こないだ「40代までにやっておいたほうがいいこと」って記事かなんかで見て 所属する団体は増やしておいたほうがいいって見て確かになぁと思ったんだが 未婚かつ友達一人、あと家族と同僚ぐらいで10年以上過ごしているから? いや性格かな、 一人旅、一人散歩、一人ご飯で楽しんでいたから他人が必要なくてなぁ ただ今後のこと考えると、もう遅いかもしれんけど趣味仲間あと人グループぐらいほしくてな 趣味アカでも作成すればいいのか?ボドゲにでも参加すればいいのか?
正確に言えば、私の関心を俗世に繋ぎとめておく軛として配偶者より適当な仕組みがこの社会に存在しないんだ。 心底では他人に関心がなくて、素面では他人と対等の付き合いしか信じることができないからしがらみとしての結婚が必要なんだ。 結婚でなくてもいいが、しがらみが。 あなたがたの言いたいことはこうだ。他人に興味がない社会的欠陥動物が無理して結婚など目指すな。一理ある。 結婚に向かない人というか、一人でいることが最も心地よく、もしかすると周りにとっても善であるような性質の人間がいることは承知しているし、私もそのようであるという自覚がある。 だが同時に、いみじくも『最強伝説黒沢』でゲストキャラのおっさんが独白するように、人間は強制されてかろうじてまともだ。私もそのようであるという自覚がある。 人間に目指すことができるのはせいぜい短期的な報酬だけだ。長期的な野心を抱く人間も短期目標の積み重ねそれ自体を報
anond.hatelabo.jp 「こんな生活で、生きている意味、あるのかなあ……」と僕もずっと思いながら、40代を過ごし、もう50歳も過ぎてしまいました。 なんというか、ずっと、異世界転生できなかった「なろう小説」の主人公みたいな感じです。 若い頃の自分が、こんな未来を知ったら、きっと絶望したと思う。 振り返ってみると、僕は若い頃からずっと絶望し続けていて、その都度、テレビゲームやマイコンに出会ったり、ネットでものを書いたり、家族ができたりして、なんとかここまで続けてきただけなのかもしれません。 能動的に「生きる意味」を感じていたというよりは、生きていればときどき良いこともあったので、積極的に死を選ぶほどの衝動が起きなかった。 正直、30代くらいまでは、目の前の仕事や「やらなければならないこと」をやり過ごすのに精一杯で、「生きる意味」とか、あまり考えたこともなかったのです。生きる意味よ
むかし、「35歳を過ぎると、急に頑張らなくなる」という話を書きました。 「中年の危機」です。 なぜ35歳を超えると頑張らなくなるのか。それはロールプレイングゲームの終盤と同じだから。 私の世代であれば、ドラゴンクエストや、ファイナルファンタジーといったRPGに熱中した方も多いだろう。 だが、私は「最後までやりきったゲーム」が異常に少ない。 なぜなら、いつもラストダンジョンになると、やる気を失ってしまうからだ。 序盤はとても面白い。自分が強くなる実感が得られるし、新しい世界が次々に広がっていく。 ところが、中盤を経て、終盤になると、とたんにゲームはつまらなくなる。 作業的なレベル上げ。 探検しつくされた世界。 有り余るお金。 そうだ。 操作するキャラクターは強くなっているはずなのに、そこには「可能性」が無くなっているのである。 キャラクターが育ち、謎がとけ、世界の広がる可能性だ。 「可能性」
これまでの生存戦略 それほど尖った能力や知識がない中で、私のこれまでの生存戦略としては求められればなんでもやる、少しくらい泥水でも飲むというものでした。 フロントエンドからバックエンド、データベース設計、API設計、実装、インフラ側の設定、提案書作成、プレゼンテーション、プロジェクト進行、どれも“専門家として誇れるか”というと疑問がありますが、求められればなんでもやるスタンスでそれが自分の価値提供の形と考えていました。 また、以前までは「若い」というのも、強みでした。 一回りほど上の年齢に見られることも珍しくなく、「そんな若かったのか」と驚かれるなかで、「若いのに頑張ってるね」と年齢のフィルターで大目にみてもらえました。 しかし、そんな私も気が付けば40歳、もう若さという武器はありません。 (つい先日まで20代だったはずなのに..何かおかしい..) 体力的にも無理が効かず、新しいことを学ぶ
傷をなめ合った同僚がいち早く昇進した。 デキる後輩が自分の営業成績を早々と追い抜いた。 久々に会った友達は高給で知られる会社に転職していた。 周りの人の活躍を横目に、自分の「停滞ぶり」を憂う。 上司から「あなたには期待をしているよ」と発破をかけられた。 ベッドのなか、SNSで流れてくるビジネスインフルエンサーの“意識高い”投稿を見ながら、自分ももっと「成長」しなければと、決意する。 ……身に覚えがある、と感じた方も多いのでは。こんな風に私たちは「成長」への圧力を内から、外から常に受け続けています。 確かに、仕事でも、仕事以外でも、概して「成長したい」と努力することは尊く、そして努力の経験はかけがえのないものになります。 一方で、「成長」への圧力に振り回され、消耗し、自分を見失ってしまうことがあるならば、本末転倒です。望むキャリアを築くために、私たちは一体「成長」とどのように付き合っていけば
タイトルの通り。好きでやっているエンジニアがだんだん好きではなくなってきたような気がして、改めて何が起きているのか、思考はまとまらないから箇条書きする。 無邪気なエンジニアリングとはコードを読む、書くのIOがとにかくたくさん気になったOSSやサービスはすぐさわる記事や登壇で書く以外のアウトプットもたくさん無邪気なエンジニアリングをして、これになりたかったインターネットで一発当てる著名なOSSのコミッターカンファレンスのプロポーザルをたくさん通す本をたくさん書いているたくさん質の良い記事を書いて凄い PV 数なりたかったのその行く末生活を全てエンジニアリングに捧げようとする無理あらゆる技術イベントに顔をだそうとする私生活や仕事でしばしば予定がつかずキャンセル帰りが遅くなるのが良くないので、家から近いイベント以外いかなくなった(規模の比較的おおきい)コミュニティを主催するスポンサー探しで苦労こ
・これは何か私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である。 なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。 ・なぜこれを書いているか私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである。 精神科に通いつつ、投薬とカウンセリングの治療をおこなっている。 そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳の記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。 (先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなたの言葉はあなたの感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である) 正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリング
日本は今、「多様性」に戸惑っている 結婚生活のリアルを多くの人が知らない中で、それでも「結婚のイメージ」は独り歩きし、かつ固定化されてきたと言えるでしょう。 近年は世界的「多様性」の時代と呼ばれています。性自認や性的指向性、いわゆるLGBTQに関しても、広く語られるようになってきました。同性結婚やパートナーシップ制度を定める国も増えています(2023年6月現在、日本でも328自治体でパートナーシップ制度を設けています)。 しかし、だから「結婚も多様性の時代になった」と一概に評することはできません。むしろ日本は今、「多様性」に戸惑っていると言った方が近いのではないでしょうか。同性婚自体、日本の法律上ではいまだに認められていませんし、パートナーシップ制度も、病院で家族としての扱いがあり、公営住宅の入居が認められたりと一定の効果は発揮するものの、ある法学者に言わせれば、ほとんど法的効力はないそう
https://anond.hatelabo.jp/20231129081226 専業主夫になりたいと願い、夢を叶えた増田です。思った以上にバズってしまい恥ずかしいけど誰かの参考になったなら嬉しい。今後ダラダラと続きを書きはしないので、今回は補足と自分語りをさせてほしい。おれは主夫になりたい男性を応援してるし、主夫を養える女性も尊敬している。もちろん主婦とその夫も、共働き夫婦も独身男女も。 今までどこに出すでもなかった婚活の学びだが、今回も誰かの参考になれば幸い。 「婚活」そのものについてはてなには男女とも婚活で酷い目を見たエントリーが目立つ気がするが、おれ的には会った女性は7割まともだと感じた。2割がコミュニケーション能力に難ありで、残りの1割はモンスターかな。だからそんなに構えなくていい。ネットでは変わった体験をした人の記事が面白がられて伸びるだけで、大概の人は良くも悪くもわざわざ書く
To Read in English, click here. 3年前の今頃、僕は文字通り、9時5時の仕事をしていた。 いや、実際は5時3時だった。朝5時から午後3時までの仕事だったんだ。 それは2020年、マイナーリーグのシーズンがキャンセルされたあとのことだ。僕はフロリダのジュピターで行われていた春のキャンプから、エルセグンドの実家に戻っていた。最初は本当に最高だったよ。目が覚めたらボールを投げて汗を流し、友達のアンジェロとチップス(本名はジョン)と一緒に南カリフォルニア大学へ行ってね。キャンパスの近くにクルマをとめて、USCトロージャンズのバッティングケージに忍び込んで。警備員の目を盗んで、Go Go Go! とフェンスを飛び越え、壁の隙間に入り込んでさ。楽しかったよ。 ところがある夜、バッティングの練習から戻ってくると、両親から座るように言われ、彼らはこう切り出した。「いいかい、あ
文 栗田真希 念願のコピーライターの職に就いたものの、徐々に仕事に違和感やつらさを感じるようになり、思い切って転職先を決めず退職することを選んだ栗田真希さんに、次の仕事を決めるまでの空白期間を振り返っていただきました。 「今の仕事を変えたい」「違う働き方をしたい」と思いつつも、具体的な進路が決まっていないがゆえにやめる選択肢をとることができない……という人は多いのではないでしょうか。 次の仕事を決めてから退職する方がリスクは少ないはずですが、栗田さんは「まっさらな目で世界を見てみよう」と決め、あえて空白期間を設けたことで、次に進む道を決められたそう。 自分にフィットする働き方を決める選択肢として、栗田さんの経験は参考になることもあるはずです。 ***「辞めます」と上司に伝えたとき、その先のことはまったく決めていなかった。無謀で、無茶な、紐なしバンジージャンプみたいな退職だった。 そのままじ
・ライトプランの全特典 ・積読、かわりに読んだよ:積読になりがちなビジネス書のレビュー ・キャリアのトレンドやノウハウをゆるい文体で解説する記事 ・「積読代わりに読んだよ」の書籍リクエスト権 ・過去の #トイアンナマガジン 全記事の閲覧権
文 i さまざまな事情から、以前のような働き方ができなくなった/できなくなったらどうしよう、と悩むことはありませんか。これまでの自分や理想の姿と比べてしまい葛藤してしまう人は少なくないように思います。 大学卒業後、フルタイムの正社員として働いていたブロガーのiさんも、体調不良をきっかけに休職→復職→退職を経験。働き方を変え仕事を再開してみるものの、以前のように働けなくなった自分へのもどかしさを抱いていました。その後少しずつ自分の心身を壊さない働き方のペースをつかんでいき、“今の状態”を受け止めていけるようになったそうです。 自分の思い描いていた働き方を実現させること、それをずっと続けることは、意外と難しいもの。iさんに、自身の働き方の変遷とともに、「働く」上での気持ちのあり方について寄稿いただきました。 ***身体の調子を崩してから、働くことについて長いこと葛藤やコンプレックスがあった。
リンク ねほりんぱほりん - NHK ねほりんぱほりん 顔出しNGのゲストはブタに、 聞き手の山里亮太とYOUはモグラの人形にふんすることで、 「そんなこと聞いちゃっていいの~?」という話を “ねほりはほり”聞き出す新感覚のトークショー。 作りに作り込んだEテレお得意の人形劇と、 聞いたこともないような人生の“裏話”が合体した 人形劇×赤裸々トークをお楽しみください! 90 users 1691 NHK ねほりんぱほりん @nhk_nehorin 【ギリギリFIRE】 日曜日の夜、国民的なアニメのエンディングテーマが流れてくると憂鬱な気分になったりしませんか? その悩みから若くして解放された人たちが今夜のゲストです。 22:00からEテレをご覧下さい。 #ねほりんぱほりん pic.twitter.com/jAU6gidReP 2022-10-14 07:43:00
長らくブログを放置していたのですが、久しぶりに本の紹介まとめでも告知でもない、ブログらしいブログを書こうと思いまーす。ちなみに告知などを除くと1年以上放置していたこのブログ、突然更新された本記事はなんとボリューム1万字を超えているので、皆さま心して読んでください。 さて、ライターのチェコ好きとして書くこのブログやnoteを放っぽり出して(AMの連載はずっと続いているけど)最近の私はいったい何をしているのかといえば、pixivに二次創作小説を投稿して遊んでいるのですね! このことは、書き手としてはいかがなものかと首を傾げる人が大半かもしれません。 世の中の風潮のせいなのか私の体力の衰えのせいなのかあるいはその両方か、最近はとにかく、ブログを書く気にならなかったんですよねー。というか、書くネタが浮かんだら、それは商用原稿のために大切にとっておこうって思ってしまうようになって。ひと昔前は書くネタ
◆◆◆ 最初のきっかけは「中学3年生の夏、止まらなかった鼻血」 ――「全身性エリテマトーデス」とはどのような病気でしょうか? 後藤邑子さん(以下、後藤) 自己免疫疾患のひとつです。本来、免疫というのは外から入ってきたウイルスなどの外敵と戦うものですが、それが自分の体の細胞を攻撃してしまう病気です。 血液だったり、臓器だったり、あるいは皮膚だったりと、どこを攻撃するのかわからないので、「全身性」といいます。原因は、まだハッキリとは突き止められていないようです。 ――病気が発覚したのはいつでしたか? 後藤 2012年に倒れて入院し、そのときに検査してわかりました。 もともと私は別の自己免疫疾患、特発性血小板減少性紫斑病(血小板に対する「自己抗体」がつくられることで、血小板が破壊され、出血の危険が高まる病気。国が指定する難病の対象)というのを長く患っていたので、その症状がひどくなったのかと思って
自分の「ごきげんポイント」を押さえて、50代以降もやりたいことを追求する──スープ作家・有賀薫さん #夫婦#ミドルエイジの生き方#老後も楽しむ 公開日 | 2022/03/14 更新日 | 2022/03/14 子どもが巣立ったタイミングで、これからの働き方や暮らし方をどうしていくのか、考える方は少なくないと思います。 一方で、50代・60代となるとキャリアの固定化や体力の低下によって選択肢が狭まり、若いときよりも「自分らしく」人生を楽しむことが難しくなる──と考えている方もいるかもしれません。 しかし、中には年齢を重ねても、これまでに携わってきた仕事や趣味とはまったく違う分野に軽やかに足を踏み出し、新しい挑戦を楽しんでいる人もいます。 50代で「スープ作家」の道を歩むことを決めた有賀薫さんは、まさにその一人。メーカー勤務やライターなどの仕事を経て「スープ作家」に転身した有賀さんは、レシピ
日本は海外の子どもたちと比べて自己肯定感が低いといわれています。そもそも自己定感とはどういうものなのでしょうか。自己肯定感が高い子と低い子の特徴とは。子どもの自己肯定感を伸ばすための秘訣について、英語教室「TLC for Kids」代表で5000人以上のバイリンガルの子どもたちと触れてきた船津徹さんが解説します。 自己肯定感の土台は「自分は親から愛されている」「そのままの自分に価値がある」という「あるがままの自己に対する自信」です。 私は自己肯定感を「根拠のない自信」と呼んでいます。根拠はないけれど「自分はできる」と心の底から信じている子は、困難に直面しても、チャレンジを繰り返し、「根拠のない自信」を「根拠のある自信」に変えていくパワーを持っています。 根拠のない自信は、その名の通り「100%親から与えられる自信」であり、子どもが努力しても手に入れられるものではありません。つまり子ども時代
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