河野太郎規制改革相が3日、自民党総裁選に出馬する意向を固めた。周囲に伝え、立候補に必要な推薦人集めに着手した。河野氏は同日午後、所属する麻生派会長の麻生太郎副総理・財務相と会談した。総裁選への対応を伝えたとみられる。河野氏は3日、内閣府で記者団の取材に答えた。「私自身どうするか、先輩や仲間の議員とじっくり相談し、関係の皆さんといろいろ相談しながら決めていきたい」と語った。麻生氏との会談の内容
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菅総理大臣は自民党の臨時の役員会で今月行われる自民党総裁選挙に立候補しないことを表明しました。これにより今月末に総裁としての任期が満了するのに伴い、総理大臣を退任することになります。 自民党は3日午前11時半すぎから党本部で臨時の役員会を開き、およそ10分ほどで終了しました。 出席者によりますと、この中で菅総理大臣は「新型コロナウイルスの対策に専念したいので総裁選挙には立候補しない」と述べ、今月17日告示、29日投開票の日程で行われる自民党総裁選挙に立候補しないことを明らかにしました。 これにより今月末に総裁としての任期が満了するのに伴い、総理大臣を退任することになります。 また、来週6日に行いたいとしていた党役員人事についても実施しない考えを示しました。 そして菅総理大臣は午後、総理大臣官邸で記者団に対し「先ほど開かれた自民党役員会で私自身、新型コロナ対策に専念をしたいという思いの中で、
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毎日新聞の28日の世論調査で、内閣支持率が過去最低の26%に落ち込んだことで、政府・与党は「危険水域に入った」と危機感を強めている。次期衆院選が迫る中、自民党内で「菅離れ」が進み、9月29日投開票の党総裁選の情勢が流動化する可能性もある。 自民の野田聖子幹事長代行は28日、支持率低下について「新型コロナウイルスのデルタ株への国民の不安を払拭(ふっしょく)できていないことが大きく、謙虚に受け止めたい。コロナ対策と発信を強力に進めなければならない」と語った。公明党の山口那津男代表は「『政府・与党がしっかりしろ』という厳しい指摘だ。的確に医療サービスが行き届いていない。やれることは全てやらなければならない」と述べた。 支持率26%は、第2次安倍政権で最低だった2017年7月と並ぶ数値だ。この時は「森友・加計学園問題」への批判が高まり、自民は直前の東京都議選で歴史的な大敗を喫した。官邸幹部は「この
ところが新聞各紙の政局予測を読むと、そうはならない可能性もあるというのだ。それは、安倍晋三前首相や二階俊博幹事長、ポスト安倍を争った“政敵”石破茂までが「菅続投」を容認したようだというのである。 立憲民主党を含めた野党なら、菅の首をすげ替えないほうが衆院選を戦いやすいと思うはずだが、なぜ、自民党は負け戦確実の菅を引き摺ずり下ろさないのだろう。不思議でならない。 菅首相が万が一、このまま首相を続けるとすれば、戦後の首相の中で最悪、最低の首相として名を残すことは間違いないと私は思っている。 私は政治記者ではないが、長年編集者として、時には首相本人、側近、友人たちと交友してきて、その人となりや政策を見てきた。 そんな私が選んだ「日本をダメにした8人の首相」を列記して、彼らと比べて菅首相がいかに首相にふさわしくないかを検証してみようと思う。 安保闘争の岸信介は「国史に長く刻まれるべき総理」 60年
自民党の石破茂元幹事長は20日のBSフジの番組で、党総裁選への対応について「新型コロナウイルスの感染拡大で国民が恐怖におののき、(菅義偉首相ら)みんなが一致して向かっている時に『私がやります』とは、その気があろうがなかろうが口の端に乗せるべきではない」と述べ、現状では自身は立候補せず、首相の再選が望ましいとの考…
菅義偉新政権が始動した。コロナ禍からの脱却に向け、デジタル変革(DX)の推進や中小企業の生産性向上などを目玉に据える。景気の二番底への懸念が囁(ささや)かれる中、日本経済を回復軌道に復帰させるには民間の力を最大限に引き出す政策が欠かせない。 シャープの「中小企業化計画」で思い出す…中小企業の「定義」とは? 菅首相が中小企業政策の中核をなす中小企業基本法の見直しに言及、中小企業政策のあり方はより一層、再編・成長志向へと歩を進めそうだ。 日本の産業を支える中小企業は約358万社で全体の99・7%を占め、全体の約7割に当たる約3200万人の雇用を担っている。この数字は基本法の定義によるもので、同法は資本金または従業員数の要件で中小企業を定めている。例えば製造業は資本金3億円以下または従業員300人以下となっている。 中小企業の中には、中堅企業となる実力があるにもかかわらず、あえて中小にとどまる企
16日夜に発足した菅内閣。安倍政権の政策を引き継いでいくことを菅義偉氏は公言しているが、国境なき記者団による「世界報道自由度ランキング」で66位*にまで下落する等、メディアへの締めつけも、また続ける気なのか。そもそも、メディア側が「報道の自由」のために闘う姿勢がなく、むしろ、菅政権に自ら尾を振り、迎合していくことにならないか。先の自民党総裁選に菅氏が出馬した時の会見の様子を思い起こすと、悲観的にならざるを得ない。唯一の希望は、それぞれの立場を超えた「報道の自由」のための連携だ。 *直近の2020年の順。安倍政権時では2016年、2017年に72位まで下落したことも。民主党政権時では11位(鳩山内閣)、22位(野田内閣)だった。 ◯望月記者をあざ笑う菅氏 米紙ニューヨーク・タイムズが「独裁政権をほうふつとさせる」(2019年7月5日付)と評した質問制限等、政権によるメディアに対する締めつけは
橋下徹元大阪府知事 「菅義偉内閣の閣僚人事で、橋下徹元大阪府知事が総務大臣に就任するかもしれない」――。 今、永田町・霞ヶ関関係者の間で、こんな観測が飛び交い、大穴人事としてまことしやかに語られているという。菅官房長官が次期総理になることが既定路線となった今、官房長官人事に続き、一つの注目ポストが総務相となっている。「菅氏自身が大臣経験者で実務に通暁しているため、正直フリーハンドの状況になっている」(全国紙政治部記者)ためだ。 実際、9月2日の自民当総裁選の立候補会見で地方活性化と携帯電話料金値下げという総務省所管分野に注力すると明言しており、自らの一丁目一番地として大ナタを振るうのは間違いない。大臣自体はよほど問題のある人物でない限り、もはや誰でもいいというわけだ。 大臣候補には思い切って若手を登用するという考えもあるため、「地元神奈川の坂井学衆議院議員を登用して経験を積ませる」(同)と
菅義偉官房長官は3日の記者会見で、新型コロナウイルス対策に関し、消費喚起策の一環としての消費税減税に否定的な見解を示した。「消費税自体は社会保障のために必要なものだ」と強調した。 コロナ禍で収入が減少した事業者には、社会保険料とともに消費税納税も猶予になっていると説明。昨年10月の消費税率10%への引き上げに伴い「税収増を幼児教育や大学の無償化などに充てている」と指摘した。
辞任を表明した安倍晋三首相(自民党総裁)の後継を選ぶ総裁選をめぐり、菅義偉官房長官に立候補を期待する声が高まっている。自民党幹部は30日、「菅氏が立候補する意向を固めたようだ」との見方を示した。 菅氏は平成24年の第2次安倍政権発足以来、官房長官として首相を支えてきた。新型コロナウイルスへの対応など政策の継続性を重視し、菅氏の立候補を求める声が高まっていた。 菅氏の総裁選への立候補は初めて。新型コロナウイルス感染症対策など安倍政権の主要政策の継続を中心に、支持を訴えるとみられる。 菅氏は昭和23年、秋田県生まれ。小此木彦三郎元通産相の秘書を務めた後、横浜市議を経て、平成8年の衆院選で神奈川2区から出馬して初当選し、当選8回。第一次安倍政権では総務相などを務めた。 昨年4月に新元号の令和を発表したことから、「令和おじさん」の愛称で若い世代にも知名度を広げた。
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