「支那」という呼称を意識的に使用する人々がいる、その背景には拭いがたいレイシズムの思想と、歴史に対する無理解、または人間というものに対する無知が横たわっている。 「支那」の語源についての考察 (文字飾りはわたしが行った) (略) 日本の社会が「支那」という言葉を使って中国を軽蔑の意味を込めて称し始めたのは、中日甲午戦争で清が敗れた時からである。一八九五年、清政府は余儀なく日本政府を相手に、主権を喪失し国が恥辱をこうむる馬関条約(日本では下関条約と言われている)を締結して、近代中国のこうむった恥辱は極点に達した。昔から中国のことを「上国」として尊敬してきた日本人は最初は驚き、続いて勝ったあとの陶酔に走り、町に出てデモ行進を行い、「日本は勝った。『支那』は負けた」と狂気のように叫んだ。そのときから、「支那」という言葉は日本では戦敗者に対する戦勝者の軽蔑的感情と心理を帯びたものになり、中性的な言