100日後に退職する47歳 100日目(最終回) #100日後に退職する47歳 https://t.co/IKNVwlaFmN
45歳多重派遣と言っても、噂のGitHubの人ではない。すまんな。。 皆さんはプロジェクトの共有ディレクトリの最下層に”女子大生”という何もないファイルを作ってアクセスログをとっていたのがバレて怒られた事はあるか?私はある。2回。 人は暇なとき、意外とディレクトリをめぐる旅をするものだ。 仕事でとうとうGitHubすら使わずにプログラマ人生を終えてしまった。 レガシーな技術を使いがちな金融プログラマではそこそこ居るのでは無いだろうか。 年収は20代後半からは550万~700万位だった。残業代・退職金は無く交通費は出ない。 所属会社は営業も事務も居ない小さな所帯のフリーの集まりのような所で、会社の運営に必要な金額をある程度毎月納めれば良い会社だった。 仕事がなくなれば自分、もしくは他社員の人脈で仕事をとってくる。フリーで居るよりは仕事を取りやすく、単価も上げやすいので一応会社の所属にしている
はじめまして、よく退職エントリがでているニコニコ動画の会社で働いています。 私はエンジニアではなく、ニコニコ生放送の番組制作を行っている番組ディレクターです。 以下の文章を友達に見せたら「『エンジニアじゃない人って本当に頭悪いんだ』って思われるくらい頭悪文章だよ・・。」と言われたのですが、自慢じゃないですが私の非エンジニアの同期は、早慶上智早稲田MARCHみたいな、私以外はみんな一流の大学出身です! 私はF出身でバカなので、頭の良さそうな文章を書くことができないので許してください! 私以外はみんな賢いです!信じてください! ◆なんで現職エントリ? 自分の仕事やチームが好きなので、私は楽しく働いてるよーって伝えたくて書いてみます。 退職エントリを書くのは自由なのかも知れないし、書いた人の率直な気持ちだから全くもちろん良いわけなのですが、私みたいに心の弱いヤツは読んだらめちゃくちゃズーン😢て
2019/10/31 を持って8年間勤めてきたドワンゴを退職しました。 ドワンゴ退職エントリの旬は過ぎているよう気もしますし、こんな何年も放置していたブログで今更何をと思わなくもないですが、なんとなく自分の気持ちの整理もかねて適当に綴ってみようと思います。 何をやってきたか 各種のゲームデバイス、PS Vita, Wii U, 3DS, Nintendo Switch 上でのニコニコプレイヤーの実装をずっとやってきていました。 それぞれのデバイスでのシステム部分というか、ゲームデバイス上での非ゲームアプリケーションフレームワーク、そんなものを作り続けてきた感じです。 これらのニコニコ動画クライアントは、私の手を完全に離れてしまうことになります。 もっとできることはたくさんあるし、改善すべき点もたくさんある。愛用してくれているユーザーに対して自分が出来るはずのすべてを提供することができなかっ
偉そうなことを言いながら着メロで当てた金で20年近くに渡って放蕩の限りを尽くしたのに、結局たいした結果を出せなかった中高年だよね? それが会社が傾きだしたとたんにトンズラこいて、後ろ足で砂をかけるような退職エントリを公開するとか印象悪すぎなんですが?あー、調子の良いときだけすり寄って上手いことやったろうってタイプなのねー。エンジニア(笑)。 ドワンゴが好調な頃のゆるゆる選考で採用された人たちだから能力的にも怪しいもんだし、転職先もよくそんなのを雇うよな。まぁ選考は退職エントリが公開される前だったんだろうけど、転職先の若手のモチベーションに影響しそう。 https://gist.github.com/masarakki/510f77fa1e0cd602241b577f212f8bc5 https://anond.hatelabo.jp/20190701083530 https://meso.
ex-dwango.md 株式会社ドワンゴを退職しました 2011年3月15日に就職してから今日で8年と3ヶ月半・・・月にして99ヶ月・・・日数にして実に3033日 と・・・計算している間にも23秒が過ぎてしまったわけですが、株式会社ドワンゴを退職しました。 7月からはクックパッドで働きます。 ドワンゴでやってきたこと 2011年に入社して最初は今は亡きニコニコ静画(電子書籍)のバックエンドの開発をしました。 当時はphp縛りだったので仕方なくphp、こっそり gitを導入して会社の公式リポジトリであるsvnには定期的に git-svn でコピーする仕組みを作ったりしてました。 当時CIはちょっと導入されていたもののCDの概念は存在しなかったので、capistranoでphpをデプロイする仕組みを作ってそれも こっそり 運用していました。 浜町時代からドワンゴ社員御用達 BROZERS'
5年エンジニアとして務めた富士通を一昨年退職した。そろそろほとぼりも冷めたと思うので、書く。 真面目に書いている増田もいるが、僕は自分の半径5m以内で起こった幼稚な理由にフォーカスを当てる。 開発環境がだめまずこれがトップにくる。 本当にだめだった。多分開発させる気なんてなかったんだろうなあ。ニートでももうちょっといい環境を使っていると思う。 メモリ4GBのセレロン使ってた。もちろんSSDじゃなくてHDD。PCは富士通製のミドルクラスのノートPCしか支給されなかった。 Macなんか認めん!iOSアプリも富士通PCで作れ!(本当にあった話)。 机上環境もだめいろんな環境にいたが、その中でもひどかったのは、もともと生産ラインがあった場所に机を置いて事務所として使っていた場所だ。机もせまかったし、気温も暑いか寒いかのどちらかだった。 そこに協力会社を大量に押し込んで、ソフトウェアの生産ラインを作
タイトルの通り2018年に入社したNTTグループの某社を退職しました。 2019年1月中旬に正式退職したので、約9ヶ月間働いたことになります。 本記事では非常に主観的かつ局所的な話を書くつもりであり、一般性には欠けますのでご承知ください。 自己紹介NTTグループの某SIer企業に2018年度の新入社員として入社しました。 前年度までは大学院に在籍しており、情報系の研究を行っていました。 入社してからの立ち位置としては一応システムエンジニアに分類されるはずですが、あまりシステムエンジニアらしい仕事は行いませんでした(これについては後述しています)。 退職までの流れ2018年の4月に入社し、最初の2ヶ月間は新入社員研修を行っていました。 研修内容は大手企業あるあると言った感じで、挨拶練習や名刺渡し練習、ビジネス文章の書き方等を行いました。 周りは「研修が手厚くて良い」と言っていましたが、個人的
当社の規定により満60歳で定年退職をした。長いようで短かった会社員生活も一区切りだ。自分のプログラマとしての会社員生活を振り返ってみる。無駄に長いし結論はないのでお忙しい人は飛ばして欲しい。 9月末なのでブログ界隈では退職エントリーがそこかしこに書かれると思うが、その中で自分の退職エントリーを連ねることにどれほどの意味があろうか。もちろんないのだが、それでも多くの書き手の年齢を考えると満60歳定年退職というところに若干の希少価値を見出せなくもない。 1984年に大学院修了して以来、プログラマとしてのキャリアを重ねてきた。大学時代の同期でプログラマとして就職したものは皆無だ。当時、工学部の同期はメーカーに就職するのがほとんどで、大手家電メーカー、自動車メーカー、電力会社などなど、当時の誰でも名前を知っている人気企業に就職するものが大半だった。 その中で、日本ディジタルイクイップメント(DEC
日本マイクロソフトを退職します新卒で入社した日本マイクロソフトを 1 月 17 日に退職します。 学部生の頃、就職できるはずのない雲の上の企業でした。 就職活動していた際にも視野に入れていませんでした。 なぜそんな大企業に就職したのに退職するの? こんな記事も書いてもらったのに退職するの? という質問をよくされるので、いわゆる退職エントリを残しておきます。 なぜ退職するのか最初に、日本マイクロソフトは素晴らしい会社です。 私自身、技術力以外にコミュニケーション能力や電話応対能力、メール文章作成能力が格段に成長しました。 しかし、技術職であるにも関わらずコードを書いてチームで開発をする機会は全くない部署でした。 そこでふと、「このまま今のカスタマー サポートを続けていて自分は何年後かに後悔しないだろうか。」と思いました。 そして、試しに転職活動をしてみると同じ外資系のカスタマー サポート職の
2017 - 04 - 21 株式会社ラブグラフを退職しました 4月21日を以て株式会社ラブグラフを退職した.最後のわがままで,今まで使ったことのない有給休暇を消化させてもらえることになったので,5月半ばまでは在籍することになっているが,ともかく今日が最終出社日だった.2015年3月頃から手伝っていたので,およそ2年に渡って関わり続けてきたことになる.長い間,様々な人たちから「やめろやめろ」と言われていながら,ようやく退職を決意することにしたわけであるが,以下に主たる理由を3つ挙げる. 第一に,今の組織に留まり続けても,今後自分にとって成長がないだろうと感じた. 初めの頃は,メンバーもごく少なかったこともあり,自分でサービスを作っているという実感があったが,ビジネスサイドの人間が増え,力を持つようになると,単に彼らの注文をこなすだけの作業が格段に増えた.「社内外注」とは言い得て妙なり,他人
2月末日付けで退職しました。退職エントリ書くつもりは無かったんですが、周囲から「公益性が高そうなので書け」というお言葉をいただいたのと、あと海外在住プログラマのキラキラ記事っておおいに生存バイアスかかってる気がするし、死にゆく者の事例も大事かな、と。 はじめに つらみは有りましたが、うらみは有りません。当初3年ぐらいかなと思ってたけど、この1年間の経験には大変満足しています。また、同僚各位にも深く感謝しております。Vielen Dank. I love you ;) 日本に帰る理由も、ドイツがつらいってのはだいたい3割ぐらいで、じつは2年前からゲノム解析のウェブサービス化とか生物学周辺のソフトウェア受託などの個人事業をやってて、そろそろそっちに集中すっかー、というのがマジな理由です。 tl;dr 自分を守るのは会社でも制度でもなく、自分。Noと言えなければ死ぬしかない。 自分に落ち度が無い
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