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ブックマーク / chikyuza.net (11)

  • ベンヤミンのメッセージ ―― 希望の倫理へ | ちきゅう座

    <高橋順一(たかはしじゅんいち):早稲田大学教授> 今年三月、社会評論社から『ヴァルター・ベンヤミン解読』を上梓しました。一九八四年から二〇〇七年にわたって折に触れて書いてきたベンヤミンに関わる文章を集めて作ったです、ぼくのベンヤミンの読み方はかなり偏った問題意識に基づいていると思います。そういう偏ったベンヤミンの読み方をにしてもはたして客観的な評価に耐えられるかどうか、正直なところ自信はありませんでした。でもベンヤミンを若い人たちに読んでもらうためのひとつの補助線くらいにはなるだろうと考え、最終的にを出してもらうことを決意しました。こののあとがきにも書きましたが、ベンヤミンを読むことは、勝者だけがのさばる世界をひっくり返すための武器を手に入れることにつながります。このでいちばん伝えたかったのがそれです。あらゆる希望も可能性も失われてしまったからこそ、希望を、可能性をあらしめねば

  • 重慶事件における新左派の役割と政治改革のゆくえ(上) - ちきゅう座

    <石井知章(いしいともあき):明治大学教授> はじめに 最近、日では報道される機会がめっきり減ったものの、今回の薄熙来の解任でいわゆる重慶事件の真相のすべてが明らかになったわけでなければ、中国のトップリーダーたちの間で繰り広げられてきた権力闘争に、最終的な幕が下ろされたわけでもない。いつものこととはいえ、この一党独裁国家における情報の根源的非公開性ゆえに、むしろ謎はますます深まるばかりである。 たしかに、89年の天安門事件以来の政変とも呼ばれた今回の解任劇とは、長年にわたる経済改革と開放政策の努力に背を向ける人物として温家宝が薄を断じることで、その政治手法をめぐり、「政治改革の推進か、文化大革命という歴史的悲劇の再来か」の選択を迫るものであった。その特異ともいえる手法とは、「紅を歌い(唱紅)、黒を打つ(打黒)」、すなわち、毛沢東や中国共産党を讃える文化大革命当時の革命歌などを歌い、か

  • 新自由主義を考える人の必読書 ―経済生活にもある大量虐殺― 書評 中山智香子著『経済ジェノサイド―フリードマンと世界経済の半世紀』(平凡社) - ちきゅう座

    新自由主義を考える人の必読書 ―経済生活にもある大量虐殺― 書評 中山智香子著『経済ジェノサイド―フリードマンと世界経済の半世紀』(平凡社) <半澤健市(はんざわけんいち):元金融機関勤務> 《三つの観点からフリードマンをみる》 書はミルトン・フリードマンを教祖とする新自由主義批判の書である。 見事な出来映えである。気鋭の論客である著者・中山智香子(なかやまちかこ)は1964年生まれ、早稲田大とウィーン大の大学院で学び、現在東京外語大教授。経済思想、社会思想史を専門とする。 リベラルや社会民主主義者は、今まで新自由主義を自明の悪者に仕立ててきた。条理を尽くした批判は少なかった。悪者はしぶとく生き残っている。たとえば安倍晋三の政策、旧自民党手法の復活に見えるがそうではない。新自由主義の地雷を埋め込んでいる。 私は三つの観点から書の概要を紹介したい。一つは、新自由主義言説の実体化・現

    lotus3000
    lotus3000 2013/04/07
  • 書評 鶴見太郎著「ロシア・シオニズムの想像力ーユダヤ人・帝国・パレスチナ」 - ちきゅう座

  • 自主管理社会主義の教訓――協議経済論・アソシエーション論の盲点と資本主義幻想の霧消―― - ちきゅう座

    1.協議経済化過剰の無理 ソ連東欧の集権制計画経済の危機が表面化して以来,特にその全面的崩壊以後,資主義に降伏せず,その批判者としての社会主義に思想的意味を認める人達の間に,資主義市場経済と対置されるべきは,官僚的計画経済ではなく,労働市民的協議経済であるとの主張が響き始めた。哲学的に一般化されて,アソシエーション論としても提起されている。耳を傾けるに値する思想であるが,その最大の弱点は,ソ連東欧と同時に崩壊したユーゴスラヴィア自主管理社会主義の理念論的・制度論的基軸がまさしく協議経済であり,アソシエーションであったと言う歴史的事実・経験を殆ど完全に無視して立論されている所に在る。 ユーゴスラヴィア社会主義は,資主義の企業の質を私有財産のアソシエーション(連合,結合),ソ連型社会主義の企業の質を国有財産のアソシエーション,それに対して自主管理社会主義の企業の質を財産(所有)では

  • 小林直樹氏の暴力論――戦争論・死刑論を中心に - ちきゅう座

    <宇井 宙(ういひろし):ちきゅう座会員> 1.総合人間学会関東談話会に参加して 先週土曜日(11月19日)、「小林直樹名誉会長著『暴力の人間学的考察』(岩波書店刊)を読む」と題した総合人間学会主催の関東談話会に参加した。会は、新著『暴力の人間学的考察』を出版された小林直樹氏(東京大学名誉教授、総合人間学会名誉会長)ご自身のお話の後、佐藤節子(法哲学)、長谷場健(法医学、分子生物学)、三浦永光(哲学)の3氏によるコメントとそれに対する小林氏の応答、最後に会場からの質疑応答、という順序で進められた。 小林直樹氏については改めて紹介の要はあるまい。長年、東京大学法学部で憲法の講座を担当される一方、護憲派の立場から憲法9条をめぐる論争をリードしてこられた反骨の憲法学者である。東大退官後は専修大学教授、北海学園大学教授を歴任され、大学教員を退職されて以後は人間学の研究に専念され、2003年には『法

  • 朝鮮王妃殺害事件の調査補遺 - ちきゅう座

    <醍醐 聡(だいごさとし):元東京大学教授/NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ共同代表> 朝鮮王妃殺害事件の調査補遺 朝鮮王妃殺害事件~逆の立場だったら?~ NHKが『坂の上の雲』をドラマ化して放送することに警鐘を鳴らす運動に昨秋から参加する中で、日の近現代史に関する知見の浅さを痛感し、原作が対象にした日清・日露戦争期の日朝関係史を調べてきた。その中で詳しく調べたいと思ったのは皇后閔妃(明成皇后)殺害事件である。多くの日人がそうであるように、私も今まで日清戦争の終結直後にこのような事件が起こったことを知らなかった。かりに、日の皇后が皇居内の皇后の寝室に乱入した韓国人兵士に切り殺されたとしたら、国を上げて大騒動になり、日韓関係は国交断絶にまで発展しかねない緊迫した状況になるに違いない。立場が逆だとこうも情報・関心が非対称になるのかと考え込んでしまった。 今も続く水掛け論への逃避

  • 関係論としての「国家神道」論 - ちきゅう座

    一 はじめに 日思想史の研究者として知られる子安宣邦が、『現代思想』誌上で国家神道論の連載を始めたのは、二〇〇三年七月号であった。この連載は翌二〇〇四年四月まで続き、その後、『国家と祭祀――国家神道の現在』(青土社、二〇〇四年)として単行化された。その「批判」の対象とされた近代神道研究者からは「誹謗中傷に近い」[1]とも評されたその筆致と内容は、それらの人々に少なからぬ衝撃を与え、反発や批判を呼ぶことともなった。このに端を発する子安の議論への批判については現在、すでに一通り出揃った感があり、今やアップトゥデートなテーマではなくなりつつあると言ってもよいだろう。 筆者はしかし、その議論の成り行きに若干の不満を持っている。こので子安が提起しようとした問題の広がりが、その反論・批判において正当に受け止められているように見えないからである。論文は、そのような問題意識を出発点に据え、「国家

  • 書評:橋本健二著『階級社会日本』(青木書店、2001年) <田中史郎> - ちきゅう座 - コメント

    既発表の記事や論文の総目次は,各カテゴリーごとに収録してありますので,このページの上段の「内外知性の眼」「スタディルーム」「コメント」をクリックすればご覧になれます。(画面が止まって、下に「続き(1)2,3・・・」の表示が出たら,その数字をクリックすれば、続きの画面がでます)。読みたい記事や論文のタイトルをクリックすれば,文をご覧になれます。 このページの上部右にあるスペースの中に著者名を書き込み、わきの「検索」をクリックしますと、その著者の論文・記事の一覧が表示されます コメント<批評、紹介、書評書評:橋健二著『階級社会日』(青木書店、2001年) <田中史郎> <たなか・しろう:宮城学院女子大学教授> 1.  「階級とは、そんなに簡単になくなったり、生まれたりするものなのだろうか」(4頁)。こう宣言する書は大胆な議論を提起している。そしてそれは体系的な構成によって展開されて

    lotus3000
    lotus3000 2011/08/17
  • ちきゅう座 - スタディルーム

    既発表の記事や論文の総目次は,各カテゴリーごとに収録してありますので,このページの上段の「内外知性の眼」「スタディルーム」「コメント」をクリックすればご覧になれます。(画面が止まって、下に「続き(1)2,3・・・」の表示が出たら,その数字をクリックすれば、続きの画面がでます)。読みたい記事や論文のタイトルをクリックすれば,文をご覧になれます。 このページの上部右にあるスペースの中に著者名を書き込み、わきの「検索」をクリックしますと、その著者の論文・記事の一覧が表示されます スタディルーム <08.06.11>【書評】亀山郁夫+佐藤 優『ロシア 闇と魂の国家』(文春新書)〈細田二郎〉 〈ほそだ じろう:経済学者〉  この度ロシアでは、メドベージェフ大統領とプーチン首相の二頭体制が確立した。当分の間はプーチン路線が主導するであろうと目されているが、今後のロシア政治の動向には重大な関心が持たれ

    lotus3000
    lotus3000 2011/07/16
  • 「怒りを忘れた国家神道論」―島薗進『国家神道と日本人』批判 - ちきゅう座

    <子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授:日思想史> 1 村上重良の怒り 村上重良は『国家神道』(岩波新書、1970)を激しい怒りをもって書いた。その怒りとは、日台湾・朝鮮をも含んだ)国民の肉体とともに精神を支配し、抑圧した〈戦争する日国家〉の原理であり、装置であるものに対してである。彼は国家神道こそが、1945年に至るまで国民を支配し、抑圧した国家的原理であり、装置であるとみなした。戦争の終結から四半世紀を経過した1970年に村上は、国家神道の復活の動きに接し、怒りを新たにする形で『国家神道』を書いたのである。私もまた度重なる小泉元首相の確信犯的な靖国参拝に対する怒りを『国家と祭祀―国家神道の現在』(青土社、2004)として表明した。私は村上の国家神道概念をそのまま継承することはなくとも、彼の怒りは正しく継承した。 国家神道批判は日国民のこの怒りに基づくものである。怒り

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