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科学と思想に関するlaislanopiraのブックマーク (302)

  • 科学と科学者との地位に関する一つの個人的な哲学──『若き科学者へ』 - 基本読書

    若き科学者へ【新版】 作者: ピーター・B・メダワー,結城浩(解説),鎮目恭夫出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2016/07/21メディア: 単行この商品を含むブログ (1件) を見る書は1960年にノーベル生理学・医学賞を受賞したメダワーが書いた「科学者の心得」みたいなだ。人がいうところをそのまま引用すると『書は世界における科学と科学者との地位に関する一つの個人的な「哲学」を具体化している。』、まあつまりは「科学者というものについての個人的な意見です」ということになる。原書刊行は1979年で、日でも1981年に同じくみすず書房から刊行されているが、今回結城浩さんによる解説も付してあらためて現代に出し直されている。 なぜいま1981年に出たを出し直しているのかといえば、昨今の科学プロセス上における不正事件などを受け、「科学的方法論、科学者としての在り方」を見なおそうと

    科学と科学者との地位に関する一つの個人的な哲学──『若き科学者へ』 - 基本読書
  • 『野性の知能』はスゴ本

    大失敗したことがある。それは、ドーキンス『利己的な遺伝子』の「利己的」を誤解していたことだ。 タイトルから「利己的な遺伝子がいて、そいつが生物の行動を決定する」と思い込んでいたが、これは誤りだ。このでドーキンスが言いたかったのは、生物の行動様式を説明する際、遺伝子の自己複製というレベルからだと整合的に理解できるということ。「利己的な遺伝子」は説明のために擬人化されたメタファーにすぎない。分かりやすくするための擬人化の罠の顛末は[分かりやすさという罠『利己的な遺伝子』]で曝露しているので、教訓とされたし。 『野性の知能』は、擬人化の罠に囚われていないか問いかける。動物を観察する際、ヒトに似た属性の有無を探し、ヒトの基準で動物の行動を評価する。何かヒトに似た行動を取ったとしても、その行動を生んだ根源的なメカニズムまでがヒトと同じとは限らない。それぞれ異なる身体と神経系をもち、それぞれ異なる生

    『野性の知能』はスゴ本
  • 完全食:ソイレントの夢

  • 歴史と物語のあいだ『歴史学ってなんだ?』

    歴史の専門家は、『ローマ人の物語』をどのように評価しているのか?」について調べたことがある。史学雑誌の論文によると、小説として読まれるならいいが、図書館や学校で「歴史」扱いされるのが問題だという。根拠のない断定や誤りが目に付き、聞き捨てならない記述もあるらしい。プロの目で徹底的に検証してやりゃいいのに……と思ったが、実際にバトルがあったかどうかは寡聞にして知らぬ。 タイトルに「物語」と書いてるし、歴史家と違って小説家は自由に想像できると宣言しているので、読者も「そういうもの」として受け取るだろう。しかし巻末に膨大な「参考文献」を付けてきたり、図版を掲載することで権威の皮を被っており、演出上手だなぁと感心してた。 上手にウソをつくコツは、真実の中に混ぜることだ。『ローマ人の物語』の面白さは、史料の裏づけのある論説と、自由に想像した物語とを織り交ぜながら、見てきたように書いてあるところにある

    歴史と物語のあいだ『歴史学ってなんだ?』
  • 『「こつ」と「スランプ」の研究』「体感」に「ことば」を、「ことば」に「体感」を - HONZ

    何やらそそられるタイトルだ。とらえどころのない「こつ」と「スランプ」の正体に、いかにして迫っていくのか。そもそも、それらは研究できるものなのか。期待と不安が入り混じるまま読み進めた先に待っていたのは、思わぬアプローチと意外な着地点だった。 実は、「こつ」や「スランプ」についての話は書の一面に過ぎない。研究対象とされているのはより広い領域、「身体知」である。 身体知とは、シンプルにいえば「からだに根ざした知」だと著者は言う。自転車の漕ぎ方やゴルフのドライバーなどが分かりやすい例だ。いわゆる「暗黙知」との違いは明確に書かれていないが、読んだ限りでは、「からだで理解する」というニュアンスをより強調した言い方が「身体知」だと思われる。 「からだに憶え込ませる」という言い回しがあるように、身体知は反復練習の中で徐々に感覚を掴むことで身につくもので、一見「ことば」は邪魔なように思える。自分の経験に照

    『「こつ」と「スランプ」の研究』「体感」に「ことば」を、「ことば」に「体感」を - HONZ
  • 生きづらいのは進化論のせいですか?/『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』著者、吉川浩満氏インタビュー - SYNODOS

    進化論って、適者生存のこと?  進化論のせいで生きづらくなっていないですか? 絶滅から生命の歴史を考える『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』著者である吉川浩満さんに、私たちの「進化論」と科学的な「進化論」との違いについてお話を伺った(聞き手・構成/山菜々子) ――進化論は、ずっと温めていた企画なので、実現できてとても嬉しいです。今日は『理不尽な進化』著者の吉川さんに色々と話を伺いたいと思います。 よろしくお願いします。パフェ頼んでもいいですか。 ――どうぞ、どうぞ。 ありがとうございます。いただきます。 山さん(註:インタビュアー)がくださった企画要旨のメールに、「生きづらいのは進化論のせいだ!」とあったのが印象的でした。半分ご冗談なのかもしれませんが、おっしゃることはよくわかります。そのあたりから始めましょうか。 ――「弱肉強」「適者生存」みたいな言葉を聞くと、日々がむしゃらに頑張

    生きづらいのは進化論のせいですか?/『理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ』著者、吉川浩満氏インタビュー - SYNODOS
  • 現実と違っても数学モデルを信仰してしまう経済学者たち

    現実と違っても数学モデルを信仰してしまう経済学者たち ピグマリオン症 一部の経済学者の自由貿易信仰は、「貿易自由化によって利益を得られる業界とつながっているから」という事のみでは説明できない部分もある。それが話を複雑なものにする。実際、業界関係者から何ら利益を受けていない経済学者であっても、「自由貿易は絶対的に正しい」と吹聴する人はいるのだ。とくにオタク経済学者に多い。 こうした人々が出てくる背景として、新古典派経済学という学問分野の持つ方法論の欠陥が作用しているように思われる。つまり、美しい数学モデルが出来上がると、その数学的な美しさに魅了されて、それを信仰するようになってしまうのである。 モデルと現実は違う。モデルは現実を近似したとしても、決して現実とイコールにはならない。ところが経済学者の中には、複雑奇怪な現実世界の現象よりも、エレガントで優美な数学モデルに恋焦がれて、それが現実で

  • 一生遊べる学問へようこそ『哲学がかみつく』

    やりなおしたり手を出したり、いくつになっても、学ぶことは楽しい。数学や生物学、物理学、経済学歴史学など齧ってきたが、必ずといっていいほど、哲学に戻ってくる。 これは、少し考えれば、あたりまえなのかもしれぬ。人が「学ぶ」「知る」すべての体系を哲学とすると、そこから、解き方が分かっているものや、道具立てがある程度そろっているものが、それぞれの分野として切り出される。そして、それぞれの分野の中で整合性をとりつつ、実際に解いてみせたり、解けることを示したり、応用したり便利に使ったりする。解法は「分かる=分ける」に従って、専門化・細分化することで、次第にわたしにはついていけなくなる。質よりもメタファーの説明だけで、分かった気分になる(例:ひも理論)。 いっぽう、解くアプローチが曖昧だったり、どの分野にもそぐわなかったり、そもそも"問い"として成立するかどうかもままならないものは、哲学の範疇に取り

    一生遊べる学問へようこそ『哲学がかみつく』
  • 『科学の発見』なぜ、現代の基準で過去を裁くのか 解説 by 大栗 博司- HONZ

    書は、物理学者スティーヴン・ワインバーグがテキサス大学で行ってきた科学史の講義に基づいた著書の邦訳である。『科学の発見』というタイトルが示すように、個々の科学的事実の発見の歴史ではなく、科学の方法それ自身の発見に重点を置いていることが特徴だ。ワインバーグは、「現代科学の実践を見たことがない人にとって、その方法は何一つとして明らかではないのである」と語り、人類がいかにして科学の方法を習得したのかを明らかにしようとする。 一読して驚くのは、ワインバーグが、科学の方法が確立する以前に自然を探求していた人々の間違いを、遠慮会釈なく指摘していることだ。古代ギリシアの「タレスからプラトンに至る思想家」は、「誰も、自分の理論を実際に確かめようとしていない」。彼らは、「自分が真実だと信じていることを明確に述べるためというよりは、美的効果のために選択された文体」を使う詩人であり、観察や実験によって自らの理

    『科学の発見』なぜ、現代の基準で過去を裁くのか 解説 by 大栗 博司- HONZ
  • 加速するテクノロジーといかにして付き合っていくべきか──『人間VSテクノロジー:人は先端科学の暴走を止められるのか』 - HONZ

    最初に『人間VSテクノロジー:人は先端科学の暴走を止められるのか』という書名を見た時、うーんこれはどうだろうかと思ってスルーしかけたのだが試しに読んで正解だった。これはテクノロジーが急速に進歩し、議論が追いていかれてしまっている今こそ読むべき一冊である。 書名からスルーしかけたのは「テクノロジーは人間と対立的に語られるべきものではなく、もたらされるリスクと利益の間を常に天秤にかけながら語られるべきものである」という前提をすっ飛ばしているではないかと思ったからだ。たとえば自動車が存在することによって「自動車事故」というリスクは発生するが、それだけでなく高速で移動できる利益もあるからこそ社会でこれほどに受け入れられているのである。敵も味方もなく、必要とされるのはバランスだ。そこを対立的に煽っても仕方がないだろうと思っていたのだが、書名を少し勘違いしていたようだ。 邦題からはちとわかりづらいが、

    加速するテクノロジーといかにして付き合っていくべきか──『人間VSテクノロジー:人は先端科学の暴走を止められるのか』 - HONZ
  • 植物は時間をどこで測っているのか/遠藤求 - SYNODOS

    私たち現代人は起きてから寝るまで時間に追われて生きている。朝寝坊したと慌て、電車が来ないとイライラし、締め切りに間に合わないと嘆く(私のことです)。自由気ままに生きている動物のようにゆっくり暮らしたいと思うことも多いが、彼らも決して時間から解放されて暮らしているわけではないのだ。 実際、動物は私たちが使っているような機械時計は持たずとも、睡眠事のタイミングや代謝、遺伝子発現といった反応が起こる時刻はかなり正確にコントロールされている。これは自身の内部にある「生物時計」の働きによるものであり、一般には“体内時計”とも呼ばれている。 生物時計には一年に一度起こるような繁殖や回遊を司る「概年(がいねん)時計」から、約一ヶ月周期の「概月(がいげつ)時計」、約1日周期の「概日(がいじつ)時計」、さらには月の満ち欠けに伴う潮汐リズムに合わせた「概潮汐時計」など、様々な種類の時計が含まれている。それ

    植物は時間をどこで測っているのか/遠藤求 - SYNODOS
  • 『カルチャロミクス 文化をビッグデータで計測する』経済物理学における周辺研究 - HONZ

    数百万冊におよぶ書籍の単語を、ビッグデータと捉えたら何が見えてくるのか? Google がスキャンした大量の書籍で使われている単語・フレーズの使用頻度を年ごとにプロットするシステム「グーグル・N グラム・ビューワー」。書はこのビューワー自身の開発者によって、「カルチャロミクス」と名付けられた全く新しい人文学研究を紹介した一冊である。稿では、この研究の背景となる「経済物理学周辺の最前線を、東京工業大学の高安 美佐子氏に解説いただいた。(HONZ編集部) コンピュータを使った新しい文章の読み方 通常、文章の書き手は、どういう順番で話を展開すれば、読み手に内容を伝えられるかを考えながら言葉を一つひとつ選び、それらをつないでいく。そして読み手は、初めの単語から順番に読み解き、その内容を理解する。しかし、書のテーマとなっているように、コンピュータを用いた分析技術を用いれば、人間が文章を理解する

    『カルチャロミクス 文化をビッグデータで計測する』経済物理学における周辺研究 - HONZ
  • 『文化進化論 ダーウィン進化論は文化を説明できるか』 文化も生物のように変異し、競争にさらされ、受け継がれていく - HONZ

    文化進化論 ダーウィン進化論は文化を説明できるか』 文化も生物のように変異し、競争にさらされ、受け継がれていく ダーウィン進化論は、信じられないほど少ない仮定で、驚くほど多くのことを説明してしまう。なにしろ、100万種以上といわれるほど多様で、かつその1つ1つが複雑な機能を備えている生命が、どのように実現されているかを誰もが理解できるように示してみせたのだから、驚異という他ない。またダーウィン進化論は、DNAがどのように遺伝情報を継承しているかというミクロな視点から、種が集団としてどのように発展するかというマクロな世界までを考えるための共通土台を提供することで、あらゆるレベルでの生物への理解を深めるために欠かせない存在となっている。 それでは、進化の果てに生み出されたヒトが作り出す文化について、我々はどれほど理解しているだろう。文化がどのように生まれ、伝達され、発展もしくは衰退するのか、

    『文化進化論 ダーウィン進化論は文化を説明できるか』 文化も生物のように変異し、競争にさらされ、受け継がれていく - HONZ
  • 昔の哲学者って最先端の科学や数学を学んだり専門家に教わったりしてたけどなんで今はしてないの? : 哲学ニュースnwk

    2015年12月26日18:00 昔の哲学者って最先端の科学や数学を学んだり専門家に教わったりしてたけどなんで今はしてないの? Tweet 1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/12/26(土) 03:12:29.452 ID:ORWbZrO90.net というか哲学者って今なにやってるんだ 転載元:http://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1451067149/ 四大ウザい論法「悪魔の証明」「論点のすり替え」「人身攻撃」 http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4834600.html 2: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/12/26(土) 03:13:38.070 ID:hwOVE3mj0.net ぶっちゃけ昔と今じゃ哲学のジャンル分けが違う 3: 以下、\

    昔の哲学者って最先端の科学や数学を学んだり専門家に教わったりしてたけどなんで今はしてないの? : 哲学ニュースnwk
  • 思考の歴史というものを考えてみたい(前編:中世、そして、15-16世紀): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 何のためかはひとまず置いておいて、先日、ふと思い立って、15世紀から19世紀にかけての芸術や科学にまつわる歴史的な出来事を中心に気になるトピックをポストイットに書き出し、並べてみるという1人ワークをやってみた。 やってみると、やはり面白いものでいくつか時代の変換点といえる地点が見えたり見えなかったりしたので、今回はそれをざくっとまとめてみる。 中世まではまずは、対象外としての中世から。 「15世紀から19世紀にかけて」という視点では対象外なので、ほんと、思いつくまま、こんな特徴をあげてみた 中世の部屋はほとんど家具がなかった印刷以前、オリジナルの著作はなく、をつくることはモザイクの作成だった人は旅をするようになった このリストの最初にあげた「家具がなかった」という話はマク

    思考の歴史というものを考えてみたい(前編:中世、そして、15-16世紀): DESIGN IT! w/LOVE
  • CBCNET:LOG » おとなもこどもも楽しめる、学習まんが「アフォーダンス」!

    「思想としてのデザインを、デザインされたテキストへ」というテーマをもとに展開するウェブメディア「ÉKRITS / エクリ」よりおとなもこどもも楽しめる、学習まんが「アフォーダンス」がリリースされました。(リリースされたのは9月下旬) デザインの学校へ行った方やそういった仕事をしている人なら聞いたことはあるであろう「アフォーダンス」。個人的にもこの理論は好きで、様々な場面で物事や状況の捉え方に影響を与えることのできる考え方かと思います。 そんな「アフォーダンス」を子どもたちが楽しく学べるように解説した学習漫画が今回の作品、もちろん大人でも楽しめる内容になってます。漫画家のコルシカさん(www.facebook.com/Kunotocorsica)からの「学習まんが」というお題に、エクリを運営するOVERKAST大林さんが「アフォーダンス」というコンテンツで答えることで実現したという。 知覚心

    CBCNET:LOG » おとなもこどもも楽しめる、学習まんが「アフォーダンス」!
  • Daily Life:統計的研究に体験談で反論する人と、体験談は証拠にならないと思う人とが話をするためのチェックリスト

    October 22, 2015 統計的研究に体験談で反論する人と、体験談は証拠にならないと思う人とが話をするためのチェックリスト 以下のようなチェックリストを作ってみたので役に立ちそうだと思った方は使ってみてください。 統計的研究に体験談で反論する人と、体験談は証拠にならないと思う人とが話をするためのチェックリスト あなたは以下の主張のどこまでだったら(あるいはどれにだったら)同意できますか。 1 一般論として、人間の体のしくみにはまだわからないことが多い 2 そのため、一般論として、病気は良く分からない理由で治ったり治らなかったりすることがある。 2’この一般論は今問題になっている病気にもあてはまる 3 一般論として、ある治療をうけたあとにたまたま「良く分からない理由で治る」こともある 3’この一般論は、今問題となっている治療と病気にもあてはまる 4 そのため、一般論として、ある治療を

  • 数学がはじまる瞬間 —『数学する身体』に寄せて― - HONZ

    数学する身体』は、独立研究者・森田真生氏が「数学とは何か」そして「数学にとって身体とは何か」を自問しながら数学歴史を追いかけた一冊である。その流れは、アラン・チューリングと岡潔の二人へと辿り着く。 そしてこの森田氏の試みを応援すべく、二人の刺客が客員レビューに名乗りを上げた。一人目は科学哲学を専門とし、同じように身体論へアプローチする下西 風澄さん。彼は書を「格闘の書」と評す。ちなみに2人目は10月21日に掲載。乞うご期待。(HONZ編集部) 私たちが心を高鳴らせるのは、いつも「はじまりの瞬間」である。 数学という完成された美しい建築物を眺め、そして学ぶとき、私たちはその起源を忘却している。しかし、そこには確かに、不安になるほどの未知と可能性に開かれた「はじまりの瞬間」、そしてそこから走り出す物語があったのだ。 書は、「数学がはじまる瞬間」、その風景を垣間見せてくれる。それは、生ま

    数学がはじまる瞬間 —『数学する身体』に寄せて― - HONZ
  • 「現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇」大田俊寛 著

    二十世紀のオカルティズムの拡大と浸透の過程で現代日社会にごく当たり前の思想として受け入れられている霊魂観――「肉体が潰えた後も霊魂が存続し、輪廻転生を繰り返しながら永遠に成長を続ける」(P242)ことで、やがて「神的存在にまで到達することが出来る」(P22)という進化・成長する霊魂観――はオウム真理教や幸福の科学などの新新宗教から小説映画ドラマそしてアニメーションなどのサブカルチャーまで幅広く見られる共通の思想であり、ルーツを辿ると十九世紀の神智学に行き着くものだ。 書は日に限らず現代世界に広く行き渡ったこの「霊性進化論」の誕生からナチズムや人種主義、戦後の英米のニューエイジ運動、そして現代日のオウム真理教と幸福の科学に至る展開の過程と幅広い影響を概観する一冊である。 「霊性進化論」を生み出したのはオカルトにちょっとでも興味がある人には超有名人のブラヴァツキー夫人(1831~91)

    「現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇」大田俊寛 著
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●「批判」と「異論」は違うという、『心の哲学入門』に書かれていた指摘はとても有益だと思う。「批判」とは、同じ文脈を共有し、その文脈をよりよい(より厳密な、正確な、精密な)ものにしてゆこうとするための行為であり努力である。だから「別の文脈」を示そうとする「異論」とは異なる、と。 あるいは、「批判」はゲームに乗っかって競争し、それを通じてゲームを盛り上げようとすることであり、「異論」は可能な「別のゲーム」を立ち上げようと努力することだろう。だから、その文脈には乗っかれないなあとか、その方向で行っても可能性を感じないなあという場合には、批判はできない。その場合はまったく別の前提を示して「異論」をたてるしかない。しかし、「異論」は既成の文脈を共有しない場合、そもそも言説として認められないことが多い。別の文脈があり得るということを認めてもらうのは、それだけで相当たいへんなことだ。 ●例えば「科学」は

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