画面には大手ネットオークションサイトに出品された仏像の写真が何枚も映し出されていた。「仏教美術 玉眼(ぎょくがん)木彫毘沙門天(びしゃもんてん)」。文化財としては未指定だが、1千円から出品された価格は、5日間で34万1千円まで上がっていた。
![学芸員が直感「あれや!」 ネット競売の仏像は…盗品:朝日新聞デジタル](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e9c3880a2129a17f8caaeb63b54ad775a1babcd7/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.asahicom.jp%2Farticles%2Fimages%2Fc_AS20180814002558_comm.jpg)
画面には大手ネットオークションサイトに出品された仏像の写真が何枚も映し出されていた。「仏教美術 玉眼(ぎょくがん)木彫毘沙門天(びしゃもんてん)」。文化財としては未指定だが、1千円から出品された価格は、5日間で34万1千円まで上がっていた。
奈良市の法華寺にある鎌倉時代の仏像の内部に、大量の巻物などが納められている様子が、最新の装置を使った奈良国立博物館による調査で確認されました。 そこで、奈良国立博物館が最新のCTスキャナーを使って調査したところ、高さ73センチの仏像の全体に空洞があり、頭の部分には、巻物や釈迦の遺物を納めた「舎利容器」と見られる器が合わせておよそ30、確認されました。 さらに胴の部分には、およそ150の経典と見られる巻物が敷き詰められているということです。 一度も取り出された形跡がなく、作られたままの状態と見られるということです。 法華寺の樋口教香住職は「驚きました。知恵を授ける仏様なので、ぜひ拝んでいただきたい」と話していました。 奈良国立博物館の岩田茂樹上席研究員は「内部にこれだけの量の品が確認されたのは珍しい。貴重な史料で、文化財としての価値がさらに高まった」としています。 この仏像は今月8日から27
今回のテーマは「死者」です。より具体的には、葬儀や供養です。日本の仏教が、ほぼほぼ「葬式仏教」として成り立っていることは、周知の事実かと思います。よって、葬式仏教の前提である「死者」について考えることは、日本仏教とは何かを語る上で、欠かせないテーマの一つです。 大前提として確認しておきたいのですが、仏教は本来、死者を対象としたものではありません。私という生きた人間のための教えです。あるいは、私というやがて死ぬ人間のための教えです。ここは決してゆずれません。 とはいえ、さまざまな成り行き=縁が積み重なり、日本の仏教は死者に対するプロフェッショナルになっています。その「プロ」であることの意味を、どう受けとめるべきか。この点について考えるために役立ちそうな本を、わりと最近に出版されたものを中心に紹介していきたいと思います。 ①『「霊魂」を探して』 鵜飼 秀徳 著 [amazonjs asin=”
都心から約1時間半。東京都日の出町平井にある宝光寺が大仏の建設を進めている。寺によると、高さは12メートルで、座仏としてはあの鎌倉大仏(約11メートル)を抜く大きさ。来年3月に完成する予定だ。町の観光の目玉にと、地元の期待も高まる。 大仏の名前は「鹿野(ろくや)大仏」。建設地である寺の裏山、鹿野山にちなむ。寺の敷地内ではかつて温泉が湧き、明治初頭まで「鹿の湯」として各地からの湯治客でにぎわったという。 大仏は銅合金で造られ青銅色。横幅は約11メートル。同寺によると、高さは奈良・東大寺の大仏(約15メートル)に次ぐとみられる。八角形の台座(高さ約3メートル、縦横約15メートル)と円形の蓮華座(高さ約3メートル、直径約14メートル)を重ねた上に大仏が座る。総工費は大仏と蓮華座だけで約4億円。 建設は先代が布教と地域活性…
まとめ シン・オテラ(真・お寺) あの有名映画風ポスターが貼られたお寺を発見した人のツイートと、その反響をまとめました 18566 pv 45 6 users 218
鳥羽市鳥羽4の浄土宗の古寺「西念寺」が所蔵する、仏教の開祖・釈迦(しゃか)の臨終の場面を描いた涅槃(ねはん)図に、嘆き悲しむ弟子や鳥獣に交じり、2匹の猫が刺しゅうで描かれている。涅槃図に猫が登場するのは珍しいとされ、同寺の筧(かけひ)佳人(かじん)住職(55)は「江戸時代前期に作られたと伝わっており、これからも大切に保存したい」と話している。【林一茂】 涅槃図は縦3・1メートル、横1・85メートルの大きさで、図柄は刺しゅうで仕上げてある。1678(延宝6)年の作と記され、京都の縫い師2人の名前も書かれている。釈迦を弟子や信者ら約50人が取り囲み、下部から象やネズミ、虎、猿など数十匹が悲しげな表情で見上げる構図だ。猫2匹は向かって右隅に描かれていた。
憎悪の連鎖 ミャンマー中部マンダレーの僧院前に立つ「イスラム教徒の蛮行」の写真を並べた掲示版 Thierry Falise-LIGHTROCKET/GETTY IMAGES アピチャート・プンナジャント(30)は、タイの首都バンコクの有名な「大理石寺院」の首席説教師。この童顔の僧侶は書類を次々に取り出し、テーブルの上に広げて見せる。 アピチャートは指先で書類をたたきながら、これは07年以降にマレーシア国境に近いタイのディープサウス(深南部)で殺された僧侶20人と負傷した24人のリストだと言う。マレー系イスラム教徒が多数を占める同地域では、04年から反政府勢力の破壊活動が続いており、6500人以上の死者が出ている。 犠牲者の大半はイスラム教徒の一般市民だが、アピチャートはお構いなしだ。1人の僧の殺害は仏教全体への攻撃と見なすべきだと主張する。「僧侶が殺されたり傷つけられることに対し、以前は苦
私は艦これをやめました。制作者が「クリエイターの仕事は、いかにプレイヤーに進めたくても進められない、そういうストレスと苦痛を与えるかだと思うんです」と公言しているだけあって、禿げるから。坊主頭が禿げ上がるほど禿げるから。「これは楽しくて止められないんじゃない、ギャンブル的に止めることができなくて止められない状態だな。」そう悟って止めました。私はあのゲーム性に疲れました。心の健康に繋がらないゲームが良いゲームであるわけがない。(良い思い出もありますし、楽しかった、やって良かったと思っている複雑な自分がいるのも事実です) 本当に良いゲームって、どんなに悔しくても、どんなに上手くいかなくても、どこか爽やかな風が吹いているんですよ。 L4D2で見ず知らずの仲間3人とゾンビの追撃から逃げる。 もう4時間も同じマップをクリアできないでいる…回復アイテムも彼が持っている1個しか残っていない…え?それを俺
円覚寺三門(山門) 円覚寺は正式には瑞鹿山円覚興聖禅寺といい鎌倉五山の第二位、鎌倉を代表する歴史と権威を持つ寺院の一つである。 円覚寺の歴史 円覚寺は弘安五年(一二八二)、執権北条時宗により、文永の役の戦死者供養を目的に南宋滅亡後に来日した禅僧無学祖元を開山として創建された禅寺である。 無学祖元(一二二六~一二八六)で名高いのは「臨刃偈(りんじんげ)」の故事である。一二七六年、祖元は温州の能仁寺に住していた。当時破竹の勢いで南宋に侵攻していた蒙古軍はその能仁寺にも侵入して僧侶たちに刀を突きつけてくる。そのとき祖元が立ち上がり、蒙古兵たちにこう「偈」(仏の教えや悟りを韻文で詠んだもの)を説いたとされる。 乾坤(けんこん) 孤?(こきょう)を卓(た)つるに地なし 喜び得たり 人 空にして 法もまた空なるを 珍重す 大元 三尺の剣 電光影裏に 春風を斬る (奥富P55) 『この世には、一本
呪殺祈祷僧団(じゅさつきとうそうだん)とは、以下の2つの団体のことを示す。以下ではいずれについても記載する。 日本の僧侶が結成した、1970年代に四大公害病の原因企業への抗議のために結成された団体。正式名称は、「公害企業主呪殺祈祷僧団」。 福島第一原子力発電所事故の問題と安全保障法制への抗議を目的に、2015年に結成された団体。正式名称は、呪殺祈祷僧団四十七士(JKS47)。1の団体とは直接の繋がりはないが、その思想を継承したとして、「再結成」を自称している。 1970年(昭和45年)9月、日本の公害問題に対し、その原因となる汚染物質を垂れ流す工場や企業の経営者を、密教の呪術によって地獄に連行すると宣言して、まず、四日市ぜんそくの発生源となった加害企業の三重県四日市市の四日市コンビナートを訪れて、続いてイタイイタイ病の発生源となった岐阜県の神岡鉱山や、鉱毒汚染の被害があった富山県婦中町や新
誓願(せいがん)には、次の意味がある。 神仏に誓いを立てて、事の成就を願うこと[1]。願掛け[2]。 上座部仏教における波羅蜜のひとつ、Adhiṭṭhāna。 大乗仏教において、仏や菩薩が一切衆生を救おうとして立て、必ず成し遂げようと定めた誓い[1]。本記事で詳述。 カトリック教会で修道者となる際に、神に清貧・貞潔・従順の三つの誓いを立てること[1]。修道誓願を参照。 誓願 (小説) 上座部仏教[編集] 大乗仏教における誓願(せいがん、梵: praṇidhāna, プラニダーナ)[要出典]とは、仏や菩薩が一切衆生を救おうとして立て、必ず成し遂げようと定めた誓いのこと[1][2]。また、大乗仏教において、仏道を志すものが願いを成就させるという誓いを立てること。菩薩が一切衆生を救済するという願いと誓いを立て、願いが叶うまでは自分が涅槃には赴かないとする。大乗仏教徒によって強調された。また阿弥陀
noi☔️低浮上 @noi14334501 お客さん(修行僧の方)とルンバの話題になった。 「あれ便利らしいですね」 「うちの寺にも一台いるよ。きれいに掃除してくれるよ」 「お寺の掃除ってそれでいいんですか」 「⚪︎⚪︎寺(すごく大きい所)に行った時、広い本堂にたくさんルンバが走ってて壮観だったよ」 なにそれ超見たい。
公開日: 2013/03/10 : 最終更新日:2014/01/29 カテゴリー:散歩・写真 タグ:gender, 中世, 仏教, 寺院, 文学, 日本史, 明治, 自然, 鎌倉 北鎌倉の梅の名所として知られる東慶寺です。東慶寺は正式には松岡山東慶総持禅寺といい、弘安八年(一二八五)、第八代執権北条時宗の妻覚山志道尼によって時宗の死後尼寺として開かれた。中世~近世の尼寺の多くがそうであったように、この東慶寺も尼寺として縁切の機能を有していた。江戸中期に書かれた同寺の由緒には開山の覚山志道尼が縁切寺としての法を定める旨、子の執権北条貞時に申し出たとあるとのことだが、史料的信憑性は薄いとされる。丁度、この寺が創建された弘安八年は幕府の重臣安達一族が内紛「霜月騒動」によって族滅した年で、覚山志道尼は安達一族出身であったことから、その安達一族の供養の目的で作られたとも考えられているが、確かなこと
私がカルト宗教という問題に取り組んで早いもので十年になります。その間、宗教や信仰の問題についての相談を随分受けてきました。 以前、地域の集会で講演を依頼されたことがあります。そこではとある新宗教の教団施設の建設の予定が明らかになり、地域住民の人達が反対運動に立ち上がったのです。私が日本で起きているカルト問題の概略や、そもそもカルトとは何かという講演をしたあとに、集まった人達による議論が始まりました。代表者の方の「あんなカルトを街に入れる訳にはいかない」という言葉の後に、挨拶に来た教団職員の目つきがおかしかったとか、服装が変だとか、マインドコントロールされているという意見が言われました。 その教団に懸念すべき点が無いとはとても言えませんが、特に何か事件を起こしたわけでもなく、ここ最近で言えば社会的に問題となるような活動も見受けられません。しかし住民の皆さんの議論を聞くと、悪く言えば「異質な人
鎌倉と三浦半島を繋ぐ旧道「名越切通」の道沿いにある非公開であった国指定史跡「まんだら堂やぐら群」が期間限定で公開されているとのことだったので、行ってきた。 猿畠山法性寺山門 横須賀線沿いにある寺院「猿畠山法性寺」が逗子側からの名越切通への入り口となっている。 法性寺本堂 法性寺は日蓮の弟子日朗とその弟子朗慶によって文応元年(一二六〇)に創建された寺院で、当時、日蓮が浄土宗の排斥などを訴えた著書「立正安国論」を執権北条時頼に送ったことに対し、激昂した浄土宗門徒らは日蓮の松葉ヶ谷の草庵を襲撃、その追手から逃れて隠れ潜んだのがこの付近の洞窟であったとされる。伝承では隠れ潜んでいたときに白猿三匹が現れて食糧を恵んでくれたという。そのような経験から日蓮は弟子の日朗に対し、この地に寺院の建立を命じたとされる。 本堂からほどなくして奥の院や墓地へと上る階段がある。 日朗廟所 日朗は日蓮の六人の高弟「六老
中国や韓国の仏教は日本ほど葬送にかかわることなく、葬儀は儒教や道教、シャーマニズム、あるいは無宗教的な手法で行われるのが常であるという。日本の仏教が葬式仏教として葬送儀礼に深く関与するようになったのはなぜか、本書ではその仏教革命ともいえる日本仏教の葬式仏教化の過程が解き明かされる。 結論からいうと仏教の僧侶が組織的に葬送儀礼に関るようになるのは鎌倉仏教教団が本格的に社会的影響力を持ち始める十三世紀~十五世紀ごろのことで、檀家制度や諸法令などが整備されていく江戸時代の十七世紀~十八世紀以降やっと葬式仏教が確立する。 それ以前は、仏教の僧侶たちは葬儀に対してはかなり消極的だった。古代から中世にかけて穢(ケガレ)忌避の観念は制度化され、僧侶たちも非常に強く穢れを避けることを意識していた。死穢は「死体に触れたり、葬送、改葬、墓の発掘などに携わったために生ずる穢れで、その穢れに触れた人間は普通、三〇
古来より、日本では火事は宗教的犯罪の結果とみなされてきた。なんらかの罪がケガレを生み、ケガレが火災を生むという因果関係が信じられており、火はそのケガレを浄化するものと見なされていたが、一方で、火災を起こした当事者は放火であれば重大な罪を犯したと、失火であればケガレの状態に陥るとされてきた。 波平美恵子「ケガレ」によると日本社会においては『火というもの、あるいは火の制御、制御の失敗ということを次のように認識してきた』(波平P198)という。 (1)火の制御(コントロール)に失敗すると、社会的かつ文化的な秩序を乱すこととみなされ、社会的に大きな犯罪を犯したことにもなるが、また当事者はケガレの状態に陥り、火事の現場や周囲もケガレの状態になる。 (2)放火によって人や器物、建物や動物を破壊し害することが許されているのは、天皇のような絶対的権力者が、自らの権威(それは神聖視されている)を脅かそうとす
私の実家は代々、ここ20世代ほど、受け継がけれてきている、田舎の小さな村のお寺だ。私の親類も、お寺の人が多く、今は亡き祖父は、兄弟が5人以上で、その半数以上がそれぞれの場所でお寺を切り盛りしている。それこそ、私の実家のお寺は檀家さんが10軒ぐらいで、また、その檀家さんの跡継ぎは実家を出てしまっているところも多く、正直、近い将来、私の実家が代々切り盛りしてきたお寺の存続は難しくなるだろうが、一方で檀家さんが60-100軒の親戚のお寺もあるので、お寺経営と言っても、ピンきりなのである。そんな、過疎化が進み檀家さんも減る一方の村の私の実家のお寺が、最近新しく建て直しが行われた。以前までの本堂は、老朽化が進み、次代までもたないだろうという状況だったので、素直に嬉しい半面、色々考えさせられることが多かった。まず第一に、経済的負担の問題だ。お寺の建築や修築費用は、本家と檀家さんが協力してお金を出しあう
Comment by Sybles 今日学んだこと ブッダの物語はキリスト教において「聖ヨサファトの伝説」として登場していて、イスラムでは「Budasafの伝説」として登場している。 <キリスト教におけるブッダ> ギリシアのバルラームとヨサファトの伝説は、誤って7世紀から8世紀のダマスコのイオアンに帰されることもあるが、最初に記録されたのは11世紀のアトスのエウテュミオスによってであり、アラビア語版とグルジア語版を通じて究極的にはブッダの生涯に由来する。 王から僧になったヨアサフ(グルジア語で「ヨダサフ」、アラビア語で「ユーザハフ」あるいは「ブーザサハフ」)はその名をサンスクリットのボーディ・サットヴァに由来する。ボーディ・サットヴァとは、ブッダになる前のガウタマを示すのに伝統的に使われてきた言葉である。 バルラームとヨサファトは正教会暦に8月26日の聖人として列されており、ローマ・カトリ
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