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ブックマーク / somethingorange.net (5)

  • ライトノベルじゃないライトノベル32作。 - Something Orange

    世間では何だかライトノベル32選なるものが流行っているらしいですね。32選ってどう考えても多すぎるだろう、と思わなくもありませんが、既にその数幾千冊にもふくれあがったライトノベルのなかの32作ですから、まあ、意味があるといえなくもないかもしれません。 で、この手の企画が大好きなぼくとしてはいそいそと羅列しようかと思ったのですが、既に後塵を拝した身としてはいまさらに作品を並べ上げることもためらわれます。そもそも最近のライトノベル、全然読んでいないしね。 というわけで、ライトノベル32作を並べるのはあきらめて、「ライトノベルじゃないライトノベル」を並べることにしました。つまり、ライトノベルと一般小説の境界線にあって、何かの拍子に定義論が盛り上がるとき、「これはライトノベルだ」「いや、違う」と話題になるような作品だけをまとめてみたわけです。 当のことをいうと『たったひとつの冴えたやりかた』とか

    ライトノベルじゃないライトノベル32作。 - Something Orange
    konstantinos
    konstantinos 2011/09/28
    タイトルから「アラビアの夜の種族」とか全く想像もしてなかった。そんで面白かった。読みなおすかな。
  • オタクがオタクのなかで孤立する時代。 - Something Orange

    同じ新潟市在住ということが判明したので、「自問自答」のRy0さん(id:jimonjitou)と呑んできました。 ふだんはオフ会などでも少人数で長く喋ることはむずかしいのですが、この日はたった3人で6時間にわたってオタクトークしました。楽しかった! 当然、色々な話が出たわけですが、なかでも興味深かったのは、現在の若いオタクたちの実相。いまの大学では、たとえば野球や音楽の話題などに混じって、普通にアニメの話が出て来る、オタク文化の大衆化はそこまで進んでいる、ということでした。 へえ、うわさには聞いていたけれど、当なんだ。ただ、そこで出る話題は、やっぱり薄い、『らき☆すた』とか『けいおん!』とか、だれが可愛いとか萌えるとか、そういう話がメインであり、少し踏み込んだ話をすると浮く、と。 なるほど、わかるわかる。ある意味、予想通りですね。 その話をきいて思ったのは、昔のオタクが一般人のなかで孤立

    オタクがオタクのなかで孤立する時代。 - Something Orange
    konstantinos
    konstantinos 2009/08/06
    問題は山頂からの眺めが美しいかどうか、なんだよね/多分、登山に関しては結構普遍的に共感されるだろうけど,オタ趣味は、その個別具体性から山頂の眺めの評価がむしろネガティブになることもある。
  • 恋が女をダメにする。 - Something Orange

    さっきまでかんでさん(id:kande-takuma)とスカイプで長話をしていたんですけれど、なかなか興味深い内容だったので、書きとめておきます。 何の話かというと、小説漫画における女性人物の話。なぜそんな話になったのか憶えていませんが、とにかくもっと魅力的な女性人物を見たいよね、という話題で盛り上がったのでした。 ここでいう魅力的な女性人物とは、単に「可愛い」キャラクターを指すわけではありません。そういうキャラクターならもちろん、たくさんいる。 そうではなく、最も魅力的な男性人物に伍して対等に渡りあえるだけの魅力と、存在感と、「格」を備えた人物のことを指します。 もちろん、ぼくも「可愛い」女の子は好きだけれど、しかし、それほど強く惹かれるわけではない。いってしまえば、「可愛い」という時点でもうダメなんですね。なぜなら、「可愛い」という言葉を使う時、既に上から目線になっているから。 たと

    恋が女をダメにする。 - Something Orange
  • 自分が好きなものの欠点を認めよう。 - Something Orange

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    自分が好きなものの欠点を認めよう。 - Something Orange
  • 物語に「正解」はいらない。 - Something Orange

    と、ぼくは思うんだけれど、どうよ? いきなりこんなことを書いてもわからないか。 小説でも漫画でも、映画でもいい、何かしらの物語を読んだり、見たりしているとき、そこに作者の考える「正解」を見つけることがある。 「正解」とは「このように行動すれば良いのだ」という、その作家なりの結論のことである。ぼくの場合、物語にそのような「正解」が出てくると、白けてしまうことが多い。現実にはそうそう「正解」は見つからないと思うからだ。 たとえば、槇村さとるである。往年の少女漫画家時代はともかくとして、最近の槇村が描く作品には、いつも「正解」があるように思える。 以前にも書いた記憶があるが、槇村さとるの作品を読むとき、ぼくはいつもそこに「正しさ」の圧力のようなものを感じる。このことに関しては、ぼく自身の言葉で語るよりも、「紙屋研究所」の的確な批判を引いたほうが早いだろう。 正直、槇村さとるは、嫌いな漫画家の一人

    物語に「正解」はいらない。 - Something Orange
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