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議論と映画に関するkurotokageのブックマーク (24)

  • 「genocideの原型」 - jimusiosaka’s blog

    finalventさんの補足記事からの引用です。 http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060318/1142654353 そっちの世界でご満悦な人々 ⇒http://d.hatena.ne.jp/jimusiosaka/20060318#c1142868165 # jimusiosaka 『apesnotmonkeysさん。 >というかそのエントリ、無茶苦茶ですね。さすが山七平シンパだけのことはある。 同感です。このエントリが『日人とユダヤ人』に書かれたgenocideに関する非歴史学的な例え話を援用した記事であろうことは想像できましたが、オリジナルに輪をかけて突飛で支離滅裂な内容に思われました。』 # gachapinfan 『・・・そしてそういった無茶苦茶なエントリに対してまじめに批判すると、《空気読めない瑣末主義者》のレッテルを貼られることにwww

    「genocideの原型」 - jimusiosaka’s blog
  • 「我が子をアウシュビッツに…誰が?」という問題について(論点整理以前) - 煙

    gachapinfan氏による整理をそのまま借りつつ、「我が子をアウシュビッツに…誰が?」という問題について考える。 まず、gachapinfanさんによる整理 http://d.hatena.ne.jp/gachapinfan/20060322#p1 finalventさんの主張 1. 関東大震災において「われわれ」が「朝鮮民族」に対するジェノサイドを行なった、という誤解が流布している。あるいは、流布する可能性がある。 2. そのような誤解が流布すれば、民族間の軋轢を高めることになる。 2.1. わが子がアウシュビッツ送りになるかもしれない。 3. 「われわれ」は集団ヒステリーで「異者」を殺しただけで、特定民族に対するエスニック・クレンジングをおこなったわけではない。 3.1. 民族の血を根絶やしにするという考えによるものではない。 3.2. 計画的におこなったわけではない。 3.3.

    「我が子をアウシュビッツに…誰が?」という問題について(論点整理以前) - 煙
  • http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1534355107/E20060323104511/index.html

  • 「関東大震災」論争の論点整理(3月19日深夜) - 煙

    (今後更新の可能性あり) 論点1:研究成果を参照したか finalvent 現状私が知った範囲では偶発としてとらえて妥当ではないか。 hokusyu 歴史事件を取り上げるときに、それまでの研究から上がっている成果を踏まえず、いちいち一から議論を組み立てないといけないわけでしょうか。そうでは無いでしょう。 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060318 hokusyu 関東大震災時の朝鮮人虐殺については、ググるなりopacなりで検索すればいくらでも専門家の著書や論文が見つかるはずです。で、「未曾有の災害の中で特定の民族をターゲットとした虐殺が行わ」れ、その背景には朝鮮人への差別的な社会風潮があったということなんて、誰も問題にしていないぐらいほとんど自明のことがらだと思うのですが。 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20060318 h

    「関東大震災」論争の論点整理(3月19日深夜) - 煙
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

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  • 殺人の誘惑と情熱の間 投げつけられたチーズサンド | 性・宗教・メディア・倫理

    “日でも関東大震災の朝鮮人虐殺からまだ百年経っていないのだ。” 『ホテル・ルワンダ』パンフレット 町山智浩著 http://d.hatena.ne.jp/kemu‐ri/20060304/1141410831より (1) 1923年9月6日、震災から6日後、千葉県東葛飾郡福田村。 午前10時ころ、5家族15人の行商の一行が、利根川の渡し場に着く。 渡し場で船頭と渡し賃の交渉にあたっていた一人のほかは、6人が神社の鳥居近くに、9人が15メートルほど離れた雑貨屋付近で涼をとっていた。 交渉にあたっていた一人に「言葉がおかしい」「朝鮮人じゃないか」との疑いが向けられた。村の半鐘がならされ、駐在所の巡査と福田村の自警団、隣村の田中村の自警団が集まった。 君が代を唄わされるなど、一行は取り調べを受けた。 不審感が拭われず、巡査は庁の指示を仰ぐために現場を離れた。 行商一行と自警団との間のやりとり

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  • gachapinfanのスクラップブック - 「ホテル・ルワンダ」パンフ論争のまとめ

    ■[memo] 「ホテル・ルワンダ」パンフ論争のまとめ [以下のまとめは、よそ様のエントリやコメント欄の記述を参考にしています。メモしてなかったのでクレジットはつけられないですが、どうもありがとうございました。] ここでは、パンフの一文に対する典型的な否定的反応として、ふたたびid:finalventさんを取り上げています。 問題のまとめ 問題となっているのは 1. 「ホテル・ルワンダ」から何を読み取るか 2. パンフの町山氏の文章は妥当だったか 3. 関東大震災の虐殺はルワンダ虐殺に類比できるか 4. ルワンダ虐殺から何を読み取るか の四つ。しかし、これら四つは相互に関連しており、論者の主張のなかでも分けられずに論じられていることが多いのでここでも分けない。 町山氏とfinalvent氏の主張について、比較的当り障りのない範囲でまとめると、 町山氏 1. われわれは少数派を虐殺する人た

  • finalvent氏の「自分の子をアウシュビッツに…」発言を考える(1) - 煙

    ホテル・ルワンダパンフ論争について、そろそろ時間がなくなってきたこともあり切り上げようとも思ったのだが、どうしても1点だけ曖昧にすませられない問題が残っている。 finalvent氏の「アウシュビッツ」を引き合いに出した発言である。 私は3月7日エントリーでfinalvent氏の一連の主張を検討したが、この時点では単に「過剰な他者恐怖」を動機にしているのではないかという指摘にとどまっていた。 しかしこの分析では不十分で、finalvent氏はかなり意図的に読み手の「不安」や「恐怖」を煽った可能性が高いと思う。 gachapinfan氏の「「ホテル・ルワンダ」パンフ論争のまとめ」でも、この点への言及がある。 2.3. 「ホテル・ルワンダ」の意味について言及することなく関東大震災の虐殺はジェノサイドではなかったと言いつつ、それと同時に、(根拠なしに)日人はアウシュビッツ送りにされかねないと煽

    finalvent氏の「自分の子をアウシュビッツに…」発言を考える(1) - 煙
  • 「あなたがた」って誰? - 煙

    拙エントリ「finalvent氏の一連の主張について(箇条書きバージョン1)」に対する、ブクマでのBigBang氏のコメントについて。 『finalvent氏は町山氏に語りかけているのではない。歴史への佇立についてあなたがたに語りかけている。氏のイザヤベンダソン論(http: //finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/03/part_2.htm)くらいは目を通してから論評すべきだと思』 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20060308/1141711669 よくわからないコメントだ。 *1 仮に「finalvent氏は町山氏に語りかけているのではない」としよう。では誰に語りかけているのか。finalvent氏自身が「あなたがたに」というならわかる。しかしB

    「あなたがた」って誰? - 煙
  • この際だからはっきりさせておくと…

    え〜、『ホテル・ルワンダ』のパンフレット論争についてはいまだにこことかここで続けております。ブログ主のお二人、特に E-Sasa さんには根気よくおつきあいいただいているのでその点についてはお礼申し上げるとして、お二人に共通する finalvent氏批判派(私を含む)との認識のズレがみられるようなので、すでにコメントしたこととも重複するが改めて書いておきたい。 お二人とも「町山氏批判が目的ではない」ということを強調しておられるわけだが、finalvent氏のエントリをめぐる議論について言えば、氏が町山智浩氏を「批判」し、パンフレット原稿の最後の一行について 私はこうした言及を安易に聞き流していいのだろうかと自問した。 よくないと思う。 と書いたのが出発点である。ルワンダの虐殺と関東大震災時の朝鮮人虐殺が「同じか、違うか」も「最後の一文はあってもよかったのか、ない方がよかったのか」という文脈

  • 安全マキャベリズム―「ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺との差異」 - Munchener Brucke

    今日も町山智浩氏のネタだが、ホテル・ルワンダとそれに関して関東大震災の朝鮮人虐殺の類似性を指摘した町山智浩氏のコメントに関する話題がブログ界でホットだ。 私も結論から言うと異なるとは思っているが、もちろん民族というカテゴリーで虐殺が起きたという基的な部分では共通な訳で、ことさら差異ばかり誇張するのもいかがかと思いつつ、差異について考えてみたい。 id:finalvent:20060304のエントリーを少し引用させてもらう。 ここには民族間の争いと憎悪の歴史背景がある。 そのようなものが、関東大震災の朝鮮人虐殺にあっただろうか。 ない。それがとても重要なことだ。 安全マキャベリズム 私も当時の日人に朝鮮人への憎悪は特になかったと思う。あったのは多少の優越意識だけ。 なぜ大震災時に虐殺が起きたか、今のネット言論は日歴史的恥部を無視することを善しとし、少しでも触れるだけで「サヨク」のレッ

    安全マキャベリズム―「ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺との差異」 - Munchener Brucke
  • Apes! Not Monkeys! - まあ結局のところ…(「バターン死の行進」とか『ホテル・ルワンダ』とかをめぐって)

    まぁあれですな。大山鳴動して歴史修正主義、ですか。いろいろと参考にはなりました。 あちこちでコメントしたけれども改めて確認しておけば、問題とされた町山智浩氏の一文はルワンダ虐殺事件についてのものではなく、さらには映画『ホテル・ルワンダ』についての総合的な批評でもなく、監督テリー・ジョージが主役にドン・チードルを望んだという事情についてのものだったわけだ。したがって、あらゆる町山批判はこの文脈において自己を正当化せねばならない。町山氏はルワンダ虐殺と関東大震災時の朝鮮人虐殺があらゆる点からみて同質だなどとは主張していないし、要するに「理不尽な暴力が吹き荒れるとき、しかも傍観していれば自分だけはその暴力を逃れることができるような状況で、あえて被害者を助けることができる人間になれるか」という問いを(彼が想定した)日人の読者に身近なものとして提出するために、関東大震災時のエピソードをひきあいに出

  • 「ポールさんのようになる」という命題について(箇条書きバージョン1) - 煙

    4月以降の準備で時間がだんだん無くなってきたので、箇条書き。 長文なので、8日付エントリにしました。 明日以降、しばらく更新できない可能性もあり。 ・現在の議論は、パンフの文章「テリー・ジョージの‥」の最後の一文をめぐって行われている。 ・町山氏のパンフ文章「テリー・ジョージの‥」の最後の部分は、「隣人を守れるか」言い換えれば「ポールさんのようになれるか」という命題である。 ・これが、映画「ホテル・ルワンダ」の主題の一部であることは疑いない。 ・travieso氏も指摘するとおり、これはルワンダ虐殺の史実そのものより、「ホテル・ルワンダ」という作品のテーマにかかわる議論である。 ・その命題に触れる際に「関東大震災」の事件に言及することへの是非が論点になっていると考える。 ・日人である町山氏が日人に向けてその命題を発するとき、日で起きた事件を想起させるのは、別に奇異でも何でもないと思う

    「ポールさんのようになる」という命題について(箇条書きバージョン1) - 煙
  • finalvent氏の一連の主張について(箇条書きバージョン1) - 煙

    「ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なる」において ・まず、「ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なる 」においてfinalvent氏は、町山氏がパンフの文章の末尾に関東大震災の事件を持ち出すことに疑問を投げかける。 ・関東大震災の事件はルワンダ虐殺ほど酷い事件ではなく、異なるという。 ・しかし再びK_NATSUBA氏の言葉を借りると「ルワンダと同じような状況になったとき」、つまり自分が所属する集団が虐殺加害者になった時、「あなたは隣人を守れますか?」虐殺被害者を庇えるか、というのがポールさんの問いなのだから、規模や程度に差があっても「ポールさんのようになれるか」という命題において関東大震災の事件を想起させることは特に問題ないと私は考える。 ・それに対し、日はルワンダのような酷い虐殺は起こしていない以上、普遍的な「宗教的戒律」のような命題を突きつけられて、「それにただ頷くこ

    finalvent氏の一連の主張について(箇条書きバージョン1) - 煙
  • BigBangさんの「finalvent氏を支持する」について(箇条書きバージョン1) - 煙

    一言で言えば、「ポールさんのようになる」という、町山氏の立てた命題と「関東大震災事件」を想起させるという、現在の論点とは異なることころで、町山氏の文章を批判し、finalvent氏を支持している印象。筋違いの批判と筋違いの支持。BigBangさん個人の考えは高く評価するんだけど、なんでfinalvent氏を支持しているのか、読んでもほとんど理解できなかった。 finalvent氏を支持する(1)------ホテル・ルワンダを巡るカオスについてより (1)国際社会という視点について 国際社会という視点と「ポールさんのようになる」命題は独立の事柄である。前者が後者を、後者が前者を無効化するわけではない。 (2)フツとツチの抗争とは何か その事柄は「ポールさんのようになる」という命題を無効化するわけではない。 別に町山氏は「ルワンダを理解する」という命題のために関東大震災を持ち出しているわけでは

    BigBangさんの「finalvent氏を支持する」について(箇条書きバージョン1) - 煙
    kurotokage
    kurotokage 2006/03/08
    とても理解しやすい。
  • finalvent氏のコメント‥関東大震災は異なるが、通州事件は同じらしい - 煙

    ブックマーク煙 - 町山智浩氏のパンフ所収文章を全文転載します で目に留まったコメント 2006年03月04日 finalvent 『締めは、「中国でも通州事件の日人虐殺からまだ百年経っていないのだ。」としたいところ。』 ‥つまり、ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なる が、通州事件とルワンダ虐殺は異ならない、ということらしい。 通州事件についてはhttp://www.geocities.jp/yu77799/tuushuu/tuushuu1.htmlがわかりやすい。 一部転載 江口圭一氏「十五年戦争研究史論」より 補論 通州事件について 中国の抗日は日の侵略にたいする反撃であり、正当・当然であるからといって、通州保安隊その他による日人・朝鮮人・女性・幼児にいたる無差別虐殺は容認できるものではない。しかし通州事件の評価・位置づけには少なくとも以下の三点への留意が必要である。

    finalvent氏のコメント‥関東大震災は異なるが、通州事件は同じらしい - 煙
  • 町山智浩氏のパンフ所収文章を全文転載します - 煙

    1時14分、町山氏から転載許可のメールをいただきました。 以下に転載します。 彼でなければダメだった− テリー・ジョージ監督の賭けに見事に応えたドン・チードル 町山智浩(映画評論家)) 「ドン・チードルでなきゃダメなんだ」 テリー・ジョージ監督はそう訴えた。『ホテル・ルワンダ』への出資を検討したハリウッドのメジャーな映画会社は、主演をデンゼル・ワシントンかウィル・スミス、またはウェズリー・スナイプスのようなスーパー・スターに演じさせたがった。もちろん客を呼ぶためだ。しかしジョージ監督はこれまで主演映画が一もないドン・チードルにこだわった。 「シナリオの時点でドンを想定していた」監督は言う。「『青いドレスの女』からずっと彼に注目してきたんだよ」『青いドレスの女』(95年)のドン・チードルは、謎の美女を追う主人公デンゼル・ワシントンの弟分。テキサスから来たガンマンで、バカでっかい銃をやたらめ

    町山智浩氏のパンフ所収文章を全文転載します - 煙
  • どうして通州事件なら構わないのか - 煙

    ようやく、元テキストを読んだうえでの議論ができるようにになった。 そのうえで、最初に私の立場を表明しておくと、町山氏の「彼でなければダメだった テリー・ジョージ監督の賭けに見事に応えたドン・チードル」の最終部、「隣人を守れるか」という命題は「ホテル・ルワンダ」の主題の一部をなすこともので、町山氏が勝手に作り上げたものでないことは疑いないと考える。 そのうえで最後の一行については「あってもいいんじゃない」程度の感慨で、特にこの主張を支持するというほどのものではない。この意味で私は木走氏の立場に近い。したがって、町山氏のテキストに違和感を持つ人がいても不思議はないと思うし、そのことを否定したりはしない。 しかし、finalvent氏のエントリ http://d.hatena.ne.jp/finalvent/comment?date=20060304§ion=1141473634#c には正直驚

    どうして通州事件なら構わないのか - 煙
    kurotokage
    kurotokage 2006/03/07
    パンフの一文は日本人が日本人に向けたものと考えれば何が適切かが分かる気がする。
  • ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 - 「わかってもらえるさ」RCサクセション

    今年のアカデミー賞で作品賞ほかにノミネートされている映画『グッドナイト&グッドラック』は、マッカーシー上院議員による「赤狩り」が吹き荒れる50年代を舞台に、政治的な傾向のあるマスコミ関係者が次々と社会主義者と決め付けられて弾圧されるなかで、マッカーシーに敢然と立ち向かったCBSのキャスター、エド・マローの勇気を描いている(詳細)。 しかし、なぜ、今、50年も昔のことを映画に? 製作・脚・出演のジョージ・クルーニーは、赤狩りの恐怖のためにマスコミ関係者が政府批判を避けるようになった50年代が、対テロ戦争の下、マスコミがブッシュ政権を批判しなくなった現在の状況とが似ていると考え、ジャーナリストに当の役割を思い出させるためにマローのことを映画化しようとしたのだ(クルーニーは大学まではキャスター志望)。 この『グッドナイト&グッドラック』のシナリオをクルーニーと共同で執筆したグラント・ヘスロヴ

    ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 - 「わかってもらえるさ」RCサクセション
  • Apes! Not Monkeys! - 全てのものは同じであり、全てのものは異なっている(追記あり)

    最初は「世の中、こんな阿呆がおるのか」とあきれると同時に、町山氏の尻馬に乗って炎上させている馬鹿どもへの怒りの方がむしろ先に立って静観していたのだが、その後いや〜な方向に事態が進行してしまっているようである…。 このブログでも何度か書いたことだと思うのだが、全てのものは「同じ」であるということができると同時に、全てのものは「異なる」ということができる。任意の二つの存在者は、例えばそれが「存在者である」という点において「同じ」である。出来事を存在者としてカウントする存在論を採用すれば任意の二つの出来事について「同じ」であるということができる。「醜いアヒルの子の定理」というのがあって(渡辺慧の名著、『認識とパタン』、岩波新書を参照)、任意に選んだ二つの存在者間の類似性はすべて同じであることが数学的に証明できる。他方、誰がみても見分けられないほどよく似た二つの存在者であっても、それが「二つ」と認