タグ

*newsと佐賀に関するkurumigiのブックマーク (2)

  • 名護屋の鍋島直茂陣跡 陣屋は2つ? その意味は?/佐賀のニュース :佐賀新聞の情報コミュニティサイト ひびの

    唐津市鎮西町の県立名護屋城博物館が、文禄・慶長の役(1592~98年)で築かれた佐賀藩の藩祖・鍋島直茂陣跡の発掘調査を進めている。約130カ所ある諸国大名の陣跡の中でも屈指の規模で、当時のままの石垣も残る。配陣図に示された場所には、鍋島と龍造寺両家の微妙な関係をかいま見るように、陣屋が2つ置かれたと思われる跡もある。調査の現場を訪ねた。 直茂の陣跡は「高嶽(たかたけ)」と呼ばれる南北480メートルに広がり、標高72メートルの小高い丘にある。木々が生い茂った山道を分け入ると、中腹部に石垣が見えてくる。入り口付近では実測作業員3人が、石一個一個の配置などを計測し記録、このほか約10人が発掘作業に当たっていた。 鍋島直茂陣跡については、現存する資料が少ない。しかし、佐賀市大和町の玉林寺に「陣屋の建物を移築して伽藍(がらん)(玉林寺)を建てた」とする「銘」があり、当時、しっかりした建物があったこ

  • 英国で「佐賀の乱」公文書発見 駐日公使が母国に報告/佐賀のニュース :佐賀新聞の情報コミュニティサイト ひびの

    明治政府に対する士族の反乱とされる「佐賀の乱」(1874年・明治7年)について記述したイギリスの公文書が英公文書館で見つかった。当時の駐日公使が英政府に送った報告書で、24枚の文書には佐賀の乱を単なる一地方の反乱ではなく、「明治新政府内の対立を背景にしたもので、結末に不満もあり、政府は信頼を回復していない」という内容が書かれている。外国高官の目で佐賀の乱を分析した貴重な史料といえる。 鹿島市出身のジャーナリスト徳栄一郎氏(45)が今年6月、ロンドン郊外の公文書館で日関連文書を閲覧して見つけた。佐賀の乱に関する外国公文書の発見は初めてとみられる。 報告書は1874年4月25日付で、幕末から着任していたハリー・パークス公使が英外務大臣あてに送っている。首謀者とされる江藤新平の処刑日から12日後の日付になる。 徳氏によると、報告書は裁判の様子を記して「死刑に加えて江藤前法務卿と島(義勇)ら

    kurumigi
    kurumigi 2009/11/03
    『政府軍に反抗した榎本武揚が後に特赦で要職に就いた例と比較して刑が重すぎるという意見を紹介、「佐賀の乱鎮圧で政府への信頼が回復したとは言えない」と分析している。 』
  • 1