、言ってしまえば『普通

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    kokogiko 2009/04/12
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