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2010年2月25日のブックマーク (2件)

  • ネットリテラシ読本Ver1.3(全6セクション)を公開します - MIAU

    MIAUは、法や条例による安易な規制よりも、青少年に対するネットリテラシー教育がまず先にあるべきとして、インターネットリテラシ読「“ネット”と上手く付き合うために」を公開して参りました。 今回はさらに2セクションを追加し、全6セクションとなったVer1.3を公開します。 文に含まれる設問は別途、ワークシート形式でも同梱しておりますので、子どもたちへの課題などにもお使いいただければ幸いです。 なおこの読は、クリエイティブコモンズ「表示・継承」ライセンスによる公開となります。利用される皆様は、複製・配布など商用非商用に限らず、無償でご利用いただけます。ライセンスの詳細は、読の奥付をご覧ください。 “ネット”と上手く付き合うために [Version 1.3] (ZIP:約17.7MB) 【変更履歴】 セクション5、6を新規追加 セクション2の設問文を見直し なお読に関するご意見ご要望が

    ネットリテラシ読本Ver1.3(全6セクション)を公開します - MIAU
  • 「わかる」ことと「知る」こと | タイム・コンサルタントの日誌から

    学んで時に之を習う。また喜ばしからずや。朋あり、遠方より来る。また楽しからずや。人知らずして温(いきどお)らず。また君子ならずや--これは「論語」の冒頭、学而篇第一におかれている子(先生、つまり孔子)の言葉だ。 「勉強した後、適当な時期にこれをおさらいする、いかにも心嬉しいことだね。同学の志が遠いところからも訪ねてくる、いかにも楽しいことだね。人が分かってくれなくても気にかけない、いかにも君子だね(凡人にはできないことだから)。」 金谷治氏の訳注をたよりに書き直せば、こんなところか。 孔子は「学ぶ」と「習う」を区別して使っている。学ぶ、は知識として覚えること。これに対して、習う、は自分で繰返し経験して修得することを意味している。つまり、「知る」ことと「わかる」ことだと言ってもいい。 三千年以上も前の人には自明だった、この区別が、現代の人にはわからなくなっているらしい。そう思うようになったの

    「わかる」ことと「知る」こと | タイム・コンサルタントの日誌から
    kono
    kono 2010/02/25
    職人仕事が衰退している、というか、いつの間にかこの国では職人さんが尊敬され無くなっているような気がする。「コンサルタント(笑)」の人たちの間では職人って蔑称のように使われているような印象があるし。