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ブックマーク / ichinics.hatenadiary.com (5)

  •  降臨賞感想 - イチニクス遊覧日記

    降臨賞楽しかったです。ひとつのお題にこれだけたくさんの人が集まって、「お話」を書いたっていうのがほんと、不思議っていうか物好き(自分も)っていうか、面白い。なんとなく、一昨年くらいまではわりと定期的にお題創作ぽいことが流行ったりしていた気がするんだけど、最近はあまり見かけなくなってた。それは私がそういう流れに気づく入り口だった人たちがいま日記を書いていないからなのかもしれなくて、それはそれでとても、さびしいのですけど、 ともかく個人的に、降臨賞は久しぶりにネットでわくわくした出来事でした。こういうのがあると新しく面白い人を知ることができるし、普段読んでいる人のいつもとは違う文章が読めたりするのが嬉しい。ありがとうございますインターネット。もしくはインターネットたち。 そしてお祭りが終わり、降臨賞受賞作が主催者の方によって発表されてから(http://neo.g.hatena.ne.jp/.

     降臨賞感想 - イチニクス遊覧日記
    masapguin
    masapguin 2009/01/16
    ありがとうございます
  •  呪文 - イチニクス遊覧日記

    今日はいつも無意識に(脳内で)唱えがちの呪文を書いていこうと思います。 どーん!じゃーん!がらがらー! リライトしてー気分のときによく唱えます。プライベートエリアのバルスみたいなものです。 ウキャキャキャキャーッ!エヘッアハッ! SDP「コロコロなるまま」のイントロです。文字にしてみると絶妙に気味がわるくていいです。 ぼくと握手! って言って誰も握手してくれなかったら…と想像するだけで、なんかこう走り出したい気持ちになれます。 ちぇっちぇっ気取ってやんの! 握手してもらえなかった場合に口走る負け惜しみとして使います。「魔女の宅急便」のジジの台詞です。 やなやつ!やなやつ!やなやつ! 「耳をすませば」の雫の台詞です。これの最後に「でも好き!」を付け加えると、なんとなく心温まります。もちろんぜんぶ脳内です。 いいなーINAX…。 何かがうらやましくて、つい「いいなー」と漏らしてしまった時にごま

     呪文 - イチニクス遊覧日記
    masapguin
    masapguin 2008/04/16
    はてな脳内呪文出し
  •  PASMOもしくはSUICAの手 - イチニクス遊覧日記

    私はPASMOをお財布に入れているのですけど、最近右手の親指を痛めたので、改札でパスモタッチする際に、つい手の甲を下にすることが多い。 そのたんびに、なんかちょっともしかすると、この手がパスモになるんじゃないかって思うんです。 だってパスモの効果っていうかエネルギーというか計算式みたいなものは私の手の甲を通過して改札の扉を開いているわけですから、なんなら私の手の甲がパスモであってもかまわないんじゃないかな。 ほら、金属的なものを磁石のそばにおいとくと磁石になっちゃうとかいうのと同じような感じで、こうやって手の甲とパスモを常に連動させていると、パスモの力が手の甲に宿るんじゃないの…などということをぼんやり考えているうちに会社についてしまうくらいには毎朝寝ぼけています。おはようございます。 でもわかんないよ。今はまだお財布ケータイで「すげー」とか思ってますけど、そのうち、手のひらが財布に、とい

     PASMOもしくはSUICAの手 - イチニクス遊覧日記
    masapguin
    masapguin 2007/12/11
    マグネットパワー的な
  •  「もし世界に真のパンチラというものがあるならば」 - イチニクス遊覧日記

    例えば、カウンターカルチャーと呼ばれるもののように、抑圧されることへの怒りに支えられた文化は、それが認められ、迎え入れられること、つまりメジャーになることが、同時に敗北をも伴うというジレンマを持つ。要するに「真理は戦うことができねばならず、敵対者を持たねばならない」。 だとすれば、もうずっと前から、パンチラは敗北していたのではないか。 おれがアニメやイラストのパンチラに敬意を払えない理由といえばこれはもう一つしかなくて、そのパンチラが用意されたパンチラ、約束されたパンチラだからだと思う。 http://d.hatena.ne.jp/./nekoprotocol/20071025/1193314278 喜んでべたあの地鶏が、実は廃鶏だったというこの屈辱。鶏肉には適正価格と安全性を求めるように、真のパンチラには偶然性が求められねばならない。 あらかじめ定められ、供給過多となったパンチラ、世に

     「もし世界に真のパンチラというものがあるならば」 - イチニクス遊覧日記
    masapguin
    masapguin 2007/10/26
    ギリギリまで抑圧されてこそのカタルシス。ヒロイックサーガもうんこも。
  •  文章が楽譜だったら - イチニクス遊覧日記

    考え中(id:ichinics:20070918:p2)、のつづき。 文章を読み書きすることと、声について考えてみる。わたしは、流し読みのようなことをしているときでも、拾った言葉はたぶん音に変換しているし、こうしてキーボードをうちながらも頭の中では声を発している。だから意味の通りやすさよりも前に、感覚的に句点読点をうつ。 つまり、ここにある、ぱっと見はただの文字の集合でしかない文章たちも、それが書かれる過程で思い描かれた、リズムというものを(ささやかながら)持っている。ということは、書かれてある文章とは、意味の前に、楽譜のようなものとしてある、と言うことはできないだろうか。それはもしかしたら、日語特有のものなのかもしれないけど、と考えていて、ああ声に出して読みたい日語ってのはそういうことだったのかなーとか、思う。知らないくせに適当なことを思う。 ともかく、文章を読む時、黙読する時、頭で

     文章が楽譜だったら - イチニクス遊覧日記
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